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生徒手帳のシーウィー 7

わたしの可処分時間のほとんどをスマホと過ごすようになったのはいつごろからだろうか。暇さえあればSNSをチェックして何かしらの情報を得るようになった。最初からSNSは好きではなかった。自分に発信するような何かもなかったし、とくに知りたい情報もなかった。facebookはとうに飽きていたが人間関係に絡め取られて退会するまでにはいたっていない。学生時代の同級生から大学のゼミの教授、会社の上司までと幅広い人間が「友達」としてまとめられていて彼ら彼女らの投稿が手元で見られる。違う場所の違う時代で生きる彼ら彼女らの投稿は驚くほどに幅が少ない。何々をしにどこどこに行き誰々と会って○○を食べた。こいつは毎日食べたラーメンの写真を投稿しているし、高校のころからまったく変わり映えのしないブスが今日も自撮りをあげているし、結婚とか出産とか誕生日に延々と並ぶ白々しいお祝いの言葉や、侘しい一人旅の写真にひたすら「いいね」を送りつけているだけだった。

なぜ有益な情報がないことは分かっているのに読むのを辞められないのだろうか。SNSを見ているとまるで自分の不完全さをあげつらわれているような気にさえなってくるのに。わたしにはこれと言って熱中する趣味もなく入れ込める仕事もない。自分の顔を毎日ネットにあげられるほどの自意識を持ち合わせていないし、彼氏と別れたので結婚して家庭を持つ未来を描けない。

だったら見なければいいじゃないかと思うが、暇を持て余したときについついスマートフォンに手を伸ばしてしまう癖を止められず、毎日ぴろんぴろんと通知が鳴るたびに四角い板に意識を持っていかれる。

そして退勤後の電車のなかで東海林えりさから友達申請が来ていることを知る。

《中学校二年と三年の時に一緒だった東海林えりさです♡♡久しぶりー!!!知り合いの欄に出てきて懐かしくて申請しちゃいました♡♡♡》

頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。東海林えりさ。わたしの意識はその六文字に集中する。おでこに汗がにじむ。彼女は同じクラスの男の子をイジメていたのが発覚して学校に伝わる伝説の一つになり、その後数年にわたって入学者数に影響があったらしい。イジメられていた町田くんは三年生に上がるとともに転校してそれから姿を見ていない。

プロフィール写真に設定されていたそれはカメラマンに撮ってもらったであろう写真で、まるでモデルか芸能人のようだった。鼻筋や輪郭や顎の形は当時のままのようだがこの美人が東海林さんだとはとても信じられない。

最寄駅のホームのベンチに座ってよせばいいのに東海林さんの投稿をチェックしてしまう。年甲斐も無くセーラームーンの仮装をしたハロウィンの時の写真がアップされていた。お尻が見えそうなくらいのミニスカートを履いてお腹も出してセクシーなポーズを取ってはしゃいでいた。しかし腹に一切の無駄な脂肪がついていない。

図書室での出来事を先生か親に報告した方が良いのではないかと冬休み中ずっと考えていた。そこまでしなくてもクラスメイトに相談して東海林さんを注意した方がいいんじゃないか、とも考えていたが、そのどちらもしなかった。ただ悶々と悩み続け図書室での出来事を反芻していただけだった。

事態は冬休みが明けてすぐに進展したので結果的にわたしは何もする必要もなくなった。

初日の型通りの集会で終わるのかと思ったが「三年生だけ教室に帰らずここに残れ」と学年主任がわたしたちを呼び止めた。他の生徒たちがぞろぞろと体育館を去ったあと、学年主任が重苦しい口調で喋り始めた。東海林さんが町田くんに暴力を振るっていたこと、そのことが原因で町田くんは転校したこと、えりさはしばらくの間、別室登校になることが説明された。そしてその後は校長先生から友人には優しくするべきだという話がなされてわたしたちは解放された。

その日は東海林さんの話題で持ちきりだった。東海林さんが町田くんをいじめているところを他のクラスメイトも目撃していたらしい。体育倉庫から二人で出てくるのを見かけたとき町田くんの頬が赤く腫れていたとか、プールに制服のまま突き落とされるのを見たとか、万引きを強要され「やる」と言うまで殴られていたとかいかにもありそうな話から、駅前の広場で裸にされて首に紐をかけて散歩させられていたとか、先輩に頼んで町田くんを集団で暴行していた、ハッテン場で有名な公衆トイレに裸で放置してレイプさせたとか本当かどうか知らない話まで飛び交っていた。先生はプライバシーへの配慮のつもりで情報を極力出さないようにしていたがそれが余計に話に尾ひれがついていった。二週間の別室登校の処置のあと東海林さんはさすがにクラス内での立場を失っていき、町田くんに好意を抱いていた女の子に責め立てられる。自らの正義感と恋愛感情と性欲の区別がつかなかった女子生徒は興奮のあまり東海林さんの頭にコンクリートブロックを打ちつけた。それがきっかけで東海林さんはクラスから孤立させられるようになった。彼女はまるでひとが変わったようにおとなしくなった。それまでの傲慢さは消え去って、クラスの隅でじっとしているようになった。正直、ざまあみろ、と思った。文庫本に目を落とし昼休みをやり過ごしているえりさを見て微かな心の痛みを伴いながらも気持ちがすかっとした。

わたしと東海林さんは在学中に会話らしい会話を交わしたことはない。わたしと東海林さんのコミュニケーションは図書準備室の出窓越しに行為を覗いた一方的なものだけだった。それでもわたしの記憶に東海林さんの行為がべったりとこびりついて離れず繰り返し繰り返し再生された。それは大災害が起きたり世界的なテロが起きたときに全てのテレビチャンネルで繰り返し繰り返し同じ映像を目にしたときの、憂鬱な気持ちに似ている。わたしはその出来事を何回も何十回も、いや、数え切れないほど経験した。


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