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現代長歌

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「現代長歌」
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2022年12月の記事一覧

神の住まう国

舌を乾かし空が蒼く淀んでいる「英雄譚を書きたいの」
神の住まう国の夏の終わりは玉音と共に死が無駄になる
「一つの現在は多くの過去をすり減らし、雄弁と絶望は隣り合わせ」
敗戦と統治、回心と煽動、暗殺ときな臭い、戦争の予感。
舌を乾かし流転の池に未来を投げ多くの現在は一つの神話に――
「私なりの帰還物語(ノストス)。英雄譚は、桃山の風葬の鳥の還らぬ行き道」
沈黙と焦燥、狂気と睾丸、暗喩と祭儀、王の胤を

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パスティーシュ

 「形式」と「内容」という伝統的区分に従えば、『荒地』は目を見張る革新的な「形式」と、人間の歴史のなかで繰り返し取り上げられてきた普遍的な「内容」とが融合している。文学史に燦然と輝く『荒地』の斬新な表現様式は、文学史上最古のテーマに裏打ちされている。これが『荒地』の本質である。エリオットは「神学的方法」を採用し、聖杯伝説を断片化した現実の統合原理とした。

旅人よ、道なき道を歩めーー「英雄の旅」と

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歌観は変わるもの

 ある長歌が、ほとんど推敲を終えた。
 何度か書き直そうと言葉を変えてみたりしたが、
 今の形が一番いいように思う。
 言葉は短い。
 その分、暗喩やイメージあるいはモチーフを入れている。
 ただ、それではただ「重たくなる」から
 ところどころ無駄な余計な言葉を入れている。
 ここを削ろうとすると「固くなる」という
 ライトバースの難しさを感じる。
 完璧より少し「抜けている」方が
 「ゆとり」が

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過去作が、過去になった

 ライトバース、かなり難しい。
 そして、それを至高として過去作を見ると
 どれだけ説明過剰で
 どれだけ言葉が固いか。
 あれだけ大好きだった作品が
 固すぎる、ごちゃごちゃしている
 メッセージが交錯している。

 私の中で、「山」と「親子」は繋がる。
 私の中で、「生贄」と「贖罪」は繋がる。
 私の中で、「命」と「胤」に、途方もなく影響される。

 いつか、この作品を誰かに批評されたい。
 

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門外漢にも届ける

 長歌は、さぁやるぞ。でないとなかなか作れない。
 そして、発句が出てくるまでなかなか進まない。
 さらに、そこから行が進むかも定かではない。
 と、いうように、長歌に挑戦されれば、
 この詩形がなかなか難しいのが分かってもらえるだろう。

 私たちは、自分でもできそうという安易な動機で
 短歌や詩を始めるらしいが、
 実は、そこには、魂込めて作っている者たちの
 戦場であって、理念や技術が過剰で

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「旧」最新作

 私たち歌人は、最新作が一番愛おしい。
 毎分毎時間、その歌の推敲(思いを致す)をしている。
 それが、どうだろう。
 あの時、あんなに愛おしく接していた
 「旧」最新作は、みすぼらしい姿に見える。
 否、主張が強すぎる。
 私たちの価値観は常に成長している。
 しかし、それが、新人賞と関りがあるかといえば
 分からない。
 意味を詰め込めば、難解になり
 洗練を追求すれば、軽すぎるとなる。

 

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何をサンプリングしているか?

 私たちは、何かしらをサンプリングしている。
 日本語的に言えば、「本歌取り」している。
 それは、後者のよく言う
 「歌」から「歌」ではなく、
 「出来事」から「歌」もあるし、
 「輸入した思想」からの「歌」もありえる。
 私たちは、本歌取りを無自覚に意図的に行う。
 パウンドやエリオットやジョイスのように
 「本歌取り」するのが、
 ある種、技法として認められている。

 短歌で短歌を「本歌取

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アニミズムをどこまで許すか?

 アニミズムを短く定義すれば
 「自然界のあらゆる事物に霊魂が宿ると信じる考え方」とある。
 今日、最もアニミズムを象徴するのが、
 シリであり、アレクサだ。
 私たちは、彼らがまるで生きているかのように接している。
 無言ですらなく多弁なアレクサに霊魂を認められても仕方がないように思う。

 では、なぜ、今回、私が
 アニミズムを取り上げるかというと
 私が未来5月号の原稿で、
 このアニミズム

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重たい軽さ

 最近の私の作風は、「都会的」であろうという気風がある。
 言葉は短く、隠喩的で、ライトで、なのに直喩(強制)だ。

 「都会的」というのは、やはり「ライトバース」
 という感じがする。
 今、私がやっている長歌は、
 「ライトバース」的であり、「都会的」なのだ。

 長歌それ自体の形式上のあれこれが定まっていないから
 私は、私の長歌形式のアイデアを出し続けている。
 たぶん、長歌を語ではなく行

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尖りすぎていないか?

 私は歌人である。
 歌を「短歌のみ」を指すとは思っていない。
 だから、長歌を試みているのだ。

 しかし、最近の私の作風は、尖りすぎている
 とも、冷静になると思えてくる。

 単純に、五七五七五七・・・七七
      反歌
     五七五七七
 ならば、いいのだが、
 ある詩的装置を二つも加え、(3月号の未来で明らかになる)
 一見したら、これは歌なのか?
 という疑問を持たれるかもしれ

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預言の誕生

我が命 多くの者に支えられ、多くの嘘に身は翳る
「生命(いのち)」を問いつつ天(あめ)を観る 陽は影を落とす――
嗚呼、命を憎みはじめる。嗚呼、沈黙に心は裂ける
我が命 多くの者に支えられ、多くの愛を身に刻む
「愛」が拾った影を踏み けむりの国をすすみゆく
嗚呼、人はみな風のよう。嗚呼、人はみな仮面の劇
我が命 多くの者に支えられ、愛の喜劇を演じゆく
「神」は奇しき計画を 我を用いて進めゆく――

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ヘブライ詩を理想として【雅歌的抒情】

水底を這いつつ我らの貞操は葡萄酒の悦び言葉のない息の対話を
「一時の死を」待ち望む貞操は香油の端を掴みゆく
「ねぇまだ死んではいけないわ。朝まで夜を愉しむのよ」
「あぁまだ死にはしないけど、朝まで君を味わえば水が干上がってしまう」
死海へ注ぐ河の流れをさかのぼり女の口は夜に映え
月影が水面を照らしゆく「私たちは会わない方が良かったわ」
「なぜだい?」「だって貴方って死んでも再び生き返る」(神のよう

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