生徒手帳のシーウィー 20

《ああ、もしもし。いやあ、この辺を散歩をして時間を潰してたよ、はは。しっかし、おっさんが一人で遊園地みたいなデートスポットをほっつき歩くってのはキツいもんがあるなあ。ああ、でも、本当にありがとうね。感謝してます。ものすごく。
俺はさ、たけしのためにできることは何でもしてやりたいって思ってるんだよね。たけしを愛してるんだよ……心の底からね……笑うなよな、でもそれは本当だ。なんたって俺の自慢の息子だからな。
ま、とりあえず、ありがとうね。また今度お酒を奢らせてください。
はい、じゃあ、また。失礼します》

とてもじゃないが、そのまま、まっすぐ家に帰る気にはなれず、水道橋から隅田川沿いに御茶ノ水方面に歩く。

ホテルの暖房ですっかり火照った身体に、冬の冷たい風が心地よい。ただ、わたしは、酷く落ち込んでいた。そして、わたしが何に落ち込んでいるのか、きちんと言葉にして名指すことができずにいた。

わたしは、たけしくんと交わった。そのこと自体は案外と楽しむことができた。それにこの歳になって中学生と性交できたのは、とても貴重な体験で、それは乱交プレイよりも希少で、望んでたってできることではない。良い経験にもなったし、楽しかった。なので、そのこと自体に不満はない。

別に、恋愛関係ではない異性と粘膜を触れ合わせることにたいしての罪悪感はわたしには備わっていない。いまは恋人もいないから、誰かを裏切ったという感覚もあるはずがない。ではなにがわたしを憂鬱にさせるのだろうか。

それは、きっと、わたしにとってある時期が終わったことが、たけしくんと交わったことで、ありありと見せつけられ、決定的な形で現前したことだ。いつの間にか、わたしは、彼よりも遥か先を歩いていたのだ。

先を歩いているというのに、何一つ進んでいなかった。わたしは、未だにえりさとの関係、関係というほどでもない何かに囚われて、彼女を倒すことも、受け入れることもできずにいて、そのままただ、何一つ進めないまま、押し出されてしまったということだ。

それは、全てわたしのせいであるという事実も、わたしを惨めにさせる。たとえば、それが明確に誰かのせいに、えりさのせいだとか、社会のせいだとか、制度のせいにできたら、どんなに心休まるだろうか。全て、わたしのせいなのだ。

そして、全てを分かっていながら、何一つ自分を変えられずにいた。

たけしくんは、グロテスクな死体に魅入られていたが、わたしもいずれ遅かれ早かれあの姿になる。死体と私の間にどれだけの差があるだろう。もし人間が美しいとするならば、死体だって美しいのではないだろうか。死体が醜いとするならば、人間も醜いのではないだろうか。

まだ早いよ、と笑われるかもしれないが、たけしくんよりは、わたしはより死に近い。どんなに面白いテレビ番組にも最終回があるように、人間の人生にだって最終回がある。たけしくんは、最終回がまだ見えず、幾分ドラマチックに死を捉えているようだが、わたしにとって死というのは、にじり寄る現実に他ならない。

あれだけ強大な存在であった親だって高齢者になり、身体のあちこちの不調を訴えるようになった。わたしだってじきに、この肉体も衰え、男性から鼻つまみ者にされるだろうし、じきに病がわたしの身体を蝕むだろう。日頃の不摂生によって私の身体はボロボロになっている。

なにより、たけしくんには無限の可能性がある。わたしには……

もうこんなことを考えていたくない。自分の手にできなかったものにたいして思いを馳せるのはやめたい。ひたすらに惨めな気分になってきて、着飾った自分の姿が滑稽に思えてきた。

順天堂大学を横目にさらに御茶ノ水方面に歩いていく。十時を過ぎていたために、神田川に面したこの通りは、人通りだけでなく車両の通行量も少なくなっていた。

この東京でわたしは、いったい何をやっているのだろうか。現実はいつだって惨めで面白さに欠ける。この世界で、わたしは……

丸の内の御茶ノ水駅へ降りる階段付近に来ると、さすがに少し人通りはある。わたしは東京医科歯科大学の角の階段を登り聖橋に背を向けて、神田明神を目指す。なんとなく、自分よりも大きな存在に祈りを捧げ、縋りたい気持ちになっていた。それまでは彼氏だったのだが、もうその彼もいない。

神田川沿いから一本入って、少し歩いたところに神田明神がある。街灯に照らされたその鳥居が青白く浮かび上がる。わたしは神妙なふりをして、鳥居の目の前で一礼をして、歩みを進める。

鳥居をくぐる。さすがにこの時間にもなると、店は閉まっているし、人の通りもなく、静謐でぴんと張り詰めた空気が流れていた。門の前でもう一度一礼をして、境内へと歩を進める。
境内に入った途端、目の前が真っ暗になる。貧血による立ちくらみを起こしたようで、膝に力が入らなくなる。わたしがふらっとよろめくと同時に、身体に力が入り、転倒は免れたようだった。



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