生徒手帳のシーウィー 21<終>
神社という場は不思議だ。まるで、結界が張られたように、そこだけ時間が止まったみたいに静かだった。わたしは、お賽銭箱の目の前まで来て、控えめに鐘を鳴らし、あれ、神社の拝み方ってどうするんだっけ、と思い悩む。なんかいっぱいお辞儀したりするやつだっけ。まあ、よく分からん、とりあえず神様に祈ろう、と眼を瞑り、祈りを思い浮かべる。《わたしのことを、見ていてください。そして、正しき道へお導きください》
「くくく、ははは、ふふふ」
驚いて目を開けると、お賽銭箱に乗っかって脚を組んでいるえりさがいた。
「ど、どうして……」
「誰かが、《ワタシノコトヲミテー》って言うから、見に来てやったんじゃねえか。おお、その声は、我が友、慧じゃないか、んひひ」
「あ、あんたなんて呼んでないよ」
「だーかーらー、お前だよお前。あたしが昔、友達と《遊んで》いたところを、覗き見してからと言うもの、お前はずっとあたしのことを求めてた。違うか?」
「ち、違う……」
「でも、勇気がなくて、何も踏み出せずに、それなのに、いつか誰かが助けてくれると勘違いして、ずっと部屋の隅っこで、ワンワンの真似でもしてるんだよな、んひひ」
そう言って、えりさはわたしを射抜く。
「なっ……」
「わたしが、その願いを叶えようじゃないか」
「はっ? 誰がそんなこと……」
「ふふ、嫌がるふり、なんていらないからさ。それに「嫌よ嫌よも好きのうち」はセクハラになるんだってさ、嫌な時代になったもんだ。なにぼさっとしてんだよ、早く脱げよ」
わたしは、何も言い返せなくなってしまう。そして、これは、何度も頭の中で思い描いていた光景だった。えりさの奴隷になって、服を脱ぎ、犬として、服従する。何を迷っている必要がある?
わたしは、つい一時間前に着た服に、またしても手を掛けて脱いでいく。
「はっ、お前、いい下着つけてんな」
えりさは、大口を開けて、わたしを嘲る。
彼女の言葉に恥ずかしさを覚えながらもするすると服を脱ぎ捨てる。たるんだ身体を夜の境内で晒す。誰が冬の冷たい風がわたしの惨めさをより引き立てる。
「お前、そこに跪けよ」
いつの間にか、えりさの手には真っ赤な首輪が握られていた。わたしは、えりさに首を差し出す。
「くくく、ふふふ。ははは」
えりさがわたしの首に赤い首輪を巻く。そして、わたしは、えりさのものになった。わんわん、わーん。
わたしの思考がだんだん鈍くなっていく、わん。なにも考えたくない、わん。わたしは、だって、犬。わん。
しかし、本当に犬になっていいのだろうか、ともどこかで思う。わたしは、どこかで、人間でいることを望んで、くーん。
犬。
でも、そういうのは……
犬。
犬。
犬。
わたしは、犬。
混濁する、思、考で、考え、を巡ら、す。
わたしは、犬だ。動物で、ある。そして、老いれば死ぬ。わたしはグロテスク、だ。しかし、わたしは……
わたしは、後ろ脚で地面を蹴って、えりさの腹部に突進する。
「おっと……」
そう言って、えりさはよろめく。
「どうした? お前が、欲しいのは、ご主人様だろ。あたしがお前を飼ってやると言ってるんだ。何を反抗する必要がある?」
わたしは、わたしは、誰かをご主人さまに祀り上げるようなことは、しない。わたしは、グロテスクさも、動物であることも、引き受ける。
「わたしの、ご主人さまはわたしだ!」
慧は、えりさの首筋に噛みつく。
「い、いたっ」
そして、頸動脈を渾身の力で噛み千切った。えりさの血が境内の石畳に流れる。慧はえりさの唇にキスをする。濃厚な舌を吸い取るような激しいキスだった。えりさは残った力を振り絞って、えりさを腕で押して引きはがす。
「お前は、お前は、それで、いいのか」
わたしは躊躇する。しかし、わたしは……
「それでいい!」
「お前は、それほどの器なのか。お前は、それに値する人間なのか?」
「わかんない!わかんないよ!でも、わたしは、犬かもしれないよ!子犬かもしれない! それとも、狼かもしれない!そんなのわたしからじゃ分かんないよ!」
「きひひ、そう。それがお前の弱さだよ。お前は自分を何者か定義できていない。それこそが、弱さだ。
あたしは違う。あたしは、全ての頂点に君臨する、主である。お前みたいなやつらの、ご主人さまなんだよ」
わたしは涙がこぼれ落ちる。でも……
「わたしは、誰かの飼い犬じゃない!」
そう言って、わたしは、えりさに噛みつく。そして、えりさを頭から丸ごとバリバリバリ噛み砕く。えりさの頭蓋骨を、えりさの胸骨を、えりさの大腿骨を、バリバリバリ。えりさの身体を噛み砕き、咀嚼していった。
「あおおおおおおおおおおおうううううん」
冬の夜空、三日月に、向かって、遠吠えをした。
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本町課長が、果物を持って姿を現した。
「いやあ、びっくりしたよ。あんなことを頼んだ次の日に欠勤なんて」
「ああ、すみません。どうやら、貧血になってしまったみたいで」
わたしは、神田明神の境内で気を失って倒れていたらしい。次に気が付いたときは、病院のベッドの上だった。
「本当に何も無いんですね」
「ええ、別にとくに何でも無いんです、何でですかね」
そう言って、頭をぼりぼり掻く。
「安心してください。たけしくんと交わったことに気を病んで、とかでは無いんです。本当に」
わたしは、本町課長を安心させるために、言葉を連ねる。
ただ、それも嘘ではない。本当のことだ。ただ、えりさとの一件のことは伏せておく。もちろん、誰にも説明できない。中学生の時の同級生に裸に剥かれて、そして、同級生をばりぼり食べ尽くしたなんて言えるはずもないし、言ったところで理解などされないだろう。
それに、あれは、わたしの脳内で、起きたことだ。現実には、起きていない。
「じゃあ、ゆっくり休んでください」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます。立派な果物、ありがとうございます」
「いいのいいの、気にしないでね。ま、一週間くらいは休んでても大丈夫なようにはしておくからね」
「いやいや、もう、今日の夕方には、退院させられてしまうようですよ。検査が済んだら、今はすぐに帰されるんです」
「へえ、そうなんだ。世知辛い世の中だ。ま、どちみち何かあったらすぐに連絡してください。それにしても、その赤いチョーカー、可愛いですね、病院着に合ってるよ」
え? 首筋に手を当ててみると、確かにチョーカーが巻かれていた。てっきり何かの検査器具だと思って気にしていなかったけれど……
「すみません、課長。これ取ってもらえません?」
「ああ、いいよ」
わたしの後ろに回って、チョーカーを取って、わたしに見せる。それは、真っ赤なチョーカーだった。まるで、首輪みたいだ。
「じゃ、またな」
そう言って、課長が病室を後にした。
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