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PACHINKO

原文もそうなのだろうか、日本語版はひとつの文が短めで
もしかしたらヘミングウェイのように淡々と書かれているのだろうか
と訝しんだりもした。
ミンジン・リー「パチンコ」 Min Jin Lee 'Pachinko'

Baek家の男たちは聖書に出てくるような名前
イサク、ヨセプ、ノア、モーザスにソロモン
(Isak, Yoseb, Noa, Mozasu, Solomon)。
特に、在日3世であるソロモンはコロンビア大学を卒業し
外資系金融機関に就職したものの結局は足を引っ張られ
パチンコ業に吸い込まれてしまう、
制度化されたレイシズムが職業選択の自由を大きく浸食していた
歴史的事実があらためて心に突き刺さった。

ソロモンの母親が世宗大王と同じ、セジョンという名を息子につけようとして
結局古代イスラエルの王ソロモンという名付けをした経緯を考慮に入れると、
遥か彼方へ上昇しようと羽を授けられたソロモンが足を引っ張られ
落下とは言わないまでも、地上的な生を余儀なくされるいびつさが突き刺さる。
大阪のイサク、ヨセプの代からモーザスは横浜へ。
横浜のインターナショナルスクールを経てソロモンはニューヨーク、コロンビア大学へ。
Baek家の男たちも底辺あるいは周縁の仕事から
3代目のソロモンの頃には外資系金融機関東京支店勤務という日本のセンターへ。
その学歴と才能から、それが日本でさえなければ、
在日でさえなければ、その名の通り「一国の王」になること、なれることは疑いもない。
ノアの箱舟のノアや、預言者モーザスの名を備えていても
「外国は故郷にならなかったが、故郷は外国になってしまった」
在日コリアンらの彷徨える、居場所のない、
あるいは常に底辺や周縁に押し込められ燻るような生が
3代目になっても終わることがない、引きずり下ろされる苛酷さ。
ソロモンの時代になっても変わらない、制度化されたレイシズム Systemic Racism
(制度的差別 Institutional racism)の描写がくっきりリアルで言葉を失った。
所詮は取るに足らない異邦人として社会のはみ出し者あるいは透明人間として
パチンコ台のガラスの中に永遠に閉じ込められたままのように不可視化され
「釘師」(「神」ではなく、社会の根深い差別構造など)に左右される、
釘師の意のままに動かされ弾かれるパチンコ玉と変わりない、
上昇しつくしてもいずれ落下させられる理不尽な非対称性、
光から影に落とされる不条理の痛みが余韻を残す。
Black Lives Matterと相違ない、制度的差別という歪んだ日本の現実。

聖人、王、預言者のような名を持つ男たちが
制度的差別により異国のムラ的社会から排除される、
パチンコ玉が弾かれるように。
男たちの名前は「排除」とあまりに対照的で
落差が象徴的だった。
その歪な非対称性、不条理が男たちの名前により、
くっきり浮かび上がり、深く刻印されるような気もした。
王の名を持つ者たちの、あまりに地にまみれた生存のためのサーガ(叙事小説、Saga)。

一方、ソンジャの勁さに刮目した。
19世紀後半などにも、同様に未婚のまま妊娠させられ不幸に堕ちていく女性を描いていた
欧米の小説等と相違し(もちろん、本作の場合は実際に執筆された時代が19世紀、20世紀ではなく
21世紀だから、というのもあるだろうが)
信仰にも依らず、学問にもよらず、
コ・ハンスを許さず、毅然として撥ね付けていく強さと潔癖な姿が印象的。
闇には近づかず、誠実に善良に汗水流して家族を守るために生きていこうとするソンジャ。
もちろん、ソンジャの内心の葛藤、時にはコ・ハンスを思い出してしまう気持ちと反発する葛藤、複雑な気持ちは折に触れ描写されている。
それでも、闇に屈服する堕落という落下運動に抗い続けるソンジャの姿、プライドが心に残る。
ふたりの間に生まれた子どもが決して二人の縁を断とうとせず
離れようとしても強いゴムや発条の力でまた引き戻され近づき悪縁のような
不思議な因縁は続いていってしまうのだが。
ハンスという闇の世界の翳に付きまとわれても撥ね付けつつ
しかし、影のように付きまとうハンスに支えられた生でもあった、という
アイロニーが切ないが、ソンジャの生のアンビバレントさ(二重性)は
拠り所のない在日の生の二重性、光と影ともオーバーラップするよう。

パチンコの玉が底辺から離れ自由に上昇するように見せては
またポケットに吸い込まれるように、
影の引力で地面に引き戻されるアイロニーはしかし、
ソンジャの愛する息子の死という最悪で最も悲痛な帰結をもたらしてしまった。
その痛みが少しでも癒える時、救済される時は
ソンジャがまた4人の家族の結びつきを確信出来た時で、最後に救われる思いがした。

我が子として抱きしめてきた息子たちのうち、
先に逝ったひとりを漸く魂の深いところで解り
抱きしめることが出来た結びつきという救いのカタルシス、浄化で。
ソンジャのように何も持っていない女性、
無力で非力であっても
ハンスの引力に引っ張られても影に抗おうとし続けるソンジャの気高い自尊心、
ソンジャの真摯な勁さが心の中で家族をまた結びつけ
永遠に心の中に取り戻したのかもしれない。
信仰に依らず、力によらず、血によらず
ソンジャの心の中でしっかり結びついた家族の余韻が響く。

三代の男たちの、地を這うような生存から上昇へ、そして排除のサイクルのサーガと、
ひとりの女性に最後に訪れた安息、が陰陽のように交差し並走した
余白ある文学だった。

移民国家アメリカのアジア系移民作家として
移民の視点による、普遍的な移民の物語、の一方で
19世紀20世紀の帝国主義、侵略と搾取の構造の中で
外地から内地へ渡って生き延びようとした人々の
圧倒的な差別と偏見、非対称性に篭絡され埋没しそうになる痛みと声を掬い上げる物語と、
両者のあわいで息づいたソンジャの魂の到達点、カタルシスを描いた文学的香気。
同化せずに落下せずにもがきながら
異邦人・周縁者として生き抜いた魂の光と輝き。
その3つの視点が絡み合うような文学性が
ドラマ化に際しては通俗的表面的な描写になり過ぎないように...と希いつつ。

なお、小説の中に「いい日本人」も出てくるが
彼らのほとんどが在日コリアン同様社会のマイノリティ、はみだし者であった。
障害のある息子を抱え縫製会社を経営するシングルマザーや
性的マイノリティである男性、離婚し家を追い出され一人で生きている女性など。
現実とそう変わりはないのだろう、という感慨。
与党政治家が隣国を不当にバッシングし、政官マスコミも犬笛の音頭を取っているのが現実だから。

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