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いちびり

大阪ではお調子者や目立ちたがり屋を「いちびり」と呼ぶ。
「何いちびっとんねん」「いちびっとったらあかんぞ」という具合に使うのだが、この本町橋で活躍した「いちびり」と言えば、塙団右衛門直之かもしれない。

豊臣家家臣の加藤嘉明に仕えていたわけだが、何せこの団右衛門は大男で、ものすごく強かった。
朝鮮出兵でも背中に大きな旗を翻し、戦では大活躍、彼は鉄砲の大将になる。
そう、目立ったのである。

東軍についた関ヶ原の戦いでは、石田三成と対峙し、味方の援護のために待機しておかなければならなかった。
鉄砲隊としては当然である。
しかし、この団右衛門、自分の兵を置き去りに、単騎駆けをしてしまった。
誰よりも早く、敵陣で大暴れ、一番首に一番槍である。

いくら大暴れしたからといっても、さすがにこれは服務違反も甚だしく、この戦いの論功行賞において、嘉明から「お前は所詮大将にはなれない男だな」と叱責されてしまう。
団右衛門は、
「遂不留江南野水 高飛天地一閑鴎」
(こんな小さな池に留まっていられるか、カモメは天高く飛ぶのだ)
と、出て行ってしまった。
これに怒った嘉明は団右衛門を「奉公構い」にしてしまう。
「奉公構い」とは、「この者を召し抱えないでくれ」という、ヤクザ方面での「状が回る」ようなものだ。

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その後、団右衛門は「鉄牛」と名乗って出家していたのだが、いつか来る機を待っていたのであろう。
大坂冬の陣が始まるわけだが、団右衛門は大坂方の大野家に命を預ける。
徳川優勢の中、大坂方は一人でも多くの人材を求めていた。
大坂でしか仕官の口が無いものも多くあったのだが、そういう大坂方でなら、より名を売ることができるのではないかと団右衛門は考えたのであろう。

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いよいよ冬の陣を迎える。
劣勢の大坂方は船場で夜襲を仕掛けることにした。
狙うは本町橋を渡った先の西本願寺、蜂須賀の陣である。
こういった奇襲には、身体すこぶる強く、歴戦の猛者でもある団右衛門が適任と、夜襲の大将には団右衛門が据えられた。
そしてさすがの団右衛門、練りに練ったち密な作戦を決行し、
たった221名のうち、150名ほどで討ち入り、100名以上を斬った挙句に敵将の首までも取ったのである。
そして、徳川の援軍が来る前に大坂城に戻った。

本町橋の上には「夜討ノ大将 塙団右衛門」とばらまかれていたそうである。

いちびりではあるが、本気のいちびりである。

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