強い自責の念
例えば、自分に厳しいとします。
まあ、厳しさなんて、何が厳しいか厳しくないかを測る、モノサシは存在しないし。
分からないんですけど。
自己評価、厳しいとします。
何をやるにしても厳しいとします。
こうじゃなきゃ駄目。
こうしなきゃ何か気が済まない。
それが世間一般で言う正しさであれば更に自分に厳しくなるとします。
本当はそうしたくないとしても、自分を律するとします。
そのせいで、他人から変人扱いされたとします。
しかし、自分に厳しい人間は、そんなこと気にしません。
だって自分の行っているマイルールだし、やらなきゃ気が済まないのだから。
しかし、その自分が行っている事は、とても面倒でストレスになることが、ほとんどだと思います。
でも、その感覚に一度陥ってしまうと、なかなか抜け出せません。
その生き方に何も不信がなければ、日常を過ごせます。
他人によく見られる事等で、「やっぱり変だよね。』と気付きます。
境界線は、その行動をやめたいかやめたくないかです。
もし止めたい場合は自分を許す事です。
自分を許せば解放される。
どこまで許せるか、それが問題となって来ます。
例えば、自分の家の鍵を閉めたかどうか、気になり、もう家を出ているにも関わらず、戻って確認する事や、鍵が閉まっているかどうか、ガチャガチャ何度も確認する事等です。
多分大丈夫だろうと楽観的に考え、自分を許す事が必要なのかもしれませんが、マイルールをやらないと気が済まない場合はとても難しい問題です。
マイルールと自分を許す事
どちらを優先するかです。
マイルールを無視すると、一日中不安に襲われる可能性があります。
だからといって、マイルールをこなすと、とてもストレスを負う事になります。
どちらも嫌ですが、マイルールをやらずに自分を許し、自分に自信を持ち安心に過ごす事が一番良い気がします。
言葉で書く事は簡単ですが、自信を持つ事はとても重要です。
『自分が自分を信じなかったら誰が自分を信じるんだよ?』と、どこかのセリフが浮かびましたが、それを聞いた時、同意しましたが、今思えば自分を信じ過ぎても、自信過剰で失敗する可能性が高まります。
ちょうど良いバランス。
みんなそれぞれの価値観だから、自分で見つけるしかない。
難しいけど自分で見つけるしかない。
結局、自分で探さないといけない。
少しずつ調整をして。
少しは楽したっていいんだ。
自分に甘く、自分に厳しく。
関係ないけど、お菓子では、甘ジョッパイの好きだわ。
自然と見つかるかもね。
大丈夫!!