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7年前の1月17日に死んだ友達のこと

でも友達と言っていいのかは微妙。
だって、仲違いしたまま永遠の別れになったんだから。

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Wくん。
2016年1月17日永眠。

僕がゲイと友達付き合いをするようになったのはmixiがきっかけでした。そこでマイミクになってくれた人とメッセージのやり取りを重ね、慎重に慎重に会うかどうかを決める、というのが、当時の僕の友達の作り方でした。
そんな中で、2番目に友達になってくれたのがWくんだったのです。
10年くらい友達でいてくれたような気がします。

Wくんは結構な男前で、とにかくモテる人でした。一緒にイベントに行けばWくんだけが声を掛けられたり電話番号を渡されたりするのをしょっちゅう見ていたし、他の友達にWくんを紹介するとその友達がWくんに恋してしまうことも何度かありました。僕は完全にただの友達として付き合っていたので、よくわからなかったのですが。
それなのに性格はとても奇妙キテレツで、ふわ~っとしていつでも少し宙に浮いているような、浮世離れした雰囲気を持つ不思議な人でした。

さらに不思議だったのは。
以前も書きましたが、当時の僕はかなり偏屈でわがままで甘ったれで気性の激しい人間で、Wくんにもそういうところを余すことなく見せてしまっていました。
「ダイチくん(僕)はホンマ大変やな~笑」
「へ~、そういうのが怒りポイントになるんや~笑」
と、なぜか僕の難儀なところをおもしろがるという、本当に変わった人でした。

そもそもWくんと僕はJ-POP好き・tk好き・ハロプロ好き・ニッチな訳のわからん邦楽好きという共通点があったので、2人で遊んでいる限りは問題なく楽しく過ごしていたのです。
Wくんは僕の一人暮らしの家にもよく遊びに来てくれました。モーニング娘。のDVDを持ってきてくれて一緒に見たり、カラオケでニッチなJ-POPを選曲して遊んだり、ふらっと車で銭湯に行ったりと、30代では一番多く遊んでくれた相手かもしれません。

そういえば僕が初めてゲイイベントに行ったのは、Wくんの手引きによるものでした。当時の僕はまだ堂山という街に相当ビビっていたのですが(今もビビってるけどw)、僕がちょっとした失恋で落ち込んでいるときに、「小室の曲ばっかかかるイベントあるで~、おもろいから元気出るで~」と誘ってくれたのです。「小室曲のイベントなら何とかなるかも…」と飛び込んだその先には、あふれんばかりのtkサウンドと、それに合わせて身体を揺らすたくさんの男の子たち。乱舞する照明も相まって、僕にはそこがとても輝かしい世界に見えたのです。あの夜のことは今でも覚えています。

そんなふうに、僕をおもしろがってくれて、僕を新しい世界に連れ出してくれたWくんでしたが、その関係性に溝が走ったのは、ほんのちょっとしたきっかけでした。

その日、僕とWくんと、YとNちゃんという友人とで4人で飲んでいました。普通に会話をしていたものの、何かの話題になったときに、「あ、それならこれ見て!」と僕がその話題に関する写真か動画かを見せようとiPhoneを取り出して探していると、急にWくんが「いちいち出さなくていいよ」と言いました。なぜWくんがそのようなことを言ったのかは今でもわかりませんが、当時の僕はそのたった一言で、「自分が話すことは求められていないんだ」「いちいち見せようとするから嫌がられているんだ」とネガティブスイッチが入ってしまい、そのまま店を出るまで何も話しませんでした。当時の僕はそういうことをよくやっていました。
微妙な空気の中で解散となり、僕はそのまま帰りました。

それから1週間ほどたったころ、Wくんから電話がありましたが、僕は出ませんでした。

さらに時間がたち、僕の偏屈がようやく収まって、Wくんに連絡を取ったものの、「もういいわ」と言われ、そのまま関係が修復することはありませんでした。

後日、あの場に居合わせたYに聞いた話では、あの飲み会のあと、NちゃんがWくんに「あの言い方はないわ」と叱っていたそうです。それでWくんは謝るために僕に電話をくれたのでした。でも僕は出ずに、そこから何日もかけ直すこともしませんでした。
続けてYは言いました。
「そこでWの心が折れたんやと思う」
「確かにWはダイチの変なとこをおもしろがってたけど、ホンマにただ単純におもしろがってると思ってた?」
「今まで同じようなこと何度してきた?」
「これまで何年も許してきた相手が、たった一度を許してくれないってなったら、どう思う?」


それから僕とWくんが言葉を交わすことはただの一度もありませんでした。
イベントで顔を合わせることは幾度かあったのですが、Wくんは徹底的に僕との接触を回避していました。
僕自身、この数年間の傍若無人な振る舞いをどう謝ればいいのかわからず、声をかけるのがはばかられました。


そのうち、Wくんが日記を書いていたサイトで、仕事の都合で大阪を離れ、千葉に行くことを知りました。
とはいえ、新天地へ旅立つWくんを見送ることも、別れの挨拶を贈ることもかなわない僕は、ただ黙ってその日記を眺めることしかできませんでした。


2016年の春、僕はとある人のツイートを見て、
Wくんの死を知りました。

1月17日に急死していたこと。
出勤してこないことを不審に思った会社の人が家まで見に行ったら死んでいたこと。
前日まで普通にツイートしていたこと。
死因は僕たちにはわからないこと。

いろんな事実が少しずつ明るみに出てくるものの、僕にはそれがどういうことなのかよくわかりませんでした。

その年の夏の始まり、Wくんを偲ぶ集まりが催されました。絶縁状態だった僕が参加していいものかどうか悩みましたが、YやNちゃんの後押しもあり、会場に向かいました。その集まりにはWくんのご両親もいらっしゃっていました。
みんながWくんとの思い出を語り涙している最中、僕は、泣いてもいいものなのか、厚かましいのではないか、これまでのことを一度も謝れていないのに…と考えていました。

そして2017年の桜の頃、Wくんの墓前で、僕はこれまでの非礼の詫びを伝えました。
Wくんは何も答えてくれませんでした。
「も~ダイチくん、また難しく考えてんねんな~」と笑っているような気もするし、
目も合わせてくれずに無視されるような気もしました。



謝りたい相手に謝れないことは、しんどい。
あんなに仲良くしてもらっていたのに、絶対に、永遠に、仲直りしてもらえないのは、しんどい。

だからせめて、
あの頃の自分がWくんにしてきたようなことは、
友達に嫌な想いをさせることは、
もう二度としない、
と心に誓うことでしか、




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もうすぐ7回目の1月17日

もしWとの関係をリセットできるなら
どこからやり直せばいいんだろう
あのキラキラと輝いて見えた
初めてのゲイイベントの夜なら
間に合うのかな

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