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それでも夢を追いかける ―猪狩渉挑戦記#1

「NBA選手になりたい」その思いだけを胸に猪狩渉は当時所属していたBリーグのチームを退団し、海を渡った。しかし、それと同時に社会状況は一変し、思うようにいかない時間を過ごすことになった。それでも、信念を曲げずに進み続け、猪狩渉は次の章へ向かう。

だから後悔は全くないです。

宮本 先日はダブドリVol.13のスナックささらに来ていただき、ありがとうございました。
猪狩 ありがとうございました。
宮本 今回はTBLというリーグのトレーニングキャンプに参加することが決まりました。そこを含めて色々聞いて行きたいと思います。トレーニングキャンプはどう決まったんですか?
猪狩 昨シーズン、アメリカ独立リーグABAのシカゴ・フーリーで準優勝をすることができました。夏のOBAというサマーリーグがあるんですけど、そこで優勝して、オールスターゲームにも参加させてもらいました。その活躍が認められて、今回のトレーニングキャンプに参加させてもらうことになりました。TBLはNBLカナダと共同でシーズンを行うかなり規模の大きい独立リーグです。近年ではNBAやGリーグ、ヨーロッパのリーグにも多くの選手を輩出していて、その中のダラス・スカイラインのトレーニングキャンプに招待されました。
宮本 コロナ禍で、猪狩選手含めて海外リーグを目指している他の選手はそもそもトレーニングキャンプに参加すること、練習に招待されるところまで辿り着くことが大変だと思います。
猪狩 そうですね。実はダラスのキャンプが決まる前にもいくつか候補がありました。ただ、おっしゃる通りコロナの関係で交渉が難航しました。この2年間は自分のバスケットの実力以外の問題でバスケットをする機会が失われていくことを多く経験していたので、正直に言うと、今海外に挑戦するというのは賢い選択ではないと思います。
宮本 ただ一方で、動き出さないと年齢という現実もあって、そもそもチャンスがほぼゼロに近づいていってしまうことも事実だと思います。その葛藤もありますか?
猪狩 そうですね。僕自身は、猪狩渉という外見は、25歳になりました(笑)。でも、僕の内側にあるものはバスケットを始めて、マイケル・ジョーダンに憧れてNBAに行きたいと思った時と何も変わっていないです。ただ25歳ということで、アスリートとしては若くない部類に入ってきて、やはり身の振り方というのを考えなくてはいけない。もちろん、自分の夢を諦めたわけではないです。23歳の時に福島ファイヤーボンズを退団して、NBA選手になりたいと言ってもう一度アメリカに飛び出しました。でも、本当はNBAに辿り着けないことなんて、日本を飛び出さなくてもわかっていたことかもしれないですよね。それでもNBAまでの距離は自分の目で見て、自分の肌で感じたかったです。そこまでの距離は自分で決めたかった。だから後悔は全くないです。

猪狩前編締め

Can be a good teammate.

宮本 この2年間はコロナの影響もありつつ、今までなら絶対にしないであろう選択もしたと思います。例えば、ヨーロッパのアルメニアのキャンプに参加したこと。そこに参加したり、様々な話が進む時にこれまでは選択肢に入ってこなかったものを見たり、体験したりしたことで得たものはありますか?
猪狩 変なプライドは消え去ったかもしれないですね。プロとしてバスケットで生きていくことの大変さを知った2年間でもありました。Bリーグでの3年間は、なんとなく20歳でプロ入りして、なんとなくお金を頂いていた。その価値に見合った活躍だったり、地域貢献を実際に僕はできていたのか。海外でプレーをして初めて気付いたのが、日本人のための、日本のためのBリーグだから、僕はプロになれたと思うんです。これが海外の選手がどんどん入ってくるようなリーグだったら、もしかしたらプロになれていないかも知れない。アルメニアに行ったり、アメリカに行ったり、色んな国の選手と対戦しましたけど、自分の現在地を知ることができて、改めて自分はまだまだだなと思いました。ただその中でも自分の通用する部分も再確認できたので、自分の再定義ではないですけど、NBAに行くためのステップであれば、アルメニアだろうが、どこだろうが構わず飛び込んでいくというスタイルにはなりましたね。
宮本 なるほど。今の猪狩渉を客観的に見て、2年前に日本を飛び出した時よりもNBAには近づきましたか?
猪狩 そうですね。今シーズンのGリーグのトライアウトに160人くらい集まった中で、最後の5対5の10人に選ばれたのはすごく自信になりました。そこから先のキャンプに呼ばれることはなかったですけど、2019年に初めてGリーグトライアウトを受けた時よりは成長を感じました。ひとつはそのレベルでも点数がとれたというところですかね。日本とアメリカはバスケットの種類が違うし、そもそもルールが違います。日本やヨーロッパは40分なので、1本1本のシュートを大切にしていく傾向にありますけど、アメリカの場合は48分なので、なるべくアテンプトを増やして、展開を速くした方が効率が高くなっていくという考えですよね。
宮本 なるほど。
猪狩 展開の速いバスケットは、僕が能代工業でやっていた強みでもあるので、そこを出せたのとスリーポイントシュートを自信を持って打てるようになったところが大きいかなと思います。ディフェンスは能代工業でたくさん練習しましたから(笑)。ディフェンスに関してはあまりやられる心配はなくなりましたね。自分より大きいサイズの選手にポストアップされても、ウエイトを含めてかなり鍛えたので、(身長が)プラス20cmから25cmくらいの選手なら守れる自信がつきました。全体的にレベルアップできたと思いますし、評価もしてもらえました。もう少し何かが足りなかったんだと思いますけど、それはまた自分の中で模索しながらやっていきたいと思います。
宮本 実際にGリーグのトライアウトで評価された部分やコーチにかけられた言葉で印象に残っていることはありますか?
猪狩 どこのトライアウトに行っても言われたことが "Can be a good teammate." ですね。要するに「良いチームメイトになれるかどうかも見ている」ということです。もちろん得点能力やディフェンスも大事ですけど、チームメイトがやりやすいようにプレーをできるか。自分の良さを出しつつチームメイトの良さを引き出していくのは、能代工業の佐藤信長先生(現 東洋大学バスケットボール部HC)が常に言っていた「周りのためにプレーしなさい。周りを気持ちよくすることに喜びを感じなさい」と共通する部分でした。これはスコアリングポイントガードをやってきた自分にとってはすごく難しい課題で、高校時代も信長先生のバスケットに上手くアジャストできなかったんですけど、今になってその教えがGリーグのトライアウトという場所で活きました。だから信長先生にも感謝していますし、ある意味、古典的なゲームをコントロールするポイントガードの重要性は感じましたね。

( #2 に続く)

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