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【ライブレポ】透色ドロップ「透色の秋 全国ツアー2022」 ファイナル東京公演

通過点であり、一つの章の終わりでした。

11月19日(土)、池袋のStudio Mixaにて7人組アイドルグループ・透色ドロップの秋ツアー「透色の秋 全国ツアー2022」東京公演が開催されました。
9月3日のSHIBUYA DIVEでの初日公演を皮切りに、佐倉なぎさんの地元新潟天川美空さんの誕生日当日の福岡、名古屋、大阪、そして追加公演の仙台を経た、じつに2カ月半にわたるグループ史上最大規模のツアーの最終日です。


前回の全国ツアーが約1カ月でほとんど駆け抜けるように各地を巡っていったのに対し、会場数こそ増えましたが各地の間が2週間程度空くなど比較的じっくりとまわった今回。
2カ月半も経てばすっかり季節も変わるもので、夏フェスがひと段落してまだまだ暑い盛りに始まった初日公演が遠い過去のように感じます。
個人的には行けるところは全て行こうという思いで、全通こそできませんでしたが新潟、大阪、仙台とまわり、透色ドロップというグループへの思い入れが他とは違う特別なものに変わっていったツアーでした。
メンバーが語る各地での思い出の多くも、自らの感想と照らし合わせながらうなづいて聞くことができます。

◆言葉よりも

そして遠征に行くたびに、千穐楽の東京公演の重みを感じるようになりました。
都内を中心に活動するライブアイドルにとって、Studio Mixa含め都内のライブハウスはなにも珍しい場所ではありませんが、なん百キロも離れた地に行くと数字上での距離の遠さのみならず、その距離を飛び越えてまでもファイナルに来て欲しいというパフォーマンスの熱みたいなものを感じ、11月19日という日にちがより濃く縁どられていくようになりました。

「絶対に来て欲しい」
今回のファイナルに限らず、透色ドロップメンバーは大事なライブの時によくこの言葉を口にしますが、強い言葉で訴えるのはたやすいことくらいは7人はよく理解しています。
言うのは簡単な一方で、ひとたび口にしてしまうとその言葉が重くのしかかってくることも、です。
不確定な未来を保証するときに、「後悔させない」など便利な強い言葉を使えば使うほど、実際の行動へのプレッシャーとなって現れてきます。
かつてもあったかもしれませんが、「予算とかそれぞれの都合もあるとは思うけど」などとこちら側の向き合い方も考えてくれているのが分かるような言葉を告知の時に添えてくるようなったのは、一方的に来て欲しいという要望を伝えるだけでは不十分だという、SNSでどんな言葉を利用するのが効果的なのかを考えた試行錯誤の結果なのかなと思います。
この全国ツアーにかけ、これまで以上に言葉に気を遣うようになったのかもしれません。

とはいえどんな言葉よりも、生で見る景色の方が遥かに雄弁です。
ライブでの説得力にかなうものはありません。
自分が観てきた範囲でいえば、節目となるライブでは必ず言葉以上の結果を届けてくれたのが透色ドロップでした。
だからこそ、行けるライブにだけ行ければいいやというスタンスから、少々時間をかけてでもツアーについていこうという追いかけ方に変わっていったのでした。
遠征に着いていってメンバーの発する言葉を当事者意識とともに耳を傾けるようになっただけに、予想がつかなかったのはツアーファイナルをどういう気持ちで受け止めるのだろうかということでした。
瀬川奏音さんはMCで「この日がどんな景色になるのか予想もつかなかった」と言いましたが、それは自分も同じでした。

◆技術よりも

以前とは向き合い方が変わってやってきたツアーファイナル。
終わった今、一言で言い表すなら、2時間半のステージの中にグループのこれまでとこれからの全てが入っていたように思います。
自分がライブアイドルにこだわっている理由の一つに、過程を追いかけること、というのがあります。
初めからドームやアリーナといった大舞台が用意されているわけではない状況で、ライブハウスからそこを目標として努力していく姿はこの上なく美しいです。
その姿を見て、自分も頑張らねばならないなと引き締め直す。
アイドルとはそう思わせてくれる存在でした。
ライブの頻度も高く、あるところ以上には近づけないけれども遠すぎないというライブアイドル特有の距離感のおかげで、数をこなすごとにそのグループに対する自分なりのドキュメンタリーが編まれていくような感じがしていて、そうして積みあがった物語がライブハウスから離れられない理由でしたし、日々の糧でした。

ツアー前から既に、透色ドロップもそうした存在にはなっていましたが、この日を経てその考えがより強固になった気がします。
初めて観たワンマン「瞬間的記憶」の時に感じた、ダンスが揃っているとか、振り付けが綺麗だという感覚はもちろん変わらずあります。
生歌をより聴かせるようになって歌の上手さも伝わってきました。
梅野心春さんが加入直後の前回ツアーよりも技術的に上手くなったところを挙げてみればいくつもみつかるでしょう。

しかし、そんなテクニカルなことよりも、ひたすらに心を揺さぶられました。
グループが得意とする、数曲ひとブロックでの統一されて絶対にぶれない雰囲気作りや、喜怒哀楽をさらに細かく分類したような細かい表情。
曲への感情の入れ方も、自らのヒストリーと重ねる部分と、これまでの背景とは全く関係ない別人の演技とを自在に行き来しているような気がしていて、振り付けだけでなく気持ちとしての7人の足並みが揃っていました。
それぞれ好きな曲や思い入れ深い曲はバラバラなはずですが、個人的な感情はどこにもなかったように思います。
オーバーに見えた身振りは小さくなり、それぞれがそれぞれに溶け込んでいました。
そのおかげで、どの曲でも誰か特定のメンバーだけ力が入ったように見えてしまうことがありませんでした。

この日は初披露の新曲も含めて持ち曲全20曲を全て披露するということになっていて、メンバーは見どころとして全曲披露を推していましたが、ただ時間と労力をかけて持ち曲の全てを出し切るだけでなく、それぞれにストーリーを持たせ、いつもより少しばかり長いひと繋ぎのライブを作り上げてしまいました。

上手側から、目の前に来たメンバーに集中しようと視線を凝らすと、もれなくどのメンバーとも目線がぶつかります。
目があった人を逃すまいという抜かりない姿勢が伝わってきました。
個人の圧倒的なスキルで釘付けにするというグループではありません。
誰か頼みではなく、7人からなる他では再現不可能なライブがありました。

それに加えて何より嬉しかったのは、7人にとってこのツアーがゆるぎない自信となったことが伺えたという事です。
よく言えばストイック、悪く言えばネガティブ過ぎるメンバーはこれまで、過去のライブを引っ張り出して「あの時は全然ダメで...」とか「不完全燃焼で」とたびたび言っていたのですが、このツアーに関して言えば一つもマイナスなコメントは聞かれませんでした。
とりわけストイックな印象のある橘花みなみさんが、これまで課題も多かったという大阪公演の感想で「楽しいしか出てこなかった」と言えば、橘花さんに輪をかけて自分に厳しそうな瀬川さんは「皆がきっと私たちをみて『良いな透色』って思ってくれていると思う」と断言します。

少し前だったら、確信に満ちたこのコメントは出てきたか分かりません。
ファンの方の暖かいコメントはよく見かけますが、そうした応援の言葉に触れ、関心を持って来てくれる人は皆味方だという心境になってきたのでしょうし、ツアー直前にリリースされた「自分嫌いな日々にサヨナラを」のように、自らを愛そうという感覚が芽生えてきているのかなと感じました。
先の短いアイドルのこと、いつかは形が変わってしまうのでしょうし、その不安は絶えずあります。
いつまでも楽しさにしがみついていられるわけではないのだろうとも思いますが、せめてわずかなこの時間だけでも、束になって生まれる透色ドロップの作品を楽しめたのは幸せと言ってしまっていいのだろうなと思います。

「今が一番だから」と言いますが、不完全さも含んだ明かな中間地点という「今」ではなく、山を登り切ったマイルストーンとしての「今」でした。
20曲をまとめた本編はそういうライブでした。
記念撮影を終えた後に流れた、なんとも言えない穏やかな空気や、もう思い残すことはないといったような7人の晴れ晴れとした表情が物語っています。
一つの山頂にたどり着いた今、次はまた別の山を目指していくのでしょう。

ここからはライブ当日の模様を、セットリストを追いながら書いていきます。

◆ライブ~ブロック1~

M1. きみは六等星
M2. ネバーランドじゃない

白いカーテンがステージ背面の天井から床まで下りています。
ひだで波打ち、両端は長さを余らせて真っ直ぐではなく末広がりのようになっていました。
センターには「透色の秋 全国ツアー2022」とツアーロゴが、これまでの正方形のフラッグ型ではなく丸のアイコンに縁どられていました。
そして目を引くのがカーテンとともに真下に下りてきたいくつもの花の列。
ツアーファイナル直前にお披露目となった新衣装のアーティスト写真にも出てくる、メンバーの横を鮮やかに彩った花が、ここに登場しました。

末広がりの白のカーテンは上から下に水のような流れをつくり、真っ直ぐ縦に伸びる花は急流の中で絶えず意志を持っているように見えます。
天井には細めの照明が光っていました。
会場・Studio Mixaのステージはこんなしつらえでした。
ここから2時間半、ボタニカルな装飾や、やや心細い照明は、場面ごとにまるで別物のように見えていきます。

16時半、恐らくほぼ定刻に始まったライブは、「きみは六等星」からでした。
7人の衣装は、この日が初お披露目のものでした。
初めてキラキラした装飾を施したそうで、袖やオーバースカートの青色が乱反射して水面のような見た目になっていました。
ステージは案外奥行きがなく、瀬川さんが「一曲目からいきなり花にぶつかったんだけど...」というシーンも配信ではしっかり映っていました。
後列に映った瀬川さんの後ろで花が揺れています。


◆ライブ~ブロック2~

M3. ぐるぐるカタツムリ
M4. 恋の予感!?
M5. キュンと。
M6. 君色クラゲ
M7. 桃郷事変
M8. りちりち

どのメンバーも良かったのですが、とりわけ挙げるとすれば佐倉なぎさん。
ずっと見ていても面白いくらいに表情が変わっていき、まず飽きるということがありません。

小回りのきく照明はチカチカと色を変え、赤で通すのかと思えば対極にある青色に替わったり、時にトーチライトのように直線的な光を放ったり、その動きは予測不可能でした。
アーカイブで観ると直に当たったメンバーは白飛びしていて、かなりまぶしそうです。
曲振りでも言っていたように、このブロックは明るくて楽しい曲たちが並び、自然と小刻みに跳ねてしまいます。二次元的なキラキラとした画面の向こうにメンバーがいるかのようで、後ろの花はその象徴でした。

キュンと。」では目の前の光景の賑やかさを頭が音と変換したのか、スピーカーから聴こえてくる伴奏や歌声が遠く感じる瞬間があるなど、楽しさがある閾値を超えたときにふっと意識を失いそうになるライブならではの感覚を味わいつつ、一方でそれとは全く違う感情が出てきている事もこのあたりから実感していました。

この泡沫を失うことの怖さです。
透色ドロップのライブで過ごすのは楽しい時間ばかりではありません。
終始お気楽な曲だけというわけではなく、思考に耽溺するような時間がいずれやってきます。
こうは書いているものの、何も不快なものではなくこれこそ透色ドロップというべきひと時で、自分はそこに浸るのが好きなのですが、夢のような時間の渦中にいるだけにその場から離れて真顔に戻るのがたまらなく惜しくなってきました。
先のことがよぎって不安になるなんて不思議なものです。
こんな感情はライブに何度も足を運んだからこそ生まれてくるものかもしれません。
現場にいると何曲披露しているのかという現在位置は分かりませんが、恐らくその時間はそろそろやってくるのでしょう。

桃郷事変」では電流のような音と見並里穂さんの口上で鳥肌が立ち、「りちりち」の2サビ「欲しがらないと掴めない 細く脆い蜘蛛の糸」で取り合いをするみたいに天川さんと佐倉さんが瀬川さんを中心として引っ張りあうところでは、自分も引っ張られるような感覚になりました。
花の装飾はここでは野性味を増しています。
瀬川さんが笑ったのが目の端に映りました。

◆ライブ~ブロック3~

M9. 戻ることないこの瞬間
M10. 孤独とタイヨウ
M11. 衝動
M12. ユラリソラ
M13. 君が描く未来予想図に僕が居なくても 

前のブロックから予感していたひと時は、ここでやってきました。
ここからは笑顔も控えめになり、沈潜するような時間となります。
まずは「りちりち」と同じく「瞬間的記憶」の直前にリリースされ、以降数回しか披露されていない「戻ることないこの瞬間」からでした。
ものごとの諸行無常だったり、ひいてはアイドルの儚さみたいなものを痛感する曲です。
5月に梅野さんが加入し、新体制となってからは初披露でした。

自分が思う透色ドロップの特徴の一つは「鐘の音」であり、いくつかの曲の伴奏ではそれが効果的に有限さを象徴しているように思っているのですが、この曲では帰り道に耳にするようなチャイムみたいな音として登場してきました。
「瞬間」が出されたのは前メンバー・成海千尋さんの卒業を控えていた時期で、その時は終わりゆく体制の最後の煌めきをこの曲に見たのですが、その後梅野さんが加わって自分のグループへの向き合い方もだいぶ深まっていったことであの頃とも違う捉え方になっていきました。
何というか、誰がいなくなるでもない、安定期に入ったとも見える今だからこそ「一緒に過ごす この毎日も いつかは終わり 振り返る時 記憶に変わる」などの歌詞が急に身に染みて襲ってくるのです。
ただ、この曲に対して個人的な思い入れが沢山あるであろうメンバーの表情は冷静に見えました。
パーソナルな感情は演技を鈍らせると言わんばかりに、です。
受け止め方はこちらに任されたような感じでした。
照明は青と赤に二分され、後の白い幕は前半よりも厚くなっているように見えました。

孤独とタイヨウ」では見並さんのワンフレーズ「ずっと」のロングトーンが伸び、このあたりから照明の照らし方やカメラに収まる画が少しずつ変わっていきました。
白色の光が点滅して動きがコマ送りのようになり、マサイするフロアを斜め後ろから映していた配信のカメラは、いつしかステージに集中するようになっていました。

衝動」「ユラリソラ」では呆然とする赤一色の照明でした。
メンバーの身体表現はそこから何かが発されているかのように鬼気迫り、もはやついていけません。
しかしこれでこそ透色ドロップです。
3月の単独公演「瞬間的記憶」で「衝動」を披露したときに涙した佐倉さんの姿が遠い昔に思えるほど、時に不気味さや残酷ささえ覚えるようなステージでした。
あの時の涙は、その前後の「未来予想図」や「瞬間」といった儚い曲とのつながりもあり、前体制の終わりを迎えなければいけないことへの実感からでてきたようだったのですが、一転してこの日の真っ赤な照明に照らされながらも全く温度を感じないパフォーマンスでした。
ここまで振り切ってしまうのかと驚嘆に値します。
前半が光なら、ここのブロックは影だけを向いていました。

君が描く未来予想図に僕が居なくても」あたりからは歌声が広がりをもつようになってきて、悲鳴にも似た響きになっています。
制服姿で実際の校舎を使って撮られたMVの様子が思い起こされ、後の花は学校の卒業を前にした飾りのように見えてきました。

◆ライブ~ブロック4~

M14. 自分嫌いな日々にサヨナラを
M15. やさしさのバトン
M16. ≒
M17.  アンサー
M18. 僕らの轍

ツアー後半の振り返りを挟んだこのブロックも、ただ聴かせるような曲たちでした。
とは言いつつも、このツアーからお披露目された「自分嫌いな日々にサヨナラを」はそれまでの曲とは少し違い、人情的な暖かさが戻ってきたように思います。
人が変わったように穏やかな表情で上手、下手へと手を差し伸べる姿を見ると、これまでの曲とはタイプが明らかに違うと分かります、
佐倉さんと瀬川さんによる落ちサビ「自分嫌いな日々にサヨナラを 正直になれるはず」は綺麗なコーラスで、恐らく歌っている本人たちとしても爽快だったのではないでしょうか。

「やさしさのバトン」「≒」は黄昏にも似た色となり、背景は萌木のようでした。

細かい点を挙げると、天川さんがマイクを持つ手を綺麗に返していたのが印象的でした。
曲が増えたことで、曲ごとの役割分担が明確になったのかなと思ったのが17曲目の「アンサー」です。
今まではどちらかというと熱を感じる、押し気味の表現だったのが、今はより低音域が出るようになったからなのか先のブロックのようにひんやりとした雰囲気が漂っていたように思います。

次に披露されたのは、数日前にリリースされたばかりの新曲「僕らの轍」なのですが、この曲について書こうとするととても数行では収まりきらず、他の項目との量的なバランスが悪いので、ひとまず飛ばしてこのレポの一番最後に書きます。

「僕らの轍」の次は久々のMCでした。「ここまで18曲やってるんですけど...」一息つき橘花さんがこう言ったときに空気がゆるみました。

最後のMCということでツアーを通しての感想を上手から一人ずつ口にしていったのですが、6月のツアーファイナルで何人かのメンバーが泣いていたのとは対照的に、この日は重すぎることなく、基本的に明るい表情でした。
ツアー期間中、大小さまざまな事で落ち込んだり悩んだりしなかったことはないでしょうし、今日だってここが微妙だったなとか失敗したなとかいう反省はあったかもしれません。
この先もライブをするたびにそんな悩みはついてまわるでしょう。
しかし、そんなことよりも20曲披露というチャレンジングな試みをやってしまった、ツアーを成功させたという達成感に満ちていました。
アイドルは過程だと冒頭に書きましたが、脇目をふらずに駆け上がった先の景色は、夏前よりはるかに見晴らしがいいものでした。
数ある中からこのグループを見つけることができて改めて良かったとしみじみしてしまいます。

◆ライブ~ブロック5~

M19. だけど夏なんて嫌いで
M20. 夜明けカンパネラ

最下手の見並さんが喋り終えた後、「切り替えて、皆さん...」橘花さんが言いました。
全曲披露も残すところあと2曲です。
その片方の曲のSEが流れてきました。
だけど夏なんて嫌いで」です。

「いろんな県から、いろんな事情を乗り越えてきてくれて本当にありがとう。私たちは今が最強だと証明していきます。私たちと一緒にいろんな景色を見ていきましょう!」

すっかり遠ざかってしまった夏の記憶が思い起こされます。
現体制となってから一発目に出された「だけ夏」は、7人の足取りそのものでした。
最後は「夜明けカンパネラ」。
大事なラスト2曲がどちらもこの一年の間に生まれた曲というのが、前のみを見ている透色ドロップらしさかなと思います。
両手にハンドベルを持ち、下から上に振っていくサビの振り付け。
ラスサビで下から上に上がっていく7色の光の動きに合わせてカメラが上がっていったのは素晴らしい構図でした。

これで全ておしまいです。
「やり切った...」
瀬川さんがぼそっと呟きました。
これまで地方公演では予定調和なアンコールをなくし、本編だけで14,5曲を披露してきました。
20曲やると宣言したこの日も、6曲連続や5曲連続を複数入れながら本編内で全てまとめたのは、予想していたとはいえ素晴らしいです。
記念撮影も終わり、これで終わっても全然いいくらい充実していました。
ライブに何回も行けば、その時間がアンコール待ちなのか、本編までで終わりなのかはなんとなく雰囲気で分かります。
その勘からすれば、お礼を言って最後に捌けていくメンバーがいつもするはずの深々としたお辞儀をここでしなかったことを除けば大団円の雰囲気でした。

7人が去り、真っ暗な場内に自然発生した拍手の後、アンコールの拍手が鳴ってもまさかもう一度出てくるなんてあるまいと思っていたのですが、そんな予想は遠くから聴こえてきた汽笛のような音と赤と緑に彩られたライティングにかき消されました。

◆サプライズのアンコール

もしかして「あれ」かと思ったころには、真っ白に金色の装飾衣装を着たメンバーが一人ずつセンターにやってきてポーズを取っていました。
ツリーチャイムがいかにも牧歌的なホワイトクリスマスを思わせるメロディーは、行かないといういまから思えばあり得ない選択をしてしまった昨2021年12月の単独公演で披露された「クリスマスSE」です。
少し季節は早いですが、今ツアー初のアンコールは一年ぶりのクリスマスの装いでやってきました。
この展開を予想できた方はどれほどいたのでしょうか。
まさかクリスマス衣装だとまでは考えが及びません。
それとともに確信しました、ツアーは本編までで終わりだということと、既にグループはこの先を見据えているということです。

クリスマスSE
En1. きみは六等星 クリスマスver.   
En2.  ネバーランドじゃない クリスマスver. 

クリスマスver.として披露した「きみは六等星」「ネバーランドじゃない」はチューブラーベル(チューブラーというとエクソシストを連想してしまいます)やスレイベルといったクリスマス専用といっていいような楽器がふんだんに出てきて、「六等星」で天川さんが他の6人で作った輪から飛び出すところのメロディーは完全にジングルベルでした。
見並さんは遠くで聞こえるクリスマスマーケットの喧騒に耳を傾け、振り付けは一部オリジナルと変えているようです。
芯までクリスマス仕様です。

思えば、自分が透色ドロップのシンボルだと思っている鐘の音は、クリスマスの何よりもの象徴でもありますし、「夢のなか 僕と君がいる世界 いつまで覚めずにいられるだろう」と束の間の真夜中、あべこべな世界を過ごす「ネバーランドじゃない」はまさにクリスマスイブそのものです。
達成感だとか、感慨だとか、ツアーにまつわる感情はここにはありませんでした。
つま恋などのイルミネーションのように、華やかなものを目の前に、ただ胸が高鳴っている時間が流れていました。
最後には花咲りんかさんから「クリスマス当日に単独ライブ『すきいろクリスマス』を開催します!」という発表がなされて再度記念撮影の後、ご褒美のようなアンコールは幕を閉じました。

「大きくなっていくにつれて」
佐倉さんは言います。
「推しが遠い存在になっていってるんじゃないかとか思うかもしれないけど、この空間を共有した私たちは心の距離が離れることはないし、むしろ皆との思い出が一つ二つと増えていって決して色あせることはない」。

人間の心は、というか自分はかなり気まぐれなところがあるので、未来に対して確定的なことを言いたくないのですが、7人がやり切ったと思えるその日まで見届けることが出来たら何よりです。

ライブの内容については以上です。
最後に、先延ばしにしていた新曲「僕らの轍」について書いてみようかと思います。

◆今だからこその新曲「僕らの轍」

果たして一年前、透色ドロップを知り始めたころの自分がこの曲を聴いたとしたらとふと考えました。
新木場やduoでの対バンで見た、儚い歌声のあのグループの曲だと信じられたでしょうか。
何も知らなければ、路線が大きく変わったんだなと思うかもしれません。

成長や変革、それに伴う痛みといった、グループアイドルが遅かれ早かれ迎える出来事と内面の心模様がこの曲に入っているように感じました。

メロディーはイントロから情熱的な音(マンドリンも入っているのでしょうか)に、電子音のブリッジ。
坂道みたいだと言う声もちらほらと聞こえましたが、大勢で足踏みをしているイメージがなぜかうかびました。
ウィスパーボイスのAメロに続く、明快にドンドンと押してくるリズムに乗り、今までになくメンバーの歌声の輪郭がはっきりしています。
生で聴くとグループ随一の歌声の持ち主、瀬川さんのソロが目立ちました。
センターやエース、前後列という概念がなく7人が等しく前に出てくるというこれまでのスタイルを崩し、一人センターで明らかに目立っていることが多いです

「あの曲でソロを歌っていた子...」
そんな声が初見さんから聞こえてきそうで、一人がフィーチャーされることが少ない透色ドロップにあってはかなり珍しい事と思います。
ラスサビ前で瀬川さんは梅野さんとペアを組み、それぞれワンフレーズのソロを担当したあと2人の声が重なるという動きを見せるのですが、これも今までにない歌割でしょう。

変化は歌詞にも現れていて、これまで比較的「僕」という一人称で内にこもっていくようなフレーズが目立ったのに対し、「僕らの轍」ではしきりに繰り返される「僕ら」という言葉から、自分本位から一歩抜け出した印象を受けました。
人を傷つけようとも「衝動」のままに進み、「だけど夏なんて...」と卑屈になっていくのとはどこか違う雰囲気です。

「振り返らず前へ」という言葉も頼もしい響きですが、それとは裏腹にこれまでの活動の振り返りというニュアンスも読み取れました。
歌詞にはこれまでリリースした曲のタイトルや歌詞がいくつも入っていて、「アンサー」や「孤独とタイヨウ」などは印象的な振り付けが轍の振り付けにも落とし込まれています。
ざっと挙げてみるとこれくらいでしょうか。

「孤独じゃないと~~太陽みたい」
「衝き動かしてる」
「夜明けの鐘」
「アンサー」
「未来に君は居なくても」

一年間ですら同じ形で居ることが難しく、巨視的な見方になかなかなれないライブアイドルの世界です。
メンバーが流動的であったり、存続もあやういようなグループであれば、既存曲の歌詞を散りばめたこの斬新な曲も、実を持たなかったはずです。
卒業と加入はあったものの実体を崩さず説得力を失わなかった透色ドロップだからこそしっくりくるのでしょう。
「自分嫌いな日々にサヨナラを」などの曲を通して、さらにはMCなどでのちょっとした発言からグループとして大人になっていることを感じていましたが、そのタイミングで満を持してリリースされた、今だからこその曲だととらえました。

名曲です。

◆ライブ配信アーカイブ


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