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47才のキャンパスライフ 〜慶應一年生ミュージシャンの日々〜 28「Time Flies!」

 痛感しています。

Time Flies!

(時間が飛ぶ様に早く過ぎ去る)

  入学式から始まった4月は、新歓のイベントがあったり、授業も初めてだったりとイベントが目白押しで、とても長く感じました。
 自分の感覚としては人生最長と言ってもnot過言でした。

 そして全てが少しずつリズムに乗り始めた5月。

 痛感しています。

Time Flies!!!

(しつこいね)

 授業が週毎なので気付きやすいんですね。「あれ!もう1週間経ったの!? ほんまに?」という感じです。感覚でいえば昨日か、百歩譲って3日前という実感なのに、もう1週間経ってしまっている。逆にいえば昨日のことのように覚えているという事でもあるのですが、どちらかというと授業の内容よりも

 あの、時間ギリギリで教室に駆け込んだ日から1週間かー!

 と、どうでも良いことの方を覚えてしまっています。逆ならいいのに。

 しかし、年をとるほどに時間の流れを早く感じますね。
 その現象の説明としては、それまでの人生の総時間との割合(10才にとっての1年は人生の1/10ですが、50才にとっての1年は人生の1/50なので、いわば5倍短く感じる)があると言われます。
 それは有効な説明だと思いますが、もう一つはいわば

 時間に対する無防備さ

 みたいなのが年を取るにつれて減少するのではないかとも思います。

 小学生の時は2時間目と3時間目の間の、たった20分間の休憩時間に

・ボールを取って
・靴を履き替え校庭に繰り出して
・足で校庭の土に線を引き、陣地を書いて
・2チームに分かれ、白熱のドッジボール!

 とこれだけの事を、特に休み時間が短いとも思わずに毎日やっていました。おそろしいですね。たった20分ですよ。今ならコーヒーも飲み切らない間に過ぎてしまいます。

 時間という概念をそれほど気にしていなかった、というのが大きいかもしれません。子供達にとって休憩時間は「チャイムが鳴ってから次のチャイムが鳴るまで」であって、チャイムがなる直前までは全力でボールをぶつけたり避けたりしているわけです。時計という客観的な物差しではなく、チャイムによる割り込みというある種動物的なきっかけによって休み時間が終わります。もしチャイムが鳴らなければ、我々は日が暮れるまでドッジボールをしているかもしれません。チャイムが鳴るまでの時間は、いわば子供達にとって永遠なわけです。チャイムが鳴ってしまうまでは。

 しかし考えてみれば、身体能力的には我々大人の方が、子供たちよりも迅速にボールを取り、靴を履き替え、校庭に陣地を書いて、より高速にボールを投げ合う事ができます。20分の間に完遂できる工程は子供達より多いはずです。(想像してみるとだいぶん大人気ない絵が浮かんできてしまいましたが(笑))

 でもあまりに張り切ると20分も経たずに疲れてしまうかも…。

あれ、これかな?

 大学に入学したばかりの4月は前述したように新イベントが多く、全てが目新しく張り切っていて、ほぼ疲れを感じませんでした。しかし5月に入ってから、やはり寄る年波でしょうか、ちょっと疲労の蓄積が否めなくなっています(笑)。それで時間の流れをより敏感に感じてしまっているのかも…。

 年をとるにつれ、疲労が体内時計の一つになるのかもしれないですね。うーん。まとまってるのか、ないのかわからないけど、それではまた次回!


 


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