【承認】人は努力をするべきか【実現】
はいこんにちは。
いつもイベント後は謎の倦怠感でお休みをいただく作詞家、藤橋です。
先日HeroineMusic主催の忘年会があり、たくさんのミュージシャンや役者と関係者が来てくれて、とても華やかな会となりました。ありがとうございました。
多分来年は100名くらいでやるんだと思います。事後の体調に気を付けます。
恒例の自己紹介はこちら。
さて今回は
人は努力をするべきなのか?
について書いてみます。
まず、努力とは何でしょう?
辞書で引くと
心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。
と書いてあります。
多分この「骨を折って」あたりがポイントで、
つまり、努力とは苦労するものといったニュアンスを汲み取ることができます。
では例えば、
腹筋を毎日1000回やって理想の体を手に入れたい!
と思ってそれを続けることを努力と呼ぶのでしょうか。
端から見たらそうかも知れませんが、本人からしたらどうでしょう。
理想の体になった先に何かしらの自己実現を描いているわけですから、
腹筋というプロセスを含め、「やりたいことをやっているだけ」とも言えます。
平たく言うと「自分のために勝手にやっている」です。
「好きでやっている」とも言えます。
これは、努力とは言わない気がします。
何が言いたいかと言うと、
自己実現を明確に描いた時、そこに至る道には努力なんてものは存在し得ないということです。
ちょっと自己啓発っぽい言い方になってしまいましたが・・・。
今の時代、わりと承認欲求が満たされやすい世の中になっていると思います。
何かを発信して人から評価されること自体、昭和〜平成の時代と比べると圧倒的に簡単に成し得ます。
「承認欲求がある程度満たされると、次に待っているのは自己実現欲求である」
とする有名な説がありますが、
比較的、自己実現の夢を描きやすい世の中になっているのではないでしょうか。
そんな中で「努力」の概念って、まだ必要でしょうか。
何かを成し遂げるために、人並以上の労力を投下する。
これって美談ですか??
ぼくには欲望に忠実なだけに見えます。(悪い意味じゃなく)
ぼくは努力というものをしたことがありません。多分。
やりたくないことができない性格というのもありますが、
節操なく色々やっているのも、
最終的に一本の道になって自己実現に繋がっているイメージがあります。
努力を努力と思わずひたすらやり続けることができる状態って、
パフォーマンスが発揮されやすい状態です。
同じことをやるにしても、それを「努力」と捉えてしまう人は、
「努力」と捉えていない人に勝てるでしょうか?
では、今の時代に人は努力をするべきですか?
色んな考え方ができますし、それぞれ皆様意見をお持ちかと思いますが、
ぼくの感覚で言うと、もっと効率良く労力を投下する先があるのでは?
といったところです。
なぜなら人生は短いから。
やりたくてやっている人に、やりたくないけど頑張っている人は勝てないわけですから、
自分もやりたいことに全力を尽くすのが今の時代の生き方ではないのかな、と考えています。
なんだか取り留めのない記事になってしまいましたが、
2025年を迎えるにあたって、自分でもそんなことを意識してみようと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではでは。