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『真剣』にプレーすることの難しさと重要性

『Corey Price』と呼ばれる大会でアーセナルが優勝した。私が指導しているカーディフはアーセナルと対戦し、0-1とあと一歩及ばなかった。

vsアーセナル

大会後のコーチ同士での会話の話題は「何が足りなかったのか」、「アーセナルとうち(カーディフ)でどのような違いがあったのか」が大半を占めた。

きっとアーセナルとの間に大きな差はなかった。しかし、局面で競り負けたり、一個一個のほんの僅かな差が全体の差に繋がって、それが結果に現れたと思う。きっとこの一個一個の僅かな差は日々のスタンダードから生まれるもののように思う。

『真剣』の真理

初めてカーディフシティアカデミーの練習に行った時のことを覚えている。初めての練習で少し緊張していた私がピッチに入ると、グータッチで迎え入れてくれたリラックスムードの選手たち。選手同士で笑いあって、ふざけあって楽しそうにボールを蹴っていた。

しかし、監督のパンッパンッと2回の拍手を合図に選手たちが素早く集まり、練習がスタート。最初の練習は『エンドゾーンゲーム』と名付けられたエンドゾーンでパスを受けたら1点というシンプルなもの。私は彼らのスタンダードに驚かされた。技術やスキルはもちろん高いのだが、選手たちの『真剣さ』の度合いに圧倒された自分がいた。練習を開始してからすぐに激しいタックルやボディコンタクトの応酬、まだ2分も経たないうちに選手たちはハァハァと身体で呼吸する。1つひとつのプレーに勝ち負けにこだわり、ボールロストした選手は顔色を変えてファウルしてでもボールを奪い返そうとする。自分のミスであれば悪質なタックルもいとわないくらい必死だ。そして、そんな悪質タックルにも動じず、涼しい顔でプレーを続けるボールホルダー。「奪われたら奪い返す」これの繰り返しだが、プロを目指す彼らの『真剣さ』はものの5分で伝わってきた。

私はユースまで街クラブでサッカーを続けてきた。当然、プロになるようなレベルには程遠かったのだが、週5で活動するくらい"真剣に"サッカーをしていた。私自身、高校を卒業するまでサッカーを真剣にやってきたつもりだ。ジムに行ってみたり、ご飯を何杯も食べたり、学校帰りには坂道ダッシュを10本やってから帰宅していた。しかし、当時の自分とカーディフの選手たちを比べた時に「自分は本当に『真剣』だったのだろうか?」と思わされる。「ボールを失った時にファウル上等でボールを奪い返そうとしていただろうか」、「1つのパスがズレた時に心の底から上手くできなかった自分を悔いていただろうか」、「練習内の1点、1失点に対してどれだけ重みを感じていただろうか」。きっと当時の私は『真剣さ』が足りなかったのだと思う。真剣にやっているようで真剣ではなかったのだ。

多分、私は一生懸命にプレーしていた。ただ一生懸命に努力することは当たり前で、プロを目指すカーディフの選手たちはそこから更に「相手に勝つ」、「このチームで1番になってやる」というような想いを持ってプレーしている。イギリスでは1年ごとに契約更改があるため、パフォーマンスが向上しなければ簡単にクラブから放出される。そんな確証のない自分のポジションとプロになるためにより高みを目指す向上心がきっとカーディフの選手たちにはあって、私には足りなかった部分なんだろう。

元プロ指導者のチームトーク

約3ヶ月くらいコーベントリーやシェフィールドウェンズデイなどチャンピオンシップ(英2部)で活躍した元プロサッカーのリーダ・ジョンソンと働く機会があった。彼は現役を引退後、現在はカーディフシティアカデミーのコーチとしてコーチングキャリアを積んでいる最中だ。彼は元プロだからといって自分に驕ることなく、誰からもコーチング技術を吸収しようという素晴らしい姿勢の指導者だ。会った時は必ず挨拶を欠かさず、会話の中でしょうもないジョークを交えながら色々な話をしてくれるナイスガイだ。

右から2番目がリーダ

そんな普段は温厚なリーダが選手たちに向けてめちゃくちゃ怒った試合があった。それは13-1で勝利したReadingとの試合だった。20分×4本で行われたこの試合はカーディフが力の差を見せつけて完勝だった。1失点も最後の20分のゲームの中で、直接FKをGKが弾いたところを詰められて失点したもののみ。内容も自分たちが取り組んでいたことを上手く表現することができていた。

vs Reading

しかし、リーダは試合後のチームトークで完勝して喜んでいる選手たちを前で「何も面白くない。良い内容の試合をしてとても嬉しかったのに、最後の失点が本当に残念だ。ちゃんと必要な人数の壁を作ったか?ちゃんと壁とボールの距離をできるだけ詰めたか?相手がボールを蹴った瞬間に予測して動いたやつがいたか?あの失点は絶対に防げた失点だったし、今後絶対に起きてはいけない失点だ。いつかこの気の緩んだ失点のせいで勝てないゲームがある、負けるゲームがある、勝点を落とすゲームがあるぞ。」と選手たちに訴えかけていた。

13-0で勝っている中でのたかが1点はこのゲームに関しては何も影響を与えないかもしれない。でも、このたかが1点が気の緩んだ雰囲気を作り、細部までこだわれないチームにしてしまう影響は多いにある。元プロのリーダが言う言葉には重みがあり現実味があった。彼はCBとしてプロの景色を見ている。きっとこのたかが1点に泣いてきた試合もあっただろうし、このたかが1点にこだわってきたからプロの環境で戦い抜くことができたのだろう。プロを目指すというのはそういった細部まで突き詰めて勝ちという部分にこだわることなのだろう。

プロになるために必要なパーソナリティー

『勝負にこだわる』ということは決して簡単なことではない。全ての選手が勝ち負けにこだわることは性格的に難しいからだ。私もその1人だった。自分が成長することに関してはいくらでも努力をすることができた。でも、その努力は相手を負かすためではなく、自分が大好きなサッカーを上手くなるため。きっとプロになる選手には「相手には絶対負けない、負けたくない」という強いパーソナリティーがないと厳しい。

ある程度『勝負にこだわる』ということは環境的な影響によって選手に植え付けることができるが、本当の負けず嫌いの選手になるにはパーソナリティーの部分が大きく影響していると思う。私も現役時代には監督から「勝負にこだわれる選手にならなきゃダメだ。絶対に負けちゃいけないんだよ」と言われて育ってきた。しかし、温厚な私の性格上、相手を打ち負かすことよりも自分の成長に矢印を向ける方が性に合っていた。いくら指導者に『勝負にこだわれ』と言われたところで簡単に選手のパーソナリティーを変えることは容易ではない。だからプロになる素質という観点で「勝負にこだわれるかどうか」は必ず入ってくるだろう。

私が担当しているカーディフの学年では負けが大嫌いなやつが多い。練習からバチバチに戦い、味方に弱気な奴がいれば叱咤激励する。そして、大体そういう負けが大嫌いなやつはどのプレーの瞬間でも「ボール失った」、「パスが上手くいかなかった」、「シュートが思ったところに飛ばなかった」、「味方が思ったように動いてくれなかった」、「自チームが失点した」などに感情的になる。そして徐々に成長していく上でネガティブな感情をどうやって対処してポジティブな影響をチームに与えるかを学んでいく。

負けず嫌いな選手たち

でも、そういった1つひとつのプレーの勝ち負けに感情的になれない選手はきっと大成しない。味方がどんなにミスしようが、自分のプレーが上手くいかなくても、悔しさを感じる事ができず向上しようとするエネルギーが圧倒的に少ないからだ。そして、そういう選手を長い目で見た時に成長するエネルギーやモチベーションが低い傾向にあるように感じる。常にネガティブになる必要はないが、「ちくしょう、この野郎」という気概がないやつにはプロの環境には向いていないだろう。

カーディフの選手の中にレフティーでチームでは5、6番目に上手い選手がいる。彼の左足は様々な球種を蹴ることができて、強烈な一撃を持っている。しかし、彼はチームの中では公平に見て5、6番手、彼の上にはもっと優れた選手がいる。でも彼の長期的な伸び代はかなり高いのではないかと思う。なぜなら彼は人一倍負けることが嫌いで自分がどのプレーでも上手くいかないことが嫌いだから。

5、6番手ということもあって選手をローテーションさせる時には控えに甘んじることもある。そして、コーチから控えを命じられるとベンチで号泣することも珍しくない。彼はそれだけピッチで自分を表現することにこだわっているのだ。でも彼自身は自分の状況をよく理解している。自分はもっとやれるという自信はあるが、自分の力不足で控えになることもあることを。自分の弱点もよく把握していて、苦手な右足を意図的に練習したり、ボディコンタクトが得意な訳ではないが、チームで1番コンタクトの強い選手に対して臆することなく練習内で向かっていき、吹っ飛ばされる。だからこそ上手くプレーできない自分に対して悔やみ、涙する。そんな彼の姿を見て私は嬉しくなる。彼の尽きることのない向上心と誰よりも自分のことを理解しているから余計に悔しく感じていることが伝わってくるからだ。

今回、様々な例から『真剣さ』とは何か話してきた。上手く『真剣さ』を説明することはできないが、チームが成長するために、強くなるために必要なものっていうのは今回の例に詰まっているのではないだろうか。『勝者のメンタリティー』なんて言葉があるが、こういった日々の習慣から生まれるスタンダードによって植え付けられるものなのではないだろうか。

人間は良く悪くも環境に適応して慣れてしまう生き物だ。高いスタンダードで日頃から練習することができれば、それが当たり前になり、チームの内外から"良質な期待"が芽生え始める。お互いにより高い質のプレーを求め合い、「もっとやらなきゃダメだ」というような雰囲気に包まれる。しかし、少しでもそのスタンダードが緩んでしまえば、人間は慣れていき「こんなもんだよな」と妥協点を探し出す。そして、格上のチームと対戦した時に圧倒的な力の差に絶望する。圧倒的な差というのは日頃のスタンダードを現していて、パススピード、トランジションの速さ、状況判断の速さと正確性、バチバチのボディコンタクト、苦しい中でももう一歩足を出すなど、「どれだけ細部にまで追求できるか」だろう。そういった小さな差が何重にも積み重なって大きな差となって試合に現れる。そして、試合後に「何が足りなかったんだろう」と考え始めるが、答えは『全て』でしかない。

今からでも遅くはない。今日の練習から『真剣に』取り組むところからスタートして細部にこだわってみたらどうだろうか。すぐに違いは見えないだろう。しかし、半年後、1年後にはきっと大きな変化が見えるはずだ。

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