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地域に暮らす皆さんの想いにそって、サポートすることがすべて|東日本大震災を機に設立したCWS Japanが今思うこと

こんにちは、CWS Japanでコミュニケーションを担当している高橋です。日ごろCWS Japanのnoteでは週に1本、職員が記事を執筆していますが、時には私が聞き手となって、職員や関係者の皆さんにインタビューした記事もお届けしていきます。

今回は、2011年の東日本大震災をきっかけにCWS Japanを設立するまでの経緯と当時の想い、そしてこれからのCWS Japanのありたい姿について、小美野事務局長に聞いてみました。


1946年に設立したCWS。東日本大震災を機に立ち上がったCWS Japan

CWSは、Church World Serviceの略で、アメリカに本部を置くNGOです。第2次世界大戦後である1946年に、多くのキリスト教派が被災国の救済と再建のために集まり、世界で活動するため組織化したのがCWSの始まりです。

現在アフリカ、中東、アジア、北南米、欧州の約30か国で活動に取り組んでおり、CWS JapanはCWS Globalの一員です。

CWS Japanとして日本に事務所を開いたのは、2011年の東日本大震災に対する緊急支援を行うことがきっかけでした。

アフガニスタン出張前の荷造り中に入ってきた大地震の一報

わたしは当時、CWSのAsia pacific regional officeに所属しており、タイ・バンコクを拠点に、主にアジア地域の緊急支援に取り組んでいました。

2011年3月11日はアフガニスタン出張に向かう日で、荷造りをしている最中に、日本で大きな地震が起こったという一報を受けたことを今でも覚えています。その時は、地震の規模もわからなかったですし、日本で地震はよくあることでもあるので、大きな被害にならないといいな…と思いながら、荷物をまとめる手を動かしていました。

バンコクの空港に到着し、空港のモニターから流れる地震の続報を見て、これが日本の状況なのか?と目を疑いました。その甚大な被害を前に、CWSとしても支援すべきであると判断し、早速日本での活動をどのように行うか模索し始めました。

そして地震発生2日後の3月13日には、日本の支援を正式に開始することを世界中の仲間たちに伝え、寄付金集めを開始しました。

いろいろな情報が錯綜していたので、すぐに宮城県と岩手県の沿岸地域を回り、いろいろな人の話を聞きながら、事業を共に実施していくパートナーともコミュニケーションを進めました。そうして東日本大震災支援事業が少しずつ立ち上がっていきました。

陸前高田にて被害状況の把握のヒアリング中 ©CWS Japan

これまでと全く違う緊急支援から学んだ、支援者としてのプロフェッショナリズム

それまでもあらゆる緊急支援に携わってきましたが、東日本大震災はこれまでと全く違う点がありました。それは、自分自身が日本人であり、ローカルだったということです。

アフガニスタンやパキスタンといった海外での災害支援の場合、「外国人」として関わることになり、入ってくる情報は通訳された情報や、ある程度フィルターがかかった情報です。こういった情報は、客観的に判断して取捨選択しやすいのですが、日本となると話は変わります。皆さんが話していることはすべてわかりますし、その裏側の意図、心の痛みなど、言葉として表出してこない微妙なニュアンスも感じとれて理解できるんですよね。

いろいろな情報が自分に入ってくる状況で、エイドワーカーとして自身の心身を保ちながら向き合うこと。そして、コミュニケーションを通じて得た情報をニーズとして理解した上で体系化し、支援に反映させていくことが真のプロフェッショナリズムであると学んだように感じます。

日々迫られる意思決定。"三方よし"なら即決断

東日本大震災に対する支援活動を開始してから1年ほど経過したころ、それまでは任意団体として日本に拠点を設けて活動していたのですが、事業の規模が大きくなっていたこともあり、法人化して日本にしっかりと根ざして活動すべきなのではないかという議論が起こりました。

そこで、2013年1月に特定非営利活動法人格を取得し、特定非営利活動法人(NPO)CWS Japanが誕生しました。わたしもそれまでは長らくバンコク拠点で日本と海外を行き来していたのですが、2014年12月に日本へ本帰国し、現在に至っています。

当時のことを振り返って大変だったと感じることは、なにが正しいかわからないけれど前に進まなければいけない状況で、自分で考えて、自分で決めて、自分で責任をとるという意思決定の孤独感です。

必要な場面ですぐに動けるような体制にしていた、といえばそうなのですが、裏側ではそれだけの意思決定を毎日する必要がありました。

そこで心に決めていたのは、"三方よし"であれば即決断する、ということです。三方とは、裨益者の方々、協働するパートナー、そしてわたしたちCWS Japan。この三方にとってプラスになる取り組みであれば、小さな懸念などが残されていたとしても、まずは実行することを決定する。これはこのころからわたしにとって揺らがない指針になりました。

その地域に暮らす皆さんの想いにそって、サポートすることがすべて

どの緊急対応もそれぞれハードだと思いますが、東日本大震災の対応は精神的にこれまでで最も厳しかったように感じます。現場で裨益者の方々や、パートナーと話をしていると、思わずわたしも涙が止まらなくなる時が多々ありました。

感情移入して話を聴くことも大切ですが、わたしたちエイドワーカーは課題分析をして、アプローチ方法を早急に計画して、少しでも早く実行にうつさないといけません。自分の感情と、一方で具体的で論理的な思考を開始することの切り替えはそう簡単ではなく、バランスをとることが難しい日々でした。ただ、この切り替えができるようになることこそが、この業界でのプロフェッショナリズムなんだと学びました。

もともとわたしが思い描いていた支援者としてのあるべき姿は、現地の人々が客観的に分析できないような課題に対して、外部の人間として自分自身が入ることで良い支援につなげる役割でした。自分はできるだけ感情移入せずに客観的に考えていくことが、現地の人々にとって一番良いと考えていました。

しかし、現地の人々の目線で物事を見て、今目の前にいる人の痛みを自分の痛みのように理解しない限り、なにが効果的な支援になりうるのか考えることができないと気づいたんです。

気仙沼の避難所では皆さんとカラオケをしながら色んなお話を伺いました  ©CWS Japan

現地の人々の力で復興していく長いプロセスの中で、外部者の我々が取り組むべきことを考えると、復興を担う人々を後押しすることしかありません。

同じ国、同じ県であっても、地域によって復興していくプロセスや、復興後に目指す姿は異なります。その地域に暮らす皆さんの想いにそって、サポートすることがすべてだと思います。

より良い支援を模索し続ける。業界における黒子でいたい

2011年の活動開始から13年。CWS Japanとして「緊急支援」と「防災」という活動の軸はできてきましたが、今後どのような形で成長していくか、社会に貢献していくか、模索は続きます。

ひとつ思っているのは、CWS Japanはアメーバみたいな組織でいたいということです。必要なところに行って、常に課題を解決する努力とチャレンジをしていたい。「これだけやっていたらOK」という安全地帯に、わたしたちは決して逃げ込んではいけないと思っています。

より良い支援につなげるためにどうすればいいのか。課題を解決するにはどうすればいいのか。変化に向けたさまざまなきっかけを生む先頭集団としてCWS Japanが存在しているのが理想です。

CWS Japanができることはちっぽけですが、きっかけにはなれると思っています。最近開始したアニメーション事業もその一つで、今いる場所では働けないという難民・移民の皆さんが抱えている壁を突破する方法を考えた結果、ひとつの手段としてはじまりました。

ただ、CWS Japanからはじまった取り組みも、「CWS Japanじゃないとできない」という状態ではだめで、必ず業界としての動きにつなげていくことが重要だと考えています。取り組みの結果、ムーブメントになった場合も「これはCWS Japanがやりました!」とアピールするのではなく、わたしたちは徹底的に黒子でいたい。プロフェッショナルな黒子を理想像に、これからも活動に取り組んでいきたいと思います。

(インタビュー・文:コミュニケーション担当 高橋明日香)

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