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『ダブドリ Vol.17』インタビュー04 伊藤大司(アルバルク東京)

2023年5月12日刊行の『ダブドリ Vol.17』(株式会社ダブドリ)より、伊藤大司GMのインタビュー冒頭を無料公開します。

B.LEAGUEが誕生して7年。ゼネラルマネージャー(以下GM)を置くチームが増えてきた。しかし、その役割が確立しているとはまだ言えない。そんな中、今シーズンより日本屈指のビッグクラブであるアルバルク東京のトップチームGMに就任した伊藤大司。選手経験を元にアルバルクをどう導いていくのか。選手時代の話から今シーズンの編成、今感じていることを伺った。(取材日:2月20日)

Interview by 宮本將廣/photo by 本永創太

当時の僕はもっとやれると思った。

宮本 アルバルク東京で選手キャリアをスタートして、レバンガ北海道、滋賀レイクスターズ(現滋賀レイクス)でプレーをされました。そこから引退後、アルバルク東京にアシスタントGMとして戻って来られましたが、選手時代はセカンドキャリアとか考えていましたか?
伊藤 大学生の時やプロ1、2年目は30歳でバスケットを辞めて……。辞めてというか、当時は年齢的に30歳までプレーするのは難しいと思っていました。身体も動かなくなるだろうし、どんどん若い選手が上がってきて、自分の居場所はなくなっていく。そもそも大学を卒業する時もバスケと関係ない仕事のお話もいくつかもらっていたので、バスケをするか迷ってはいましたね。
宮本 そうなんですね。
伊藤 はい。最終的にはアルバルクに入団させてもらって、30歳が近くなってきた時に、「もうちょっといけるな」って感じたんです。その辺からはやれるだけやろうと。でも、引退後はバスケットとは違う仕事がしたいと考えていて、実家がうどん屋を営んでいるので、飲食店の経営ができたらいいなとか。そんなことを考えていた時に30歳でレバンガ北海道に移籍したんです。そこで若手選手たちと接して、「こういうことも教える必要があるのか」とか「これを伝えておくとポジティブなことがたくさんあるぞ」って気づきました。正直、アルバルクでは練習をしていてもそんなことを考えることはなかった。その時にいわゆるコーチングが面白いと思い始めて、「引退したらコーチの道に進もうかな?」なんて考えも芽生えました。
宮本 ある意味、アルバルクしか知らなかったときは気づけなかったことだったんですね。新しい発見というか。
伊藤 そうですね。当時はアルバルクに入るルーキーとレバンガに入るルーキーでは差があったことは事実です。だから若い選手にまず教えたほうがいいことがわかったんです。そうすると折茂さん(折茂武彦/レバンガ北海道代表取締役社長)や桜井さん(桜井良太/レバンガ北海道)、多嶋(多嶋朝飛/茨城ロボッツ)とかと同じレベルのことをインプットできるんだなって。この選手にはこれを教える前にこれを教えておこう、これを教えたらもっとよくなるな、とか。将来コーチをするにしても元選手として伝えることは強みになると思いましたね。
宮本 今だからはっきり言ってしまいますけど、レバンガへの移籍は伊藤大司という選手にとってポジティブな状況ではなかったと思います。当時のアルバルクに残ることはプレータイムがほとんどないことを意味していたと……。
伊藤 そうですね。当時、そうは言われてないですけど、戦力外通告のような感じで自分は捉えていましたし、アルバルクに残るなら3番手のポイントガードになることを僕自身も感じていました。もちろんその生き方もあるけど、当時の僕はもっとやれると思ったので、プレータイムを求めるとか、自分のやりがいとか、自分を欲してもらえるチームにいきたい。それが移籍の理由でした。
宮本 じゃあ、すごくタイミングがよかったというか、色んなことを知れたし、自分にもっとできることあると分かった1年っていう感じですか?
伊藤 そうですね。JBL、NBLを経て、B.LEAGUEになった。企業が持っているスポーツチームからプロチームに変わっていって、地域密着のレバンガに移籍した。レバンガはクラブや選手が色んなことをやって、ファン・ブースターと距離を縮めていく。それが必要なことだと気づきました。ラジオやテレビにもかなり出させてもらって、北海道では街を歩いていると、「がんばってね」とか「試合よかったね」とすごく声をかけてもらいました。自分たちのチームを応援したいと思ってもらうために、僕らも思いを伝える必要があることをレバンガの1年間で学びましたね。

ファン・ブースター、スポンサー、地域の人たちがどれだけハッピーになるのか。

宮本 その後は滋賀にいきます。そこではどんな発見がありましたか?
伊藤 レバンガとも重なりますけど、本当に勝つだけではないことを感じさせてもらえたのは大きかったですね。アルバルクの特にJBLやNBLの時代は極論ですけど、優勝かそれ以外かって感覚でした。準優勝でも俺の人生はダメだっていう否定的な考えだったんですよね。ただ、それ以上のことがある。お金を払って観にきてくれているお客さんのためにプレーするとか、スポンサーさんのおかげで試合ができている、お給料をもらえていることに気づかせてもらえました。考え方の部分で大きいインパクトを与えてもらえましたね。滋賀のときに2時間かけて彦根に行って小学生にバスケを教えて、また2時間かけて帰ってきて、それから練習する日程があったんです。それまでだったら「はぁ?」ってなってたんですよね。「こっちは練習が仕事なのに」みたいな。生意気でしたね(笑)。
宮本 ハハハハハ。
伊藤 でも、彦根に行って子供たちのリアクションを見たら違うと気づきました。しかも、その子供たちが試合を見にきましたとか聞くと、やってよかったなって思いましたね。
宮本 お話を聞いていると、北海道を挟まないで、滋賀に行ってもおそらくダメだったのかなって思いました。
伊藤 そうかもしれないですね。僕にとっては本当にレバンガに行ったことが大きくて、今でもよく話すエピソードが札幌駅の地下に選手が変な顔をしている写真を集めたでかいポスターが掲載されたことがあって、折茂さんは顔を加工で赤くして、ネクタイを頭に巻いてたりして(笑)。そこに「俺たちに失うものは何もない」って書いてあったんです。衝撃的でしたね。それぐらいさらけ出して、皆さんに喜んでもらって応援してもらえればそれでいいんだって僕は受け取ったんです。もちろんセルフブランディングとか色々ありますけど、ファン・ブースター、スポンサー、地域の人たちがどれだけハッピーになるのかが、まず大事なんだって思いましたね。

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