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言語化トレーニングをしようと思っています。

言語化のトレーニングをしようと思っています。

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久しぶりにnoteにログインしました。
一個前の記事は実に2年も前のものらしいです。

過去の記事を読むと当時の自分の思考を思い出すことができます。
時の流れは恐ろしいもので、当時の思考などすっかりと忘却の彼方にありました。
ただ、少しだけ過去の自分の文章を読んでみると、意外にも”おもしろい”。
誤解なきよう伝えとくと、内容が面白いと自惚れているわけではありません。むしろ内容は酷いものです。
”おもしろい”というのはつまり、
当時の思考を読み取ることができて”おもしろい”ということです。
当時の自分はこんなことを考えていたのかと、客観的にみることができ、それはそれで新鮮な気持ちで読むことができるのです。

それだったら、また2年後の自分に向けて随筆を書いてみても良いではないかと、ーーーやらなければならない仕事から目を背けながらーーキーボードに駄文をタイピングしているのです。

最近の自分に感じることがありまして、
それは、
言語化能力が著しく低下している(と実感している)こと
です。
言葉を話すにも長ったらしくなってしまったり、レポートを書こうとしても語彙が出てこなかったりと、以前の自分より衰えを感じるのです。
じゃあ以前の自分がスラスラと言葉を紡げたかと言うとそういう訳でもないのですが、確実に言えるのは言語化のスピードが遅くなっているということです。

おそらく原因は、自身の思考力の低下とアウトプット機会の減少ではないかと考えている訳ですが、ただルーチンワークをこなす日々を送るだけでは、数年かけて作り出された怠け癖は治りません。

そこで、この埃被ったnoteアカウントを押入れの奥底から引っ張り出してきて、再利用してみようと思い立った訳です。

とりあえず今思っていることを書いてみよう。駄文だろうがなんだろうが、言語化するトレーニングをしようと。文章力がないからといってエッセイを書き始めた星野源(敬称略)と同じ理屈です。
今や、彼の肩書きには音楽家、俳優に並んで文筆家が入りますからね。
行動して継続することって侮れない。

ということで、ここまで長くなりましたが、
noteへの投稿を再開してみようと思います。
それは、言語化能力の向上という名目と同時に未来の自分への思考のアーカイブという意味も込めて。
ゆくゆくは書籍とか書く機会でもあれば、そこに執筆する内容のヒントとして残してみようかと。(そんなこと、夢のまた夢で現実にはありえないと実感している訳ではありますが。)

もし、世界に1人でもこの記事を最後まで読んでいる人がいれば、どこぞの誰かとしれない人の心情に共感してくれる大きすぎる親切心の持ち主か、相当な暇人のいずれかかと思います。ただ、そんな人がいるのであれば少しでも励みにはなります。

いつまで習慣が続くかはわかりませんが、とりあえず続けてはみましょう。
とりあえず、一週間後の自分へ。書くことなくて困っている自分、頑張れ。

#19

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