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ジャノメ食堂へようこそ 第3話 お薬飲めたね(1)

「本当にこちらでよろしいんですか?」
 男の前に湯気の上がるお椀を置いてからアケは不安そうに訊く。
 男に提供した物、それは昨夜、緑翼の少女、可憐な容姿と目が覚めるような新緑の色からウグイスと呼ぶようにした少女達に振る舞った鹿肉と川魚の塩炊き込み鍋の残りだ。今朝もウグイス達に催促されて出したのでこれが最後の一杯。肉は一枚、川魚と芋はほとんど煮崩れし、葉物も溶けて、出汁も濃くなった。
 正直、人に提供するような物ではない。
 今朝、水に浸しておいたアレをもっと早く準備しておけば良かったと後悔した。
「構わない」
 男は、黄金の双眸をアケに向けて言う。
 アケは、あまりにも美しい男の双眸に頬が紅潮するのを感じた。

 男は、突然やってきた。

 それじゃあ、やろうよ。ジャノメ食堂!

 昨夜、アケの料理に感動したウグイスが雷のように放った突拍子もない提案。
 ウグイスの勢いと"アケの居場所にしよう"と言う言葉に押されてついつい頷いてしまった。
 しかし、それでもウグイス達にご飯を振る舞うぐらいのものだろうと高を括っていたが・・侮っていた。
 ウグイスは、アケが頷くや否や家精シルキーに話して屋敷の部屋の一部を食堂として提供して欲しいとお願いすると家精シルキーは、目を輝かせて喜び、本来は来賓室であったと言う1番大きな部屋を綺麗に改造して食堂へと作り変えた。
 大きなテーブルを生み出し、壁紙を綺麗にし、床を張り替え、出入りが自由できるように壁が外れて大きな折りたたみ式のガラス張り式の窓に変わった。水を溜めたり、食器が直ぐに洗えるように水道まで引かれている。
 流石に室内で火を起こすわけにはいかないので庭に調理台を作り、背中に篝火のような火を燃やす、濃い茶色なのでアズキと名付けた猪に釜戸の代わりをお願いした。
 そんな感じで全てをお膳立てされ、アケはもはや言葉を取り消すことが出来なくなってしまった。
「お客さんって言うの?たーくさん呼ぼうね!」
 天真爛漫。
 その言葉に相応しい笑顔でウグイスは明るく言った。
 それでもウグイス達が連れてくる以上の客が来るはずはない。そう思っていたのに・・。

(まさか、こんなに早くお客様が来るなんて・・)
 アケは、蛇の目でちらりっと男を見る。
 男は、嵩のあまりに少ない椀を黄金の双眸でじっと見る。
 その端正で野生味のある顔立ちは絵から出てきたかのように現実味がなく、黄金の双眸さながらに月から舞い降りたのではないかとすら思わせる。
 しかし・・・。
(やっぱりどこかで見たことある気がする・・)
 どこだかは分からない。と、言うよりも男性と接するなんて護衛という名目で近くにいた武士以外ではあの子しかない。でも、どうしても既視感が拭えない。
 アケは、じっと男の横顔を見続ける。
 黄金の双眸がこちらを向く。
 アケの心臓がばくんっと鳴る。
「ど・・・」
 アケは、震える声で何とか言葉を紡ぐ。
「どうされましたか?」
 男は、アケの顔をじっと見て、そして椀に視線を戻す。
「これはどう食べればいい?」
「えっ?」
 男は、再び視線をアケに向ける。
「指を入れて食べる物ではないのだろう?」
 男の言葉の意味を理解したアケは慌てて外に出ると調理台の引き出しから木製の匙を取り出して部屋の中に戻る。
「これを使ってお食べください」
 アケは、そっと男の前に木の匙を置く。
 男は、黄金の双眸を細めて匙を見る。
「こんな物があったのか?」
 男は、匙を人差し指と中指で摘んで持ち上げる。
「貢物に入っていたそうです」
 それ以外にも箸や楊枝、皿や湯呑みもあり、そんな物まで貢物として差し出していたなんてと驚いたが、一時期、茶器や食器などが高額で取引された時期があったのでその影響かも知れない。
「ふうん」
 男は、柄の方を下に向けてそのまま椀に突っ込もうとした。
「待ってください!」
 アケは、慌てた止める。
 男は、顔を顰めてアケを見る。
「匙の頭の部分を下にして食べるんです」
 アケは、匙を持つ真似をして食べ方を教える。
 しかし、男はイマイチ分からないようで眉の皺を深くする。
 アケは、真似で教えるのを諦める。
「失礼します」
 アケは、男の手にそっと自分の手を添える。
 男の黄金の双眸が大きく開く。
 アケは、匙の向きを変え、男の手に握らせる。
「こうやって掬ってお食べください」
 アケは、男の手を動かし、匙の使い方を教える。
「・・・なるほど」
 男は、頷く。
 アケは、手を離す。
 男は、匙を椀の中に匙を入れて汁を掬うと唇に運ぶ。
「・・・美味い」
 男の言葉にアケは、ほっと胸を撫で下ろす。
 そして今更ながらに彼の手を握ってしまったことに気づき、頬を苺のように赤らめ、動揺する。
(私ったら・・なんて・・)
 大胆なことを!
 しかし、男はそんなアケの心境など知らずに匙を器用に使って魚の身を掬い、肉を切って口に入れる。
「面白い物だな」
 男は、匙を見て小さく笑う。
「今度、みんなにも教えてやってくれ。喜ぶはずだ」
「は・・はいっ」
 アケは、頬を赤く染めたまま大きく頷く。
 みんなと言うのはここに来るお客のことだろうか?
「少し落ち着いたか?」
「えっ?」
「ここに来て落ち着いたか、と聞いている」
 男は、匙で口に入れながら言う。
「いえ・・まだ・・」
 色んなことが起こりすぎて正直、頭の中は散らかり放題だ。
「猫の額は気の良い連中が多い。気兼ねなく過ごせ」
 確かにそう思う。
 まだ、一日程度の付き合いだがウグイスもアズキも白兎のオモチもとても優しいことが伝わってきて、優しさに慣れてないアケはどこに身を置いていいか分からなくなる。
 それに・・・。
「みなさん・・本当は嫌がっているのではないでしょうか?」
 男は、食べる手を止める。
「何故・・そう思う?」
「私は・・役に立たない貢物だから」
 ウグイスは、言った。
"どう使ったらいいのかな?"
 オモチやアズキも貢物を自分などではなく食材か珍しい物を期待していた様子だった。
 そして黒狼も・・・。
「きっと皆様、お優しいからこんな私を可哀想に思ってこんな"ごっこ"遊びをしてくれてるんです」
 本当は、嫌なのに。
 アケの脳裏に護衛と称しながら侮蔑の表情を浮かべる武士達、世話係と称しながら汚物のように私を扱う使用人達の姿が浮かぶ。
 彼らが露骨に浮かべていた嫌悪、憎悪、そして恐怖。

 私のことなんてきっと必要となんてしてない。

 きっと彼らもそうなはずだ。
 どこかに行ってしまえと、きっと思っている。
 でも、優しいから言えない。
 仕方がないから可哀想な自分に付き合っている。
 それだけだ。
 それが分かっていても自分はどこにも行くことなんて出来ない。
(私には・・使命があるから・・)
 アケは、そっと白い鱗の布に触れる。
 男は、椀に双眸を戻すと残った全てを平らげる。
「・・・こう言う時は何と言う?」
「え?」
 アケは、顔を上げて男を見る。
「食べ終わった後、お前の国では何と言う?」
「手を合わせて・・ごちそうさまです」
「そうか」
 男は、お椀に向かって手を合わせる。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
 アケは、小さく頭を下げる。
 男は、ゆっくりと立ち上がる。
 その動作にすらどこか気品が漂う。
「相手がどう思っているか・・」
 男が唐突に発した言葉にアケは熱に触れたように顔を上げる。
「嫌がってるか嫌がってないか・・」
 黄金の双眸がアケを捉える。
 アケは、身が固くなるのを感じた。
「そんなのどうでもいいだろう?」
 アケは、男の言っている意味が分からなかった。
 どう思われてもいい。
 嫌われてもいい。
 男は、そう言っているのか?
 男は、食べ終わった椀を持ち上げる。
「少なくても我はこの一杯でお前が必要と感じた。ここにいて欲しいと思った」
 アケの蛇の目が震える。
「我の言葉に不満ならそれでもいい。どう捉えるかはお前次第だ」
 男は、アケの前を通り過ぎ、窓へと向かう。
「また来る」
 男は、窓の外に出て、草原を歩いていく。
 アケは、去っていく男の背中を見えなくなるまで追った。
 そして姿が見えなくなると彼が使っていた椀と匙を手に取った。
 ほのかに花の香りがする。

  また来る。

 男の声がアケの胸で何度も繰り返される。
「・・またのお越しをお待ちしております」
 アケは、小さく、願うように呟いた。

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