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第15話「セレナード」

今回のメイン曲は「ハフナー・セレナード」だ。モーツァルトのセレナードで、第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と並ぶ人気の、第7番ニ長調k.250。1776年、モーツァルト二十歳の頃、ザルツブルクの富豪ハフナー家の結婚式前夜祭のために作曲された。この曲を演奏する音楽家たちの入退場のために、行進曲k.249も作曲され、今回僕たちはアンコールで演奏するが、通常は最初に演奏されることが多い。全8楽章のうち、第2楽章から第4楽章まで、独奏ヴァイオリンがあり、ヴァイオリン協奏曲のようになる。古典ではセレナードは夜の屋外で“立って”演奏されたとかで、チェロの指定がなく、チェロはコントラバスと同じ楽譜を弾く。
ソロをコンマス、あるいは指揮者が弾く、というパターンもあるが、今回はプロで活躍中の女性が快く引き受けてくれたらしい。彼女との初めての合奏練習は、また初めての緊張感だった。ところが彼女が弾くと、空気が明らかに変わった。彼女の弾く音色が脳に響き、特にカデンツァは聴き入ってしまい、自分が入るタイミングを忘れてしまいそうになるほどだ。彼女は本物のプロだった。僕にとっては初めての合奏で、それだけでも大変だったが、練習を重ねるうちに、何が大変かはわかりかけていた。だが、まるで協奏曲のオケを経験するのは正直、何が大変かさえもよくわからないまま、あっという間に練習時間が過ぎていた。彼女はたまにしか来てくれないので不安だったが、彼女の美しい音色を引き立たせたい、彼女に気持ちよく弾いてもらいたい、そんな新しい前向きな気持ちも生まれていた。
第5楽章からまた新しい交響曲のような4楽章になる。これだけで十分モーツァルトの中期交響曲1曲が成立してもおかしくない。特に第8楽章は、アダージョ4/4拍子からのアレグロ・アッサイ3/8拍子。1時間近い演奏時間の最後を締めくくるのに相応しい、圧巻の構成だった。幸いアンダンテやメヌエットが弾きやすく、僕は助かっていた。モーツァルト晩年の交響曲のようだったら、練習時間がとても足りないと、途中で諦めていたかもしれない。演目のサブ曲、交響曲第14番は、初心者の僕でも練習すればなんとかなると思えた。だからとにかく必死で、「ハフナー・セレナード」第1、第4、第5、第8を集中的に練習した。新しい坂本先生にも、ここばかり重点的に教えてもらった。
弾けないなりにも、どう弾くか。毎日、身体に慣れてもらう。一歩一歩、焦らずに。練習が終わって外に出ると、疲れた僕の身体を、春の陽気が優しく包みこんでくれた。

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