所感・NHKスペシャル「自衛隊 変貌の先に~“専守防衛”はいま~」を見て


前置き

だいぶ間が空いてしまいましたが、相変わらず余裕がない日々といった感じです。悪化しているような気もするが。

日々気になることはなるべくメモしたり調べたりはしているのですが、それを示す有用な資料や情報ソース等を集め、記事を十分に推敲するということが非常に難しい状況が続いています。しかし用意できる時間の中で用意できるものを用意することしかできないという状況の中では、ある程度の妥協は避けれられない。また情報というものはある程度時宜、もっというと「速度」、つまりそれが必要な時に必要なところに届く必要があるため、そこに間に合うクオリティでまとめて出さなければいけない。

前置きが長くなってしまいましたがそういうことで今後ある程度の精度低下は避けられませんが、可能な限りの程度で記事を上げていきたいと思います。そしてこの記事はそのようなファストフードならぬファストテキストです。それを前提として認識した上で、閲覧されますご自身の思考の一助になることを願って記載します。

本文・所感・NHKスペシャル「自衛隊 変貌の先に~“専守防衛”はいま~」を見て

1、全体的な印象

最終的に国民の議論、判断を促すような内容であったのが、まずそのためにはこの件について政府がどのような目的を持ってどのような軍事戦略を指向しているのかということを「はっきりと国民に示す」必要がある。しかしこの番組ではそれが不十分であると感じた。

示されたのは政府によって作成されたり提供された資料、情報、関係者の発言等がほぼほぼで、報道側も基本的にはただその内容を述べるのみであり、また報道側が独自に入手した情報のようなものもない。これはつまり一次資料の時点で政府によって「選別された情報」を報道側が編集しただけ、ということになるので、基本的には報道というよりは「単なる政府広報」に近いものになっていると思った。

なるべく公正で偏りのない情報を流すということは報道にとって極めて重要なことであるのは確かだが、しかし政府発表含め提供される情報が公正で偏りがないということはほとんどない。やはり単に誰か他者に用意された資料情報を垂れ流すだけでは上記のような公正さを保つことはできないと考える。そこで報道には的確な情報選択とその構成が求められるはずだが、今回の番組ではそれが十分になされているとは思えなかった。

2、内容について

2-1 全体像

敵国にまで届く長射程の対地ミサイル、「離島防衛」と特定的で限定的な文言を加えた上陸戦力、民間の生活環境が軍事へと統合されていく動きなどについて述べられていた。しかし民間が軍事へと統合されていく動きについては「具体的にどのような法によってそれが合法化されているのか」ということを示すべきであっただろうと思う。

具体的には住宅地の至近に弾薬庫が設置される、民間の空港が軍事拠点として接収される等の事例が挙げられたが、それが具体的に「どのような法によって合法化されているか」は示す必要があると思った。それによって我々国民は「具体的に」「どのような法によって」「どのようなことが起こるのか」を思考することができるので、「国民の議論を深める」ことにつながるのではないかと思う。そうすることで国民はテレビから流れてくる「よくわからない法案」という単なる「文字列」を「具体的な法案」という「現実」として認識できるはずだ。

2-2 上陸戦力の想定される投入局面について

次に「離島防衛」と銘打ち日本地図をしきりに映してその防衛性を印象付けた上陸戦力や上陸地点での「防御的な」陣地構築について。これを見て「日本に攻めてくる敵軍を我が軍が迎え撃つのだ」という印象を持つことは極めてまっとうな思考である。

しかし上陸戦を伴う訓練がオーストラリアという海外で行われたことや、アメリカや当地のオーストラリア軍だけではなくなぜか本土防衛とは遥かに遠い位置にあるドイツやフランスとの合同訓練であったことが述べられているのに、それが離島防衛に係る上陸戦とどのような関連性にあるのか?ということについて全く説明されていない。この時点で極めて重大な欠落があると感じた。

当然ながら日本の防衛すべき離島というものは小舟をつけるのすら面倒な小さく不便な海岸線(すらない島もあるが)が多い。歩いて数時間で回れるような島であることもざらだ。そんな戦略価値のないようなところに敵が上がってくるということはまずない。そしてそこに少数の特殊部隊のような自衛隊上陸部隊がゴムボートで突っ込むということもおそらくないだろう。

そしてなによりもまず小島であろうが沖縄本島であろろうが、敵のある程度の上陸戦力が比較的安全に陸に上がってくる段階というのは空も海も敵に制圧されて内陸の軍事拠点もほぼほぼ破壊されているという状況になっているので、もはや逆上陸などという状況ではない。それどころか冗談ではなく国民皆兵でゲリラ戦に至るような段階だ。

上記のオーストラリアでの多国籍軍による合同訓練だが、これの参加国が上陸を伴うような戦闘を行っている、もしくは行う可能性がある場所は当然ながら東の果てにある日本の豆粒のような離島ではない。ということはつまり、自衛隊がこれらの参加国の作戦地域への「上陸戦」を想定していることは間違いない。

それは「国際秩序」だの「国際平和」などによる間接的な影響として「日本国防に資する」といえるかもしれないが、しかしそれは過ぎた拡大理論であり、危険であると思う。昨今ではアメリカのイラク侵攻が国防のための自衛戦争だと主張されたが、そのような主張に対する疑問は根強い。結局のところ積極的な外征行動が自衛と評価されることは難しい。

こうした状況に関する説明が番組内では一切なかった。これは完全なる失敗であると考える。尺の問題は常につきまとうが、この映像を採用した以上は決して欠いてはいけない説明だったと思う。

2-3 完全に欠落した「空母打撃群」の存在とその情報

そして最も重要なことは、空母4隻を有する艦隊戦力や長距離大量輸送を行うことができる大型フェリー等の民間船舶の徴用等の情報が一切ない。これらは現下の日本の軍事戦略上極めて重要であり決して省くことのできない要素なので、このような番組を放送する上では決して省略されてはいけないものなのだが、これらに対する情報は本当に一文字一言たりとも示されなかった。これは極めて重大な欠落であると思う。

こまごまと専門的な説明をすることは相応しくないだろうが、可能な限り簡潔に説明すると現在日本には4隻の小型〜中型空母が存在する。空母というのは航空機を搭載して「海がある限りでは地球上どこでも空爆ができる」という船で、相当に強力な「攻撃兵器」だ。かつて日本軍では多量の空母を使い、有名なハワイ空襲である真珠湾攻撃だけでなくインドやオーストラリアへの空襲を行なった。

このように空母というものは基本的に飛行機では飛んでいけないような遠隔地でも空爆を行うための兵器で、基本的に自国の本土防衛をやる上ではなくても困らない。「より積極的にこちらから攻撃することも防御だ」という理論は番組内でも何度か述べられていたが、しかし空母とそれに積む飛行機、それを囲む艦隊などの維持費はとんでもなく高く、アメリカのように世界中の戦争に関与する必要がある国以外ではそれほど賢明な選択肢ではない。経済も、特に財政面では非常に危険な状態にある日本が手を出すような価格の装備ではない。

上記の通り自国防衛をやるなら空母にかけるよりもずっと安い価格でそれ以上の効果を発揮する装備機材はいくらでもある。それでも空母を、アメリカのような極端に巨大なものではないにせよ4隻も準備する必要性とはいったい何なのか?空母でしかなしえない機能とは何か。それは先に述べた「海がある限りでは地球上どこでも空爆ができる」という機能だ。

つまるところこれら空母を擁する大艦隊の投入局面は狭くミサイルの袋叩きになっても逃げ場のない日本海ではなく、日本からは遥か遠くにある遠隔地だ。これらの装備は、少なくとも際限のない拡大解釈をしない限りにおいては「専守防衛」という範囲からは完全に逸脱している。日本の防衛と専守防衛について取り扱うのであれば、これらの遠戦戦力についての説明は絶対に省かれてはいけなかった。この点でこの番組は致命的な誤解と実態の誤認、乖離した認識を国民の思考に生み出しかねない危険なものとなったと思った。

2-4 番組内容についてのまとめ

「専守防衛の形が変わっていく」「そのことについて国民的な議論が必要である」「その結果がどのようなものであったとしても、それは国民が負うことになる」。

番組のまとめというか、言いたかったこととしてはこのあたりのようだった。これらは全てその通りであり、特におかしなことではない。おかしいのはそうして「現状を認識し将来を想定し思案し答えを出す」というプロセスのために必要不可欠な「可能な限り公正で可能な限り十分な情報」が全く示されないことである。番組内の文言や言い回し等はともかくしつこいくらいの「防衛防衛」の強調の連続であったが、実態として現在増税をも伴うような莫大な軍事費の増額で行われていることは理屈はともかくとして軍事的には完全に遠戦戦力の拡大であり、法整備もまたそれに沿ったものとなっている。(参考記事・「自衛隊の民間船チャーター」報道に関する疑問

そのことについての言及が一切なく、ただひたすら防衛というワードを連呼する構成には非常に強い偏りを感じた。自衛隊は現状すでにかなりの外征型軍隊に変化しているということを、番組はしっかりと伝えるべきであった。

現実としてこの国の軍事力は「遠隔地への侵攻能力を持った軍隊」へと変化しつつあるわけであり、いくら口の上で「専守防衛です」と言ったところで何の意味もない。「特別な車ですからこれは特車です。戦車ではありません。」と昔は言っていたようだが、今では誰もがそれを見て「戦車」と呼んでいる。「専守防衛」「自衛隊」などと言ってもそれは単にそれに対する軽薄なレッテル貼りでしかなく、そんな薄っぺらいものは一瞬で消える。我々に必要なものはそんな詐欺まがいの言葉遊びではなく「今現実に実際にあるそのものの姿」であり、このように不十分で偏向のきつい情報で満たすことは極めて危険な行為でしかない。十分な情報が提供されなければ国民は実像からは程遠い、実態からかけ離れた「幻想」を妄想し、ありもしない「真実」としてそれを認識していく。そしてそれが「過ち」に繋がる。

なぜこのような番組構成を取ったのか。意図的にそうなったのかそうでなかったのか。当事者にしかわかりえないことだが、個人的にはこのような番組構成で仕上げたことに非常に不満が残った。情報の偏りが強く全体像が漠然としていて、ただ不安を煽るだけでそこに何があるのかをはっきりとさせるのとは真逆の効果を生むと思う。

3、所感の締めに、我々が十分に注意しないといけないこと

不完全で偏り欺瞞に塗れた環境には疑いと不信しか生まれない。それは混乱であり、正常な判断を欠き過ちに気づかないまま盲目の暴走に至るので、当然ながらまもなく破滅に至る。もはや報道だけの問題ではなくなってきているような気もするが、この状況はかなり危険であり、非常な危機感を覚える。

誤った情報と欺瞞によって巨大な損失を自ら生み出してきたことは遠い過去の歴史ではなく今現在も進行中の現実であり、今現在我々が生きているこの社会だ。昨今の、とくにテレビプログラムやメディア等の情報の偏向ぶりはますますひどくなっていく一方であるが、本当に危機的な状況だと思う。過激な言い方をすればこれらはもう戦前の情報統制下のメディアとほとんど同じ状況にあるのではないかと、個人的には思う。

国民に重要な判断を迫るのであれば政府はその詳細を可能な限りはっきりと示す必要があるが、それを示さないのはなぜなのか。理由としては単に重要視していない、もしくは「周知されるべきではない」という判断が存在し得ると考える。もはや現在メディアに乗る情報は政府によって選別されたごく一部の人間にとってのみ都合の良い情報で溢れかえっており、これを見て正常な判断をできるとは到底思えない。結果「思ってたのと違う」という、戦前と全く同じ無知と被害者意識の造成を起こす未来が見える。我々国民にできることはそう多くはないが、できることをできる限りしていくしかない。

4、今後していくべきだと思うこと

防衛というと戦争に短絡しがちであり、得てしてそれしか見えなくなってしまうが実際は違う。単純に敵意を持った外国人が攻めてきて殺しまくるというのは戦争の上っ面でしかなく、その薄い皮の下に恐ろしいほどの妄想と誤解と怒り、恐怖がぐちゃぐちゃに詰まっている。お互いに銃を撃ち始めたらあとはもう何とか生き残ることしかできないが、今現在我々がやるべきことはそれではない。

今何が起きているか、可能な限り、自分の費やせる範囲の時間を使い、冷静さを保ち、できる限りの記憶として頭に留め日頃気づける範囲で気づき、思考できる範囲で思考する。可能であればその辺りについて誰かと話してみるとか、こうして記事を書いてみるとかしてもいいかもしれない。

日本人は議論が苦手というが一方で、特にこうしたネット上ではとかく攻撃的であるなと感じることが多い。とはいえ意見を言うことはそれほど高度で難儀なことではなく、「なるべく汚い言葉を使わないこと」、そして「俺はそうは思わないけどまあそう思う人もいるんだな」でやたら叩きまくらないことだ。自分の気に入ろうが入るまいが、それを自分の思考の材料として食う。議論というとやたら相手を攻撃しろみたいな風潮があるが、実際はこんなもんでいいのです。

そうしてなによりも最低限選挙にはいくべきだと思う。今現在の日本で政府や権力の決定に対して我々国民の判断を示すことのできる手段はこれしかないのです。賛成なら賛成で、反対なら反対で投票には絶対行くようにしたほうがいいです。そのためにも先に述べたように、自分のできる範囲での思考とその答えを用意する必要があります。例えば「こんな何千文字も書いているやつに対して俺の「税金高いからやだ」程度の意見で投票はやばいだろ…」みたいな気持ちは一切無用です。一行の感想でも十分に的確な投票判断です。本当にそんな一行感想でもいいので、最低限考えたら選挙には絶対行きましょう。

政治は小難しいものではなく(政治家は分かりませんが)、本当に些細なことからでいいのです。些細な過ちで大きな損失につながることもなくはないですが、リスクのない成果というものはないので頑張って考えて投票しましょう。選挙なんていってもそんなもん…と思われがちですが、たとえば4、5人いて「何食べたい?」と聞いても誰も何も言わないと自分の狭いレパートリーからしか候補が出てきませんが、全員が全員候補を挙げると結構いい選択が出てきたりします。これは本当ですし、選挙も仕組み的にはそうだと思います。少なくとも「誰も投票来ないしちょちょっと金ばら撒いてりゃ一生安泰だぜ」みたいな人間は相当減ると思います。

投票行動は無意味ではないです。できる範囲で考えて答えが出たら、選挙にいきましょう。今のこの状況よりは遥かにマシです。

5、終わりに

結局かなり長くなってしまいました。もっと短くまとめられないといけないな…と、反省点が尽きません。

内容的に不十分だったな〜、足りないなという人はかなり考えている人です。僕の考えている量よりも多いです。そういう人には物足りないかもしれませんが、もし何かこの記事内で何かのきっかけというか、自身の思考の材料になるものがあれば上手く使ってもらえると幸いです。概ねそういう目的で書いてます。

本当は質問等あれば返していきたいというのはあるのですが、学生の時であればまだしも今この生活であれこれ時間を費すのは非常に厳しいです。だからこそ調べものや議論や思考に集中できる、それで生計を立てられる職業が必要なんだろうなあと常々思います。もし自分がそういう職業につけるなら少し考えてしまいますが、正直好きなわけではないので難しいところです。笑。

今もそう変わらないかもしれませんが、僕の学生時代などはネットは変な人間と半ば冗談のような流言飛語の飛び交う「閉じコン」(狭く閉鎖的なコンテンツ)などという認識が私自身も含めて大半だったと思いますが、ジャニーズや宝塚の一件などに係る界隈の歪み具合やそれを許容する環境、空気、昨今の報道の歪さなどを見るに、あってはならないことなのですがいまやメディアという世界はネットと大差ない程度の、信頼性のない「閉じコン」になってしまったと、このところに思うことが度々あります。

個人的にジャーナリズムというものは世の安定のために極めて重要な立ち位置であり要であると思うので、報道に限らず種々のメディアの現況や動向を見ているとかなり気が重くなるものがあります。とはいえ僕にできることには限度があり、そしてそのような場にいる人間にも限度はあると思うのですが、できる限りの正義を持って、できる限りの行いをしてほしいと思っています。

結局こんな時間になってしまいましたが、おそらく年内にまた何か記事を書くことはないかと思います。到底余裕がない。僕は風邪をひきましたが、皆様はなるべく健康に年を越せるようにご自愛ください。

なるべく良いことが多いことを願って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?