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エガオが笑う時 第2話 感謝とお礼(1)

 風に煽られてせっかく結い上げた髪が解ける。
 きつく縛られていた金色の髪は解放されたことを喜ぶように風に乗って舞う。
 ごわついて固かった髪もマダムに薦められたシャンプーで洗うようになってから細胞ごと取り替えたかのように質感が変わった為、緑の匂いを含んだ冷たい風に逆らうことなく揺らめきながら舞い上がり、空に登ったばかりの朝焼けに当てられて煌めいている。
 私の髪の色ってこんな色をしてたんだと自分のことなのに驚く。
 私は、何とか髪を纏めようと手で押さえていると前方から笑うような嘶きいなな声が聞こえる。
 風が緩やかになり、下腹部に響いていた振動が静かになる。
 黒く、大きく、そして凛々しい馬の顔が後方に振り向き、燃えるような赤い目で私を見ていた。
 赤い目の中に髪を必死に押さえる水色の大きな瞳の少女、私が映っている。
 笑顔のない私の顔が。
 笑顔のないエガオの顔が。
 私は、黒馬の首筋をそっと撫でる。
「大丈夫よスーちゃん。髪が解けただけだから」
 そう言うとスーちゃんは、赤い目を細め、じっと私の顔を見て、そして前を向いて再び走ることに集中する。
 風が柔らかく吹き上がる。
 景色が本の頁が指で弾かれるように加速して動き出し、髪の毛が再び舞い上がる。
 私を背中に乗せたスーちゃんは、鋼のように固く、引き締まった6本の脚を繰り出し、山間を駆け上がる。その速さは蹄の先から火を噴き出しているのではないかと勘違いすることほどほどになのに体幹はとても安定しており、多少の振動はあるものの並の馬よりも遥かに静かで手綱を握る必要すらない。
 ただ、身体に纏った板金鎧プレートメイルの金属音だけが耳に響いた。
 スーちゃんと言うのは黒馬、正確にはスレイプニルと言う6本脚の希少種の軍馬の名だ。本来はその種名の1番上を取って"スー"と言う名前らしいが飼い主が"スーやん""スーやん"と呼ぶので客の間ではそれで定着してしまっていた。しかし、女の子に対して流石に"やん"はないだろうと思い、私は、スーちゃんと呼ぶようにしている。
 スーちゃんもそう呼ばれることに悪い気はしてないようで私を勝手な解釈だが好意的に見てくれてる気がする。
 まだ、短い期間ではあるがこの強く、逞しく、そして美しいスーちゃんのことをとても好きになっていた。
 私とスーちゃんは、王都から少し離れた山間を走っていた。少しと言っても並の馬なら3時間はは掛かる距離だがスーちゃんの6本脚は夜明け前に出て1時間も経たない間に山を駆け上っていた。
 その目的は・・・食材調達だ。

 水の落ちる音が聞こえ始めるとスーちゃんは、速度を緩め始め、舞い上がってきた髪が肩に落ちる。
 この隙にと私は、髪を結い上げる。と、言ってもマダムのように上に持ち上げたりとか細かくは出来ないので大雑把な三つ編みだ。
 私とスーちゃんが着いたのは深い山間の森を抜けた小さな草原だ。日差しが温かく、空が絵の具を溶かしたように薄く透き通って見える。草原には名前の知らない色鮮やかな花々が咲き、甘い香りを漂わせている。
 水の落ちる音は、奥に見える小さな滝だった。
 滝の下には澄んだ水が溜まり、そこから細い筋が流れて小さな川を作っている。
 気持ちが良い。
 私は、水色の目を閉じる。
 王国の戦闘部隊メドレーにいた所属していた時、それこそ森の中になんて数えきれない程入っていた。しかし、それは訓練の為であったり、帝国軍の隙をつくための夜襲であったり等、気持ち良さとは無縁なものであった。
 森が、水の音が、日差しがこんなにも,気持ちの良いものだなんて知らなかった。
 スーちゃんが静かな足取りで川に近寄っていく。あれだけ速く走れて、こんなにも大きいのにスーちゃんの蹄からは馬特有のけたたましい音はしない。洗練された貴婦人のように軽やかな足取りと美しさだ。
 川まで来るとスーちゃんは、大きくて綺麗な首を下げて水を飲み始める。確かにあれだけ走れば喉も渇く。
 そういえば私も喉が乾いたな。
 私は、スーちゃんの背中から降りるとその横に膝を付いて座り、透き通った水を手で掬い、飲もうとする。と、突然スーちゃんが川から顔を上げて、大きく嘶くいなな
 私は、突然、怒り出したスーちゃんに驚いて目を瞠る。
「どうしたの?」
 私の質問にスーちゃんは、川を鼻で指して首を横に振る。
「水・・飲んじゃダメってこと?」
 自分は、飲んでるのに?
 私の質問は当たっていたようでスーちゃんは、首を縦に振る。
 私は、訳がわからず眉を顰める。
「何で?喉がカラカラなんだけど?」
 戦場では水が飲めないなんて良くあったが目の前にあるのに飲むなと言われたのは初めてだ。新手の拷問かな?
 スーちゃんは、鼻先を自分のお尻の方に向ける。
 そこには食材調達用の皮袋と、反対側には大きな鞄がベルトで締められており、スーちゃんの鼻は鞄を指していた。
「開けろってこと?」
 私が訊くとスーちゃんは、大きく頷く。
 私は、スーちゃんに促されるまま開けると黄緑色の小さな箱が出てきた。
 私は、箱を持ち上げる。
「これは?」
 私の質問にスーちゃんは、鳴き声と鼻のジェスチャーで箱を開けろと促す。
 私は、訝しみながらも箱を開ける。
 その瞬間、芳醇な香りが鼻腔を満たした。
 箱の中から現れたのは鶏肉、ハム、チーズ、卵、そして数種の野菜をクロワッサンで挟んだサンドウィッチだ。しかも2つもある。その横には蓋がコップになった銀色の水筒が寝そべるように横になっていた。
 私は、銀色の水筒を手に取り、これを準備くれたであろう人物の出発前に言われた言葉を思い出す。

『生水飲むなよ』
 出発前に黒いタンクトップに鳥の巣のような髪をした男、カゲロウはそう言って無精髭を弄って笑っていた。

 私は、スーちゃんの顔を見る。
 スーちゃんは、赤い目でじっと見る。
 その目はまるで『ようやく分かったか』と呆れているように見えて私は唇を尖らせる。
「しょうがないじゃない。お茶なんてゆっくり飲めることなんてなかったんだから。それに私お腹丈夫だから・・」
 しかし、スーちゃんは、私の言い訳なんて聞く意味ないと言わんばかりに草を喰み始める。
 私は、むすっと頬を膨らませて銀色の水筒の蓋を開ける。濃縮で心地よい甘い香りが水筒から立ち昇る。
「これって・・・」
 私は、水筒の蓋をコップにして中身を注ぐ。
 透き通った琥珀色の温かい液体が満たされる。
 私は、導かれるように唇をコップに乗せる。
 熱い、甘酸っぱい味が口の中に広がり、舌を震わせる。
「アップルティーだ」
 メドレーにいた時、滅多に飲めない、そして唯一の甘い飲み物。
 私は、唇を近づけてもう一口飲む。
 美味しい。
 今まで飲んだどんなアップルティーよりも美味しい。
 身体だけでなく心の奥にまで甘さと温かさが染み込むよう。
 私は、ふうっと息を吐く。
 そして一つの疑問が浮かび、スーちゃんを見る。
「私・・カゲロウにアップルティー好きって言ってたけ?」
 しかし、スーちゃんがそんな私の質問に答えるわけもなく、せっせと草を喰んでいる。
 私は、小さく嘆息し、コップを置いてクロワッサンのサンドウィッチを取ると口に運んだ。
 サクッと言う感触が歯と顎に伝わる。
 鶏肉、トマト、レタス、卵、そしてソースと共通点のない味が口の中で混ざり合って蕩けるような旨味に変わる。
 私は、小川のせせらぎと日差しの温かさ、花々の匂いを感じながらゆっくりとその味を楽しんだ。

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