身軽に生きる2

シドニーでの生活は順調だった。
住む家がある、働いている、寝るところがある、ご飯が食べられる。
これ以上のものはないと思う。

仕事にも慣れ、お客様には伝わらないながらも頑張って伝えながら仕事をしていた。


友達からはよく「サバイバル力半端ない」とか「私なら挫折している」と言われたが、挫折したところで帰るところもなんの保証も無いのだから、そこに、今自分が居るところにしがみつくしかない。自分ができるベストを尽くしながら生活するだけだった。

ある日、私は早朝からホテルの仕事をしていた。
仕事を始めたのが朝の7時。
一緒に住むルームメイトから連絡を受けたのが9時半。

家に泥棒が入った。

すぐさま、マネージャーに帰る!と行って帰宅。
私は現金はすぐに貯金して管理する人だったので、現金被害は無いが、パスポートは無くなったら困る。
帰ってすぐ確認したら、私のものは無事だったが、一緒に住んでいた他の女の子たちは現金被害、パスポートも無くなっていた。
(ちなみに良く戸棚とかに貴重品を入れておく人が沢山いるけど、オススメはしません。私はその当時、無造作に置いてある服の下、かつ、ベッドサイドに置いてました。あくまでも、私の場合です。)

違う部屋に住んでいた女の子たちは、押し入れに現金を保管していて、それを全て持って行かれてた。それと、一緒にルームシェアをしていた娘はパスポートをやられていた。
だが、謎なのは「いつ」犯行が行われたのかだ。

私は6時半に家を出ている。
みんなが起きたのは8時くらい。
私が出る際は何も変わったことはなく、施錠もされていたが、どうやらその時間帯に犯行が行われた可能性があったのだ。被害者たちが寝ている間に!!!
信じられなかった。笑
今でこそ笑って話せるが、当時は恐怖でしかなかった。
その当時私が住んでいた土地は少し治安の悪いところで、でも大通りに面しているし大丈夫だと思っていた。

速攻、バイト先に連絡をしてできるだけ早く辞めさせてくれと申し込んだ。
もちろん、家主も考えてくれて、各部屋のドアに鍵も設けてくれたが、私には恐怖でしかなかった!
オーストラリアに来てわずか3ヶ月、しかもクリスマスの時に起きたのだから!

私はセカンドワーホリを取るつもりでいたので、よくよくはファームで仕事をしようと思っていたが、それを早めていく事にした。

旅立つ前日、バイト先のみんなが送別会をしてくれた。
これから飛行機に乗るのに...二日酔いだった。笑

ファームの仕事に選んだのは、その時、時期だったイチゴを選んだ。
が、ここでも一悶着あったのはいうまででも無い。
私は英語がまだまだできない人だったので、仕方なく日本人サイトにある求人から応募した。
ファームは行く場所によって待遇も時給も何もかも違う。
簡単に言えば違法労働は当たり前。みたいなところはある。
あと、いくら英語ができても雇用主が最悪であれば身の危険にも晒される。
現に、よくニュースで見ていたのは、雇用主からのレイプであった。
こればかりは自分では守りきれないところはある。自分よりガタイの良い、海外のメンズに力で勝てるわけが無い。そんなの、ひとたまりもない。

そんなことを考えながらも、現地について迎えに来てもらった。

次なる住む家は一軒家だった。
が、住居人は9人のシェアだった。
部屋にはベッドはなく、皆、ヨガマットに寝ていた。
「これがファームの洗礼か...!!!」と驚いた。
仕事は決して時給なんてもらえるはずがなく、コントラクトの仕事。簡単に言えば成果性なのだ。
私は苺を摘む仕事。それが何キロ摘んだかで日当が決まる。
もちろん早く仕事していっぱい摘めば時給以上の日当になるが、そんな体力あるわけない笑
日本人が多くて、英語なんて何処へやら。
おまけに韓国人も多く、韓国語も少し話せたりした。

が、そこでも泥棒にあう。笑

ある日、日が昇る前の早朝、みんなで支度していざ出発しようかとしたところ、車がない。敷地内に止めておいた車が無い。しかも鍵もない。誰かが侵入して鍵を盗み車を持って行ったのだ。

ありえない。

私の第一声だった。だって一年間の間に二回も泥棒に入られたのだから。
場所は違えど、なんなんだ!!と思ってしまった笑
その時は車だけで、住んでる人たちへの直接被害はなかった。

その一件もあったし、人間関係もうまく行かず、そのファームは辞めて、北上する事にした。それでも半年以上いた事には驚きだ。(稼げなかったのは御察しの通り。笑)

北上し、ボーエンという所に行く事にした。
そこではトマトピッキングをした。
機械に乗って、畝の中を進んでいく。これが稼げた。
しかもヨーロピアンがたくさんいて、仕事も面白かった。
そこでも話せないながら、頑張って会話に入るようにしていた。

そんな努力もあってか、日常に会話をしていて話のよいしょよいしょがわかってきた。

その後もファームを転々とする生活をし、気づいたら一年のワーホリが終わろうとしていた。大いにファームの仕事を楽しんでいた笑
そのあと、急いでセカンドの申請をして、三年目のワーホリに入る事にした。

ここまでの移動距離といったらハンパないことは御察しの通り。
シドニー→カブーチャー→ボーエン→VIC州の端(名前を忘れた...)一年間で飛び回っていた。距離に換算できないので割愛するが、半端ない距離であった。
ここで重要になってくるのは、勢いで動くこと。もちろん、銀行の残高が0になりかけたこともあるが、働いてればなんとかなるものだ。お金は後からついてくる。移動できて働けさえしてしまえばこちらのものである。

そんな移動続きで荷物はどうしていたのかというと...
使わないものは捨てていた笑

出国当時、でかいスーツケースとボストンバックで来ていた。
途中からボストンバックは捨てた。ということはそのカバン一個分の荷物は捨てていた事になる。いや正直、スーツケースとカバンを持って移動するのは金がかかるのと、シンプルに邪魔なのだ。笑
そこに農場で仕事をするという環境も相まって「使うもの」だけが残るようになった。もちろん、その中のお気に入りの帽子やシャツは捨てた笑

この経験から、私は無意識にミニマリストへ足を踏み入れたんだと思う。
その当時はそんな感覚はなかった。「なくても生きていける」という窮地を見てしまったら、ものを持つ事に興味が湧かなくなった。それと、「これがあれば生きるのに困らない」という生活環境もあっただからだと思う。


続く...

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