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平坂のカフェ 第3部〜秋は夕暮れ〜(8)

静寂が平坂のカフェに戻る。
 スミは、猫のケトルを五徳の上に置き、火を掛ける。
 そして床に突っ伏したままのカナを見た。
「終わったぞ」
 スミは、静かに言う。
「お前を苦しめるものはもうない。コーヒーを淹れるから元気を戻せ」
 スミは、いつものように「どうせ苦いんでしょう?」と皮肉混じりに帰ってくることを期待した。
 しかし、カナからその言葉が返ってくることはなかった。
 返ってきたのは・・・。
「・・・なさい」
 それはあまりに掠れて聞き取れなかった。
「なんだ?」
 スミは、思わず聞き返す。
「ごめんなさい」
 今度は、はっきり聞き取れた。
 そして堰を切ったようにカナは、狂い出す。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
 カナは、何度も何度も誰かに向かって謝る。
「おい、どうした?」
 カナは、顔を上げる。
 いつの間にかカナの眼帯が外れていた。
 そこから現れたのは白い目だった。
 ガラスのような白い目がスミを映す。
 白と黒、両の目から涙が流れ落ちる。
「ごめんなさい、私のせいだ・・・私のせいで貴方は・・・」
 しかし、カナの言葉がこれ以上聞こえることはなかった。
 口がパクパクと動き、呼吸音が激しく漏れる。
 それでもカナは口を動かした。
 必死に、狂うほどに。
 夕日が消えていく。
 それに合わせるかのようにカナの身体が消えていく。
「ごめんなさい」
 カナの身体が消える。
 カナの涙声が平坂のカフェを木霊する。
 夕日が完全に消え去り、暗闇が平坂のカフェを支配する。
 暗闇の中、スミは、カナの消え去った空間をずっと見ていた。

             冬は雪につづく。
#小説
#第3部完
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