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生徒手帳のシーウィー 8

「東海林えりさ」という人物はわたしにとって羨望と畏怖と嫌悪と渇仰の対象だった。わたしにとって飛び越えることのできない深い穴が東海林さんにとっては無いものであった。東海林さんの持って生まれた残虐さは第二次性徴が終わった男子を圧倒し組み敷いた。他人を傷つけるなど許されざるべきことではあるが、それゆえに禁忌をいとも簡単に実行してしまう東海林さんを軽蔑しながらも羨ましさを感じていた。

東海林さんはクラス内の論理によって暴力でもってやり返された。それは東海林さんにとっては辛い出来事であったであろう。彼女には味方と言える人間は一人としていなくなっていたし、彼女の持っていた根拠なき自信を砕かれたであろうからだ。それでも彼女は学校を休むこともなくきちんと通い、卒業していった。そしてかつての同級生に友達申請を送るくらいには過去の出来事として清算しきちんと乗り越えたのだ。

彼女の暴力は純粋だった。多くの暴力には理由を伴う。怒り、恐怖、困惑、悲しみ、絶望、鬱屈の表現として暴力が表出するが、彼女には何某かの感情の表出としてではなく、暴力として暴力を行使し、暴力そのものを楽しんでいた。純粋な暴力を行使できるえりさのことが恐ろしい。そして恐れているうちにいつの間にか東海林さんを信仰するようになった。多くの宗教がそうであるように災害や飢饉や死など非論理的で未知のものに対する恐怖心をどうにかして和らげようとした結果、恐怖の対象に形を与え崇めるようになる。

しかし、どうしてわたしはたかだか十何年前にたった2年間だけ一緒だった人間の蛮行についてここまで拘泥しているんだろうと馬鹿馬鹿しい気分になる。彼女はきっちりと乗り越えたというのに……

わたしはその若さゆえの無知から早とちりをしていた。圧倒的な東海林さんの存在に絶望するべきではなかったし、東海林さんに直接的な暴力を受けたわけではないのだから畏怖するべきではなかったし、東海林さんという災厄を夜毎思い出し傷を深めるべきではなかったし、東海林さんを信仰するべきではなかったし、屈服するべきではなかった。

「東海林さん」はわたしにとっていつしか普遍的な存在になっていた。わたしは「東海林さん」を避けて生きることはできないが、遠ざけることはできたはずだった。しかし、わたしはそれをしなかった。

わたしが初めて犬になったのは高校生の頃のことだ。周囲は自分の進路に迷いながらも方向を決めて動き出していた。それに関わらずわたしは自分の進路を決められずにいた。自分が何者なのか、自分が何をしたいのか分からず焦りばかりが募っていた。

首筋に汗がにじむほどの真夏日のことだ。たまたま家に家族が誰もいなかったときで静かで外で鳴くセミの鳴き声と幹線道路を走るトラックの音だけが耳に届いていた。太陽がわたしのお腹に当たってぽかぽかしていたのに寒気がするほどだった。そんなとき何千回目の東海林さんの行為が目に浮かぶ。

いつしか図書準備室での折檻を思い起こして心を落ち着けるようになった。あの恐怖の折檻を思い起こすと頭がそのことでいっぱいになって他の不安を思い出さなくて済むようになるからだ。何千回もの再解釈によって当時感じていた恐怖心や嫌悪感は濾過され上澄みだけが残り、次第にフィクションで塗り固められることになる。

東海林さんのことをおぞましく感じていたはずなのに、東海林さんを思い出して心を落ち着けるようになるなんて思いもしなかったし認めるのも嫌だった。


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