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そのケアはブラックに染まりゆくグレーか?ホワイトに向かうグレーか?

「グレーゾーンのケアは虐待の芽である」という論調がweb検索から溢れるように流れてくる.

もちろん間違ってはいないはずだが,少しばかりの違和感を持ってしまう.

これは「グレーゾーンのケア」というもの自体の捉え方が論じる人間によって少しずつ違うベクトルを向いているからであって,なにが正解だとか間違いだとかそういった類の話ではないようだ.

そういう意味でいうと「グレーゾーン」は言葉以上にグレーであって,何を指すかすら曖昧なものとして存在しているのかもしれない.

各種サイトで語られるグレーゾーンのケアに以下のような記述が目立つ.

・薬をごはんに載せる.
・「何回も言ったでしょ!」と怒鳴る.
・「トイレに行きたい」と話しても「どうせオムツつけてるんだからそこにして」
 とあしらう.

などなど.
これらに関してはどういう基準で「グレー」と記載されているかはよくわからないものの,表現から見てもグレーよりもブラックと表現して良い範囲に入るだろう.
身体拘束の様々な要件と比較して完全に掛かりにくい部分があるということで「グレー」と言われているのかもしれない.

が,検索前の段階で頭の中にあった「グレーゾーンのケア」とはどうも趣が違う.

自分が今テーマとして考えている「グレーゾーンのケア」は以下のようなものになる.

・ワンオペタイムに立ち上がろうとする人を一時的に環境で動作制限をする.
・ある対象者が明らかに事故につながる動きをしている際、他の対象者に「少し座
 って待っててください」と話す.

などなど.
前述のものとの違いはこの言葉や行為の中に……

・悪意
・煩わしさ
・著しい知識不足
・著しい技術不足

が含まれていないということだ.
つまり介護者個人の能力的な問題によって起きていることではない.この部分において前者との違いは明確だ.

前者がブラックに染まるプロセスとしてのグレーゾーン
後者はホワイトに帰結する通過点としてのグレーゾーン

「今,ここで介護者の脆弱な内面から発生する行為」と「ホワイトに向かうプロセスにおいて環境の変化から生じた行為」は質として全く違うものであると言える.

グレーゾーンと言われるケアは本来後者のものであって……

①明確なエピソードの区切りを介護者が意識していることが前提になる.
②時間の流れと俯瞰によって発生の機序が見えてくる.

おそらく①については無意識であったとしても存在していることが多い.ただ「起きた行為/言動」がグレーである場合,そこに対して罪悪感の発生や(あえて言えば)横槍が入ることがある.

流れていくエピソードの一瞬を切り取り「この介護者はグレーゾーンだ」とされてしまうのは忍びない.当のケアを受けている人の存在も無視して「それはグレーだ」と叫ぶのは画一的な正義の押しつけとして介護者も対象者もエピソードも潰してしまう危険性を孕んでいる.

②については実はあまり行われていない.ここにグレーゾーンが「ブラックになり得ない」理由が存在している.
そのためにはやはり「時間の流れと俯瞰した世界」を言語化する,もしくは図解する能力が必要になる.

本来であれば「察してよ」と思うところかもしれない.が,なかなかそうもかない歯痒い世の中ではロジカルな能力は必要なのが現状だろう.

そのためのトレーニングが研修の中に必要なものと言えるかもしれない.


#介護 #グレーゾーン #虐待 #コラム #エッセイ #認知症

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