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「もしも一年後、この世にいないとしたら。」

私はいつも「もしかしたら、一年後にはいないかもしれない」と思いながら生きています。
自分の誕生日が来るたびに、「ああ、無事に一年、生きられたなあ」と思って、家族への手紙を更新しています。だから無事に家族がその手紙を見つけたならば、一年以内に私が書いたその時の気持ちを読んでくれることでしょう。

つい先日、長年勤めた会社を退職しましたが、その時に夫や上司に、
「もしかしたら私の人生はあと数年かもしれないから、心残りのないように生きたい」
と言ってしまったことがあって、すると、
「大丈夫、大丈夫、そんなにすぐに死ぬことはないよ」
って、それを聞いた人が慌てて笑い飛ばしてくれたのだけれども、私はこれは何か悲観的になっていたわけでもなく、ただ普通に『いまを大切に生きたい』と思っていたのです。

私はなぜ死を意識しているのか

◆学生時代に友人に勧められた『病院で死ぬということ』

きっかけのひとつは、学生の頃の精神福祉ゼミで、2人ずつ組んでテーマを選んで発表するという課題があり、友人がどうしても「ホスピス」をテーマにしたいと言い、『病院で死ぬということ』という本をどうしても読んでほしいと貸してくれました。
そのとき私は、「死」よりも「生」のほうに目を向けていたので、なぜ彼女は「死」に興味を抱くのだろう?と思っていましたが、一緒にまとめていくうちに、「死」を考えることは「より良い生き方」を考えることなんだ、と気づかされたのです。

◆両親の死
もうひとつは、両親とも「がん」でまだ若いうちに亡くなっていることです。母は50代で亡くなったので、私もあと数年でその年齢になります。母と私の人生は同じではないのに、なぜか母親と同じ人生をたどってしまうような気がしてしまうのです。
母を亡くしてからすぐに、父も同じ「がん」であることがわかりました。父は母の闘病の姿を間近で看ていたせいか、自分の病気がわかったあと、静かに淡々と死への準備をしていました。まだ身体が動くうちに、少しずつ実家のモノを整理し、娘たちに長い手紙を残していました。
私が誕生日のたびに、手紙を更新しているのも、いま思えば、父と同じことをしているのかもしれません。

死を意識していても、準備はOK?

私は、つい3年ほど前に、会社で毎年受けている子宮がん検診で異常が見つかり、がんセンターで精密検査をすることになりました。
結果的には、早い発見だったので、がんになる前の状態。一泊入院で円錐切除手術を行い、その後は問題なく生活できています。

不思議なことに、いつも死を意識して生きてきたはずなのに、がんセンターの待合に座っているとき、精密検査の結果が出るのを待っている期間、本当に不安でいっぱいでした。
そして、
「いまはまだ、たくさんやり残していることがある!」
とそのとき思いました。

やはり、毎年お手紙を更新するだけでは、準備不足なのです。
私は、本当にやりたいこと、人生で課した宿題は、いますぐにでもやろう、と思いました。

私が人生でやりたいことって何だろう

生まれてから様々な出来事はあったと思いますが、いまの自分は、一度(自分の中では)全て失って、それからもう一度生きようと思った、10代の頃の経験から始まっていると言えるでしょう。

あのとき私は、なんだかわからないけれども、「誰かのお役に立ちたいな」って思って、「大学行こうかな」っていう生きる希望に繫がったのです。
それなのに私は、あのときの経験をきちんと自分で振り返ることができていなかったし、大学で勉強したことも全然活かすことができていませんでした。
だからこれから、自分が何かをすることで、たったひとりでも、いまが辛くても生きてみようって、毎日を大切に生きていこうって思ってもらえるように、まっすぐ進んでいきたいのです。このnoteもそのひとつです。

「もしも一年後、この世にいないとしたら。」

つい最近、読んだこの本は、ここまで書いてきたような、私が「死」を意識することについて、改めてなぜなんだろうと考えさせてくれました。
書いてある内容は、どれも何か心当たりがあって、とても腑に落ちるもの。
ああ、両親は、自分は、こういう感情のプロセスをたどってきたんだな・・・と納得することができました。

この本の著者である清水先生は、精神腫瘍医ということで、がん患者さんやそのご家族の方々に長年向き合ってこられたということ。がん告知を受けてからの心のプロセスを経験に基づき丁寧に書かれていて、クライエントに寄り添い、その不安や悲しみを受け止め、レジリエンス(人が悩みと向き合う力)を信じて一緒に向かっていく経緯がとてもよくわかりました。
「傾聴」を学んでいる方々にも大変参考になると思います。

「死」を意識して初めて生きることの「光」に気づく

本の終わりに書かれている言葉です。
それから、

今日を大切にするために、自分の「want」に向き合う

これは本当に私は自分によーく言い聞かせなければなりません。
「must」で生きてきた私は、意識的に「want」を拾っていくように習慣づけていったほうがよさそうです。何かモヤモヤとしても、我慢するクセが付いているんですね。辛いときや悲しいときには、きちんとその感情に素直に向き合って、しっかり悲しんだほうが、レジリエンスの力を発揮できるようです。


ではみなさんは、
「もしも一年後、この世にいないとしたら」いま何をしますか。


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