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明〜ジャノメ姫と金色の黒狼 第1話 猫の額に住む狼

 蕗の茎に触れると大きな葉から朝露が溢れて指先に落ちる。
 アケは、じんわり身体の奥に染み渡るような朝露の冷たさを心地よく感じながら蕗の茎を2本の指先で擦る。
 若くて食べ頃だ。
 アケは、土の上に置いた鎌を持つと茎に当てて、思い切り引く。茎は小気味の良い音を立てて切れ、切り口から透明な液が垂れる。
 それだけでこの蕗の生命力の強さが分かる。
 アケは、立ち上がると腰をぐぅっと伸ばす。
 もう直ぐ20を迎えると言うのにこの腰の痛みはまずいと思いながらもそれが運動不足や同じ姿勢を保っていたからだけではないことは何となく分かっていた。
 それを思い出すだけでアケの白い頬が赤く染まる。
 アケの容姿や佇まいはとても美しい。
 腰まで伸びた黒髪は春の小川のように輝き、綺麗に切り揃えた前髪が額を隠す。白い肌は新雪のように清らかで輪郭も滑らかで整っている。茜色の着物越しにも無駄な肉がついていないことが分かる身体の線、動きやすいよう捲し上げた袖と裾から覗く手足は細いだけでなく程よく筋肉もついていて健康的だ。そしてその姿勢の良さや品の良い佇まいは彼女の育ちの良さを表していた。
 しかし、彼女を見た時に最初に注目するのはその目であろう。両目のある部分は黒い布で覆われ、前髪に同調して最初から目など存在しないかのように包まれていた。彼女の美しさのお陰でそれが痛々しく映ることはない。が、同情や哀れみを他者に思わせるには十分なものだ。
 しかし、アケは目が隠されているなんて感じないほどにキビキビと動く。
 切り取ったばかりの蕗を編み籠に入れ、鎌の刃に革の鞘を被せて帯に差す。そして編み籠を両手に担ぐと木々種々が生い茂る森の中を迷うことなく鼻唄まじりに歩き出す。
"猫の額"の森は未開拓で深い。
 慣れないものなら足を進ませようとするだけで躊躇し、風で葉が揺れるだけで震え、奥を覗くだけで恐怖を掻き立ててしまう。
 そんな森の中を彼女はスタスタと歩く。
 目的のものを目指して。
 そしてそれは直ぐに見つかった。
 棘付き棍棒のような太い幹から生えた親指のような新緑の芽・・・タラの芽が。
 アケは、表情を輝かす。
 幹についた鋭い棘など気にも止めず、アケは白く細い指先で丁寧にタラの芽を摂っていく。
 その間にアケの頭に浮かぶのは採れたての山菜を頬張って喜ぶ彼の姿だった。
 それだけでアケの身体に力が漲り、タラの芽を採る手が早くなる。
「アケ様あああ」
 キーの高い子どものような声がアケの耳に響く。
 木々を掻き分けるように現れたのは巨大な白い影。
 雪玉のように膨らんだ胴体と白い毛、剣のように尖った耳、紅玉ルビーのような丸くてつぶらな瞳、そして大きな身体にはあまりにも不似合いな愛らしい顔。
 それは2メートルはあろうかと言う巨大な白兎であった。
 白兎は、表情こそ変化しないもののとても焦った様子で肩で息を切らしながら赤い目でアケを見る。
「オモチ」
 そんな白兎にアケは、穏やかな微笑みを向ける。
「どうしたの?そんなに慌てて?」
「慌ててじゃありませんよ!」
 オモチと呼ばれた白兎は、思わず声を荒げる。
「こんなところで何をしているんですか⁉︎」
 オモチと呼ばれた巨大白兎は、赤い目をギラギラに光らせて怒る。その声の奥には若干の怯えも見られていた。
「何って・・・・」
 アケは、小首を傾げながら編み籠をオモチの前に出す。
「山菜を採ってたのよ。朝じゃないと新鮮な物が採れないから」
 編み籠の中にはタラの芽や蕗だけでなくコシアブラや葉わさび、ウドも所狭しと入っていた。
「主人が好きだからいっぱい採っちゃった」
 アケは、頬を赤らめて恥ずかしそうに言う。
 オモチは、表情こそ変わらないが目からギラギラが取れ、少し呆れたようにアケを見る。
「やっぱり天麩羅がいいよね?ワラビもあったら小豆を使ってわらび餅を作りたかったけど見当たらないのよね」
 アケは、唇の端に人差し指を当ててうーんっと悩む。
 何とも愛らしいその姿にオモチは、怒るのも忘れてしまう。
「メニューは、後で考えてとりあえず戻りましょう。王も心配されてます」
 王と言う言葉にアケは、反応する。
「主人が⁉︎」
「朝起きたら急にいなくなってるんだから当然ですよ。アケ様は自分のお立場と言うのも少し・・・」
 しかし、アケは、もうオモチの言葉など聞いていなかった。
 編み籠をしっかりも抱えると踵を返して走りだす。
「早く戻らないと!」
 見かけからは想像も付かない速さで走るアケをオモチは、慌てて追いかける。
 兎なのにその走り方はあまりに人間臭い。
「アケ様あああ!そんなに早く走らないでください!」
 オモチは、必死に追いかけ、声を上げる。
 しかし、アケは走りを止めない。
 一直線にひたすら走る。

 焼けた臭いがする。

 オモチは、小さな鼻を動かす。
「アケ様!」
 アケも異変に気付いたのか走りを止める。
 枝と草を踏み締める音がする。
 焼け焦げる臭いが強くなる。
 オモチは、アケの前に立つ。
 木々を掻き分けるようにそれは姿を現す。
 地鳴りを思わせる唸り。
 茶色く汚れた固く大きな牙。
 そして巨岩を連想させ、橙色に燃え上がる体躯。
 それは全身を炎に包んだ巨大な猪であった。
火猪ひのしし
 オモチは、奥歯を噛み締めるようにその名を呼ぶ。
 火猪は、その巨大な体躯を屈めながらアケとオモチに近づいてくる。
 火猪の身体に触れた木々や葉が焼け焦げ、草が炭化する。
「ヒノシシ?」
「文字通り、身体に火の精霊を蓄えた猪です。普段はとても大人しくて、火も威嚇する時しか出さないはずてすが」
 オモチは、アケを庇い両手を広げる。
「なんか・・・怒ってるようだけど・・・」
「理由は分かりませんが僕たちを敵と見なしているようです」
 火猪は、足で土を踏みしめながら唸り声を上げる。
 身体から飛び散る火の粉がオモチの白い体毛を焼く。
「何に猛っているかは知らんが・・・」
 オモチは、祈るように両手を合わせる。
「アケ様に手を出すことは僕が許さん」
 オモチの手の周りに緑色の円が現れる。
 円の中に複雑な紋様が描かれ、小さな魔法陣が生まれる。
 オモチの周りの土が盛り上がり、無数の土の塊が浮かび上がる。
「アケ様・・・お下がりください!」
 しかし、アケは下がらない。
 見えないはずなのに火猪の何かをじっと見ている。
 火猪が身を低く構え、今にも飛びかかろうとする。
 オモチの回りに浮かぶ土礫が一斉に火猪を射程に定める。
「待ってオモチ・・・」
 しかし、アケの声は2匹には届かない。
 2匹は、戦いを始めようとする。

 刹那。

 空気が震える。
 ひれ伏したくなるような威圧感が木々を揺らし、オモチと火猪の身体を突き刺す。
 火猪の目に恐れが浮かぶ。
 橙色の炎が水を掛けられたように消え去り、茶色の体毛をした猪本来の姿が現れる。
 オモチの魔法陣が消える。
 土の礫が崩れ、地面に落ちる。
 2匹は、怯えを隠そうともしない。
 ただ1人、アケだけが嬉しそうにはにかんでいる。
 それは悠然と立っていた。
 オモチや火猪を裕に超える黒く大きな体躯の周りを金色の光が覆う。
 力強く大地を踏み締める4本の足。
 割れるように開かれた赤い口に氷のような白く鋭い牙。
 金色の瞳を持つ鋭い双眸。
 それは黄金に輝く黒い狼だった。
「何をしている?」
 唸るような息とともに声が発せられる。
 それだけで火猪の身体が震える。
「王!」
 オモチは、右腕を逆の肩に当てて頭を下げる。な
「主人・・・」
 アケは、嬉しそうにその名を呼ぶ。
 狼は、金色の双眸をアケに向けて小さくため息を吐く。
「探したよ。アケ」
 その声は、外見からは想像も出来ないほどに優しく、血の通ったものだった。
「勝手に出歩いちゃダメと言ったろう」
「ごめんなさい」
 アケは、しゅんっと肩を小さく萎める。
 狼は、オモチに目を向ける。
「よく見つけてくれた。礼を言う」
「滅相もございません!」
 オモチは、何度も何度も首を垂れる。
 次に狼は、火猪に目を向ける。
 火猪の目に恐怖が過ぎる。
「今のところ肉は足りていると思ったが・・・」
 狼は、足を火猪に向ける。
「身内を襲ってくるような輩がいるのは安心できないな」
 狼の顔の前に黄金の魔法陣が現れる。
 オモチの作った魔法陣よりも遥かに複雑で美しい魔法陣が。
「申し訳ないが狩らせてもらおう」
 火猪の足元が蠢く。
 火猪自身の影から幾つもの黒い鎖が現れる。それは海底に生えるイソギンチャクのように金属音を立てて揺めき、蛇のように鎌首をもたげると一斉に火猪に襲い掛かる。
 火猪は、抵抗する間もなくその巨躯を縛り上げられる。
 火猪は、苦鳴を上げる。
「その命、大切に頂こう・・・」
 狼は、目を閉じる。
「さらば」
 黒い鎖が耳障りな金属音を上げて蠢き、火猪を締め殺そうとする。
「待って!」
 アケが狼の首元に飛びつく。
 狼は、驚いて目を開ける。
 黒い鎖の拘束が緩む。
「アケ?」
「その子を殺さないで」
 アケは、ぎゅっと狼の首にしがみ付く。
「あの子は怯えてるだけなの。見て」
 狼は、言われるがままに火猪を見る。
 火猪の足に大きな傷が出来ているのか見える。
 何かで大きく裂けたような傷が。
「これは・・・」
 狼は、黄金の目を細める。
「怪我をして怯えていただけなのよ。だから殺さないで」
「しかし・・・」
「生きる以外の目的で狩ってはいけない・・・でしょう?」
 狼は、黄金の目でアケを凝視し、そして小さく息を吐く。
 火猪を拘束していた黒い鎖が消える。
 火猪は、その場に音を立ててへたり込む。
「オモチ」
「はっ」
「その猪の傷を癒してやれ」
 オモチの赤い目に驚きの光が走る。
「しかし・・・」
「構わん」
 オモチは、頭を下げると辺りを見回し、一枚の葉を見つけると丁寧に抜き、自分の口の中に放り込む。しばらくモゴモゴしてからべっと自分の手の平に吐き出すとそれを手に持ったまま火猪に近寄る。
 火猪が威嚇の唸り声を上げる。
「心配するな」
 オモチは、ペースト上になった葉を火猪の傷口に塗りつける。
 火猪が悲鳴を上げて悶える。
「大丈夫よ」
 いつの間にか火猪に近寄っていたアケが優しく声を掛け、火猪の頭を撫でる。
 もう身体から火が消えたと言うのに焼けるような熱が残っている。
 それだけこの子は怯えていたのだ。
 かつての自分のように。
 アケは、自分の手が火傷するのも構わずに優しく火猪を撫でた。
 葉のペースト塗り終えるとオモチは、その傷口に手を翳すと水色の魔法陣が現れる。魔法陣はその色の如く水のように形を変えてと傷口に塗られたペーストに入り込むと一瞬、光を放ち、そのまま消え失せる。
 火猪の目が大きく開き、ゆっくりと立ち上がる。
 その動きに押され、アケが蹌踉けるも狼が腹で支える。
 火猪は、傷のある足を何度も動かし、痛みが無くなったことを確認する。
「治った訳ではない。薬と水の魔法で痛みが引いてるだけだ」
 オモチは、手に残った葉の残骸を舐め取りながら言う。
「日が2回昇るまでは静かにしてろ。そうすれば治る」
 火猪は、じっとオモチを、狼を、アケを見る。
 アケは、口元に笑みを浮かべて小さく頷く。
「・・・去れ」
 狼が短く、強い声で言うと火猪は、ゆっくりと踵を返す。そして一瞬、アケの方を向き、そのまま首を戻して去っていった。
「ありがとう・・・主人」
 アケは、狼の首元に顔を埋める。
 狼は、大きく口を開いてアケの襟元を咥えるとそのまま持ち上げて自分の背に乗せた。
「帰るぞ」
「うんっ」
 狼は、アケを背に乗せたまま歩き出す。
 その後ろを編み籠を持ったオモチが追いかける。
 暗い森の中を進んでいくと段々と日が届き、明るくなっていく。
 アケは、幸せそうに狼の黒い毛の中に顔を埋める。
 森が開かれると現れたのは太陽の光に照らされて輝く水色の円柱の形をした屋敷であった。
 赤い屋根に小さな四角い煙突、水色の壁は煉瓦造りで白いアーチ型の窓が幾つもついている。入り口は窓と同じアーチ型の両開きの木造の扉だ。
 屋敷の周りは丸太を交互に重ねた背の低い柵で囲われており、敷地内には畑が耕され、青々とした作物や果実が植えられている。その間を這うように小川が流れ、その先には小さな水車小屋まである。反対側には鶏小屋もあり、たくさんの鶏が走り回っている。
「着いたぞ」
 狼は、アケを乗せたまま木の柵を抜け敷地内に入る。その後をオモチが続く。
 変化が現れる。
 狼の身体を包む黄金の光がさらに強くなり、目が眩むほどに輝き出す。そしてその形が陽炎のようにボヤけたかと思うと姿が変化していく。
 4本の四肢の形が変わる。指が形成され、腕が伸びる。身体が直立に伸び、身体中に生えた黒い毛が引っ込んでいく。耳が消え、顔がへっこみ、輪郭が変化する。
 黄金の光が消え、狼の姿は無くなる。
 その変わりに現れたのは金糸で花の刺繍をされた異国の黒い長衣を纏い、長い黒髪に黄金の双眸を携えた18、9くらいの美しさと幼さを残した顔だちの青年であった。
 そして青年の腕にアケは抱き抱えられていた。
 アケは、青年の顔を見ると微笑んでぎゅっと首に手を回す。
「主人」
 青年もぎゅっとアケを抱きしめる。
「主人というのは止めてくれと言ったろ。アケ」 
「主人は主人だよ。アケの夫だもの」
 アケは、不満そうに頬を膨らませる。
「そうだけど・・・」
 青年は、不服そうに言うとアケの身体を起こして顔を見合わせる。
「名前で呼んでほしい」
 少年の黄金の双眸がアケの顔を見る。
「君の付けてくれた名前で」
 青年がそう言うとアケは、嬉しそうに微笑んで再び首に手を回して抱きつく。
 そして少年の耳元で囁く。
「ツキ」
 青年・・ツキは、嬉しそうに微笑んでアケをギュッと抱きしめる。
「さあ、手当てを終えたら食事にしよう」
「手当て?」
 アケは、小首を傾げてから気づく。
 火猪を撫でて火傷した自分の手に。
 アケは、幾つも水膨れの出来た自分の右の手の平を見て顔を顰める。
 ツキもじっとその手を見て、ぺろっと自分の舌で彼女の手の平を舐めた。
 突然のことに声に出せない悲鳴を上げて頬を紅潮させるアケ。
「少しは自分のことも労われ」
 ツキは、何事もなかったかのように言うとアケを担いだまま屋敷へと向かった。
 アケの心臓はもう爆発寸前まで高鳴っていた。
 その様子を見ていたオモチが小さく嘆息する。
「イチャイチャは、僕のいないとこでして下さいよ」
 そう1人愚痴りながら2人の後ろをトボトボと付いていった。
 渡り鳥が群れをなして2人と1匹の真上を飛んでいく。
 彼らの目にはケーキのように切り分けられた断崖絶壁の頂上、".猫の額"呼ばれる場所に建つ水色の屋敷が穏やかに映っていた。

 これは人が足を踏み入れることのない"猫の額"に暮らす"災厄"と呼ばれた人の姿を成す狼とジャノメ姫と呼ばれる少女の話し。

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