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『はつゆき、ゆきどけ』

【小説】年下の女の子と雪を見に行く男の人のお話。(1300字程度)

「ねえ、今までに雪って見たことあった?……誰かと一緒に」
「もちろん、当たり前だろ。ひなたは……そうか、あそこは雪が降らないもんな」

 彼女が生まれた場所は南だった。
 彼女はこの春、北の大地にあるこの大学に入学した。慣れない土地で友人を作り、課題にバイトにサークルにと日々励む姿は太陽のようにエネルギッシュ。俺はいつからか、友達から「ひなた」とあだ名された彼女を視界の真ん中にとらえるようになっていた。

 昨夜、彼女の人生で初めて降った雪は、明け方には小降りになっていた。日曜日の早朝、たまたまコンビニで出会った俺を、散歩に行こうと誘ったのは彼女の方だ。
 それなのに。
 空を見上げてみたり、雪を触ってみたり、こっちを向きもしない。あげくの果てに、自分から聞いた今の質問でさえ、答えには興味がなさそうだ。彼女はそっかと呟いて、縁石に積もった平らな雪を踏んだ。

 小さな公園に着くと、彼女は足元に積もった粉雪をすくいあげて風に乗せた。一瞬の吹雪のように舞う雪に頭から飛び込んで、両手を広げて背伸びをした。
 幼子のように雪とたわむれる彼女は、丹頂鶴のようだ。
 寒さで頬を赤く染めながら、何事かを叫んでいる。飛びまわる雪を掴もうと、しなやかな指先を空に踊らせている。

「雪、冷たくて、気持ちいいね!」
 いつのまにかこちらを向いていた彼女に声をかけられ、はっと息を飲んだ。
 みとれていたことを気づかれただろうか。
 あわてて、伸び始めた前髪で顔を隠すようにうつむいた。
「ふふ、どうしたの?……あ、今!私にみとれてたでしょ!」
 彼女は仁王立ちになり、指をこちらに突きつけている。雪の冷たさに、さくら色になった人差し指を、まっすぐに。
「そんなわけあるか。……ひなたのその細い指が、雪の重みで折れるんじゃないかと心配になっただけだ」
 俺はその指に向かってゆっくり歩く。
「ひどいね、その言い方。私だって、春から比べたら、少しは成長してるんだから」
 ふくり、とりんごのように膨らませた頬はまだあどけなさを残している。だが、その目は。

「ほら、……確かめてみる?」
 今度は上向きに差し出されたその滑らかな手と、からかうような艶のある目つきに、一瞬居心地が悪くなる。今までも何度も繰り返されたやりとり。

 ――大人になった私を認めて。
 年の離れた彼女はいつもほのめかす。
 ――君はまだ子どもだ。
 年上の俺はいつもはぐらかす。

 そのまま押し黙った俺にしびれを切らしたのか、彼女は少し寂しそうな表情を浮かべて、再び歩きだした。前を行く彼女の肩に、さらさらと雪がかかる。うつむく黒髪にふわふわと雪が積もる。

 手を伸ばし、払おうとして、やめた。
 気配を感じたのか、彼女が振り向いた。

「私は、先輩と一緒に、初めての雪を見たかったの。……ずっと、そう思ってたの」

 雪煙に乱れる黒髪と、揺れた瞳に射ぬかれて。
 俺の熱くなった頬に落ちた雪が、瞬時に溶けた。


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