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エガオが笑う時 間話 とある姫の視点(2)

 私は、口元を両手で覆い、その場に膝を付く。
 溢れてくる涙が視界を歪ませる。
 リヒトは、何が起きたか分からず、私とカゲロウお兄ちゃんを交互に見る。
 お兄ちゃんは、こちらには振り返らず奥に立つヌエを鳥の巣のような髪に覆われて見えない目で見据える。
 ヌエは、驚愕に細い目を開く。
「何故、貴様がここにいる⁉︎」
 ヌエの言葉に私は眉を顰める。
 お兄ちゃんとヌエはどこかで面識があるのだろうか?
 お兄ちゃんのことを知っている人なんて帝国にいるはずがないのに。
「あの娘の一撃を受けて死んだのではなかったのか?」
 あの娘?一撃?
「勝手に殺すな」
 お兄ちゃんは、呆れたように言う。
「俺があいつの攻撃を受けて死ぬ訳にはいかんだろうが」
 そう言ってタンクトップ越しに自分の胸を触る。
「ユキハナ・・・」
 リヒトが声を震わせて私を呼ぶ。
「彼は・・一体どこから・・・」
 リヒトは、ヌエと対峙するお兄ちゃんを怯えた目で見る。
「彼のことを知ってるの?セツカって?」
 どんなに怯え、混乱していても聡明な彼は私とお兄ちゃんの会話から気になる言葉を摘み、質問に変えてくる。
 私は、言葉に詰まった。
 恐怖からではない。
 お兄ちゃんのことを説明することが、口に出すことが出来ないからだ。
 それが兄の・・・。
 熟し過ぎた苺のような匂いがバルコニーに広がる。
 この匂いは・・・!
 私は、反射的に鼻と口を塞ぐ。
 ヌエも匂いの正体に気づいて鼻と口を塞いで手摺りまで飛び退く。
 恐怖に怯えていた侍女の動きが止まる。
 柳のように身体が揺れ、顔中の筋肉が緩んで蕩けた顔になるとそのまま力なく膝を付いて倒れ伏す。
「ユキ・・・ハナ・・・」
 リヒトは、トロンッとした顔をして身体を揺らし、そのまま倒れる。
 整った顔立ちが幼い子どものように緩み、小さな寝息を立てる。
 これは・・・。
「眠りの魔印?」
 私が思ったことをヌエが口に出す。
 そう、このバルコニー全体に漂う苺のような香りは眠りの魔印の特徴だ。
 しかも、魔印に耐性のある者でなければ一瞬で夢の世界に落ちてしまうほどの強力な。
 ヌエは、お兄ちゃんを睨みつける。
「貴様か・・・」
 お兄ちゃんは、何も言わない。
 ヌエは、舐め回すように視線を動かしてお兄ちゃんの身体を見る。
 どこかに魔印が刻まれているのではないか、と。
「貴様は帝国の者か?」
「まあ、一応な」
 お兄ちゃんは、顎髭を擦りながら答える。
「魔法騎士か?」
「そんな大層なもんじゃねえよ。単なる料理人だ」
 料理人⁉︎
 私は、驚いてお兄ちゃんの背中を見る。
「何故、私の邪魔をする?」
 ヌエは、細い目でお兄ちゃんを睨む。
「帝国と王国の和平の為か?」
「それもあるが・・・」
 お兄ちゃんは、一瞬、私の方に顔を向ける。
「妹を守るのは兄の務めだからな」
「妹?」
 ヌエは、眉根を寄せる。
「ユキハナ姫に兄はいないはずだ」
 ヌエの言葉に私は、息を飲み込む。
「そりゃまあ確かに」
 お兄ちゃんは、顎髭を擦る。
「ユキハナに兄はいないぜ。あの性悪女にたしなめる身内がいたら帝国は違う形になってたはずだからな」
 お兄ちゃんの言葉にヌエは眉を顰める。
「どういう意味だ?」
「特に深い意味はない。それより・・・」
 お兄ちゃんは、あの顎を摩る手を止める。
「もうこんな馬鹿な真似は止めたらどうだ?こんなやり方じゃ世界は変わらない」
 お兄ちゃんの言葉にヌエの顔色が赤く染まる。
「お前に何が分かる・・・」
 紫電の五指が震え、小さな雷が走る。
「地位を、名誉を奪われ、地に堕とされた我々の何が分かる・・!」
 ヌエは、憎々しくお兄ちゃんを睨む。
 しかし、お兄ちゃんは、表情を変えることなくヌエを見据える。
「分からないし、理解しない」
 お兄ちゃんは、はっきりと答える。
 ヌエの表情が怒りに歪み、紫電の五指から稲光が迸る。
 それでもお兄ちゃんは冷徹に表情を変えない。
「エガオはな・・・」
 エガオ?
「ずっと信じてたもの王国に裏切られた。幼い頃から国を守る、人を守ると教育され、信じてきたのに何の前触れもなく裏切られたんだ。お前達のように」
 お兄ちゃんは、胸元を触る。
「それでもあいつは国にも人にも復讐しようとはしなかった。傷つき、迷い、苦しみながらも自分の新しい道を見つけようと頑張ってきた。今だってそうだ。本当は辛いはずなのに自分を信じてくれる人達の為に命をかけている」
 お兄ちゃんは、胸元をぎゅっと握りしめる。
 捲れたタンクトップの下から大きく歪んだ傷跡が見えた。
「だから俺は、お前達を理解しない。それはあいつの生き方を否定することになるから。そして・・」
 お兄ちゃんは、タンクトップから手を離し、鳥の巣のような髪に隠れた目を向ける。
「妹の為に、あいつの為にもお前をこのままにしておくことは出来ない」
 紫電が迸る。
 五指の形が崩れ、無数に散らばった紫電がバルコニー全体を包み込む。
「私も民草に理解してもらおうなんて思っていない」
 ヌエの表情が亀裂が走るように歪む。
「従うのが当たり前と思っている王族に、助けてもらうのが当然と思っている民草どもに騎士の誇りが分かってたまるか・・」
 紫電が荒波のように蠢き、縫い付き、重なっていき、形を成していく。
 それはまるで地獄の蓋が開いて現れた悪魔の形相のように見えた。
「光栄に思え」
 ヌエは、笑う。
「これから私達が創る新たな世界の生贄になれる事を」
 悪魔の口が大きく開く。
「塵も残さず消え失せろ!」
 その瞬間、紫の光が私達の視界を埋め尽くした。
 私は、あまりの眩しさと恐怖に両腕を重ねて視界を覆う。

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