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ぼくの農業では、10人くらいしか生きられない

30分の1

 我が家の田んぼでは、毎年1500㌔くらいのお米が穫れます。耕作面積は4反弱(4000㎡弱)で、だいたいそれくらいになります。他方あたりを見回すと慣行栽培の専業米農家さんは、だいたいひとりで10町歩(1町歩=10反=10,000㎥)くらいを作付けしていて、(平均反収が7俵として)年間でだいたい42,000㎏=42㌧くらいを育てています。ざっと、まぁ、ぼくの30倍くらいを生産しているわけです。おなじ専業の農家なのに、僕は彼らの30分の1くらいしかお米を育てられていないことになります。だから、食卓を任されたプロとしては、僕はまったくの役立たずの部類になります。(野菜の生産も並行しているので単純な比較はできませんけれど)でもね。生産量が30分の1だからと言って、自分には価値がない、彼らよりも劣っているとは、おもってはいません。別の方向をむいているだけで、おなじようにがんばっているとおもっています。

そんな我が家の田んぼのいちばんの取り得は、
『僕が農家であるかぎり生産を維持できる』事です。※

どういう事か?と言うと、農薬とか化学合成肥料とか有機肥料なんかの生活の外から持ち込むモノを、もうずっと田んぼには入れていなくて、それでも問題なく成り立つ稲作をしているからです。生産の基盤を外部に依存していないので物価上昇による農薬や化成肥料などの高騰にも殆ど影響を受けません。極端な話、戦争や災害などで外部との交流が絶たれても問題なく維持できる生産方法を選択しているのです。

食べることは生きることと同義であるから生存の根幹を他に委ねないで済む、その部分だけは、他の農家さんに比べて優れている、と思っています。

※現在の収穫量を維持するには、年間で20~30㍑くらいの軽油(トラクター用)は必要です。
現状、我が家の田んぼの環境では、不耕起水田のかたちでは生産量を維持できません。耕起は必要。それ以外の作業は、人力で代替え可能です。
あっ、でも籾摺りは機械がないと面倒くさいなぁ。

尺貫法

平均すると現在の日本人は一人あたり年間60㌔くらいのお米を消費しています。いまは飽食の時代なので、お米以外にも食べるものはいくらでもあります。だから統計を録りはじめて以降では昭和中期のピーク時に比べて、だいたい半分の量になっています。そして現在も右肩下がりで消費量は減り続けています。

お米の単位の一つに『石(こく)』があります。加賀百万石とかで使う、あの『石』です。あれはなんの単位なのかと言うと、大人の男性が一年間に食べる米の量(尺貫法の体積単位)を表しています。体積で180㍑、重量で150㌔くらいになります。だから、加賀は、百万人を養える量のお米が穫れる豊穣な国だよ!と誇っている訳です。

昔の単位だからと言って、現代のぼくらには関係がないか、と言うと、そんなこともなくて、今でも生活の随所で尺貫法は使われている単位になります。炊飯器でお米を炊くときは『合(ごう)』で計ります。一合は180㏄、で、一合を10倍すると『升(しょう)』になります。一升を10倍すると『斗(と)』になり、一斗を10倍すると、やっと『石』にたどりつきます。五合炊き炊飯器とか酒一升とか一斗缶とか、いまだに使っているでしょ。m法だと中途半端な数字になってしまうけれど、昔から使われていた単位なので、日本人の体格とか生活にはマッチしているのでしょう。建築に使われている尺間(尺貫法の長さの単位、貫は重さの単位)とおなじです。

ついでに書くと、農地面積を表す反(たん)は現在のm法に照らし合わせて、一反=約1000㎡になっていますが、元々は300坪(坪=間×間=1.82m×1.82m=畳2枚分)が一反になります。雑学をもっと書いちゃうと反の面積は変節を繰り返していて、墾田永年私財法の頃は、一反は一石のお米が穫れる田んぼの面積でした。生命維持の基本単位だから田んぼによって、反の面積は違いました。反や石って、それだけ重要な単位なんです。

一石一城(熟語間違いだけれど、ある意味正しい)

一日3合、一年で約1000合が大人の男性が食べるお米の量。それが100升=10斗=1石、体積で180㍑、重量で150㌔。そうやって考えてゆくと、我が家の田んぼで穫れるお米は、毎年1500㌔だから大人の男性10人分の量になります。そいで、がんばっている専業の米農家さんなら42㌧で280人分になります!(すげーなぁ)なんだか書いていて自信をなくしてきましたが、言い訳を得るために、ここから盛り返してみます。

280人分のお米を一人で生産するためには、効率化が欠かせません。だから、専用の農機を揃えます。大型機械だと、トラクター、田植え機、コンバイン、運搬トラック、乾燥機など。施設として、お米を入れる貯蔵庫や機械を入れる倉庫、稲苗を育てる育苗ハウスなんかも必要です。加えて、小型機械は催芽機、播種機、動噴、畦草管理機なんかも必要になります。今時イチから専業米作農家になるには、最低でも2000万円くらいの投資が必要と言われています。(倉庫は別ね)そんでもって、生産を安定させなきゃローンを支払えないので農薬と化学合成肥料の使用も必須になります。

他方で僕が農業をはじめたのは、自給自足のためでした。どんな社会になっても、どんな状況になっても『自分と家族は飢えさせない、死なないで済む』そんな基本の基を押さえておきたいと思ったからです。それぐらい現代の社会は不安定であると感じていたし、その思いは今も強くあります。だから多額の投資をして、リターンを得る通常の農業ではなくて、小投資小リターンでも自給自足持続できればよかったのです。※

どんな状況になっても10人を養える農業、を考えているのか?
他に依存はするけれど280人を養える農業、を考えているのか?

なんて問いかけながら、別に、二者択一じゃなくてもいいとおもっています。生き延びる選択肢は、たくさんあればあるだけ良いのですから、こっちが正解、こっちが間違いなんてことは、ないのです。だから僕は30分の1でも胸を張って農家をしていますし、30倍育てられる農家も素晴らしいと思っています。

※通常の農業と言いましたが、実情は、そうしないと成り立たない農業しか選択肢が残されていないのです。国は、農業を経済の一部門としか考えていないのです。おそろしい。

参考までに、僕が稲作に投入した資本は、最大が中古トラクターの50万円で、これは畑作兼用です。それ以外は、総額で30万円くらいかな?

太陽光の変換

我が家の田んぼは、毎年1500㌔のお米をぼくに与えてくれます。特になにもしていないのに、です。なんとなくそれで当たり前と考えていたのだけれど、ある時『いったい、このお米は、なにで出来ているのだ?』と不思議になりました。与えるから貰えている、訳じゃない。なにもしていないのに毎年1500㌔のお米が穫れる。その量は、たぶん50年後も100年後もおなじように穫れるハズなのです。きっと終わりはないハズなのです。

なんで?

この現象を科学的に説明すれば田んぼに流れ込む水に含まれた栄養を素にして、太陽光を稲が変換し固定化したものがお米と考えられます。でも、その説明は、なんだか腑に落ちない。なにかがズレている。問題の本質はソコなんじゃないだろうか?

農家は一反で6俵穫れる田んぼからでも、もっと欲しいとおもう。それは当たり前のことで、誰だってたくさん穫って儲けたい。だから肥料を投入する。それで短期的な収穫量は増える。でも過度な肥料は、田んぼのバランスを乱す。たくさん欲しがって、与えられる以上のお米を求めた結果、田んぼはバランスを崩してしまう。(循環を断ち切ってしまう。)そうするとお米の潜在能力は挫かれ、田んぼは弱る。だから病気や害虫が発生する。それを抑えるために農薬を撒く。そうすると田んぼは、更に弱くなり循環は益々細くなる。与えなきゃ貰えない、状況が生まれる。

だったら農家は肥料の投入を止めればいいじゃないか?と思うかもしれない。農薬の使用を止めればいいじゃないか?と思うかもしれない。でも、それをすれば生産量は30分の1だ。10㌔3,000円で買っているお米を90,000円で買ってくれるなら農家はそうするだろう。でも、そんなのは現実的じゃない。なんのことはない資本主義社会のなかで、農家は消費者に求められたから農薬と肥料を使って安く安定したお米を育てているだけなのだ。そこのところを消費者は忘れないで欲しい。農家の意見じゃなくて、みんなの総意の結果なんです。

上記の内容には、ひとつ嘘があります。無農薬で水稲を栽培する時のいちばんの障壁は、病気や害虫ではなく『除草』になります。人力で除草をすることが難しいから除草剤と言う農薬を使います。で、農薬を使えば根本が弱る~以降は、おんなじなんですけどね。僕の考えでは、病気虫害除草肥料農薬はおなじものの別のかたちなので、どれかひとつだけを上手に選択したり排除することはむずかしい。だからこそ4反しか稲作をしていません。

知り合いの有機米作農家さんは、一人で3町歩を作付しています。平均反収は5俵強とのことなので10㌧くらいの生産量になります。ただ、これも有機栽培で一番手間のかかる除草作業を高価な乗用除草機を使うことで成り立たせています。無農薬(無除草剤)の稲作は、それくらい大変なんです。これを当てはめると慣行栽培の4分の1の収穫量なので3,000円の米を12,000円で売れば帳尻が合う計算になります。まぁ、相場と言えば、相場なのかな。でも、2~3倍程度が実情かな?収穫量は4分の1で単価は2~3倍程度なので足りない部分は、農家のやりくり&熱意でカバーをしているのが現実です。

循環する田んぼ

現在4反くらいの田んぼを耕作して1500㌔のお米を収穫している。いまのスタイル(最小の機械を使い、乾燥機を使わない天日干し)でも専業の米農家になれば、きっと5倍くらいの面積でも栽培できるとおもう。でも、僕はやらない。だって除草作業は辛いもの。きついもの。苦しいもの。とんでもなく米の単価が高くなればやるかも知れないけれど、現状では正直割に合う仕事とは思えない。まぁ、農業なんて有機とか慣行とか以前の問題で根本的に割に合わない職種なのだけれど、そのなかでも更に合わない。し、そんな高価な値段でお米は売らなくてもいいと思ってもいる。買わなくてもいいと思っている。だから、近頃は『みんな自分のことなんだから自分で育てりゃいいのに』って、思っている。だから、我が家は、家族で食べる分+αくらいのいまの面積でいいや、って考えている。売るために育てているのと食べるために育てているのでは、意味がまったく違うから。

お米は、稲が太陽光エネルギーを変換して具現化・固定化したモノ。太陽は毎年循環をしている。(地球の方が回っているのだけれど感覚的に)春のつぎは夏が来るし、夏のつぎは秋になる。気候変動激しいよ!と言ったって、春からいきなり秋に飛ぶわけじゃない。毎年おなじようにグルグル回っている。毎年おなじように田んぼに光を降り注いでくれる。そうして与えてくれる分で満足していればいい。それでやっていけるくらいが丁度いいのじゃないだろうか?

肥料や農薬を入れて人為的に田んぼのバランスを崩さなければ、田んぼは自然のなかに溶け込んでゆく。自然は循環するモノだから田んぼも勝手に循環をするようになってゆく。

循環ってなに?って、難しく考えなくてもいい。

人と人が手を繋ぐ。片手だとアレだけれど両手を繋げば、あら不思議。輪が出来て、どこにもエネルギーは逃げては行かない。二人から三人になれば、輪っかは二人の時よりもおおきくなる。それが四人になって、五人になって、どんどん増える。どんどん大きな輪になる。たくさんの人が集まっていれば『僕も入れて、私も混ぜて』って、そのうちに向こうからやってくる。そんな流れが生まれる。命は命と惹かれあうもの。それが循環。断ち切らなければ増えてゆく。環のなかでグルグルまわっていれば、なにも減らないなくならない。それが循環。人間がチャチャを入れなけりゃ、自然は勝手に循環をする。

田んぼのなかに命の循環を増やしてゆく。様々な生命のサイクルが田んぼのなかで起こればいい。むずかしいそう?どうやってするの?全然、大丈夫。心配しなくても もっともっとの欲さえなければ、自然が勝手に増やしてくれる。まわしてくれる。たぶん。

循環する太陽、それと呼応する循環を田んぼに築く。グルグルまわる太陽の循環に田んぼの循環も混ぜてもらう。ほら、もうなんにも要らなくなった。そいで毎年お米を届けてもらう。

イベントと生活

そんな自給の為のちいさな稲作農家が増えればいいなぁって、いつも妄想をしている。太陽光発電に投資するよりも省エネ家電を買うよりも白熊たいへん!二酸化炭素を減らしましょう、って叫ぶよりも絶滅危惧種が!って目くじら立てるよりも、その方がよっぽど近道なんじゃないかな、って思っている。生き物がたくさんいる環境=生物の多様と毎年お米が食べられるコトが無理なく矛盾せずおなじ環(循環)のなかにある。それって素敵じゃない?自分のためにやってることが他の命の為になる。なんだか太陽みたいじゃないか!

無理矢理 変な言い訳ばっかりを探すよりも、イベントで自分を誤魔化すよりも、生活に組み込んじゃえばいい。それがいちばん楽で簡単だと思うのだけれどなぁ。

僕の妄想は、そんなに変なのかなぁ?

勿論、280人の農業が悪いなんて言っていません!彼らのお陰で僕も生きて来れました。でも、効率化と多様性は親和性が低すぎる。このままじゃ、いつか続かなくなるはずです。急激に変えるとおかしくなるので、少しずつその配分をシフトした方がいいと思っています。でも、お上はそれを望んでいません。僕が農業をはじめた10数年前は3町歩の稲作で生活が成り立っていたのです。たった10数年で数倍の面積で稲作を行わなくては、生活が成り立たなくされました。借金まみれで辞めるに辞められない農家。280人分をひとりに任せて、279人を働かせたい人達。高額な機械を売りつけたい人達、農薬も肥料も売れなきゃ困る。天下り先を助けなきゃだし(笑)。でも、お米は余っている。だから減反政策したり転作政策をしたりしている。なのに、効率化しなきゃ!とかほざいている。日本の農産物は高い!と言いながら現場の農家は、徐々に窒息させられてゆく。矛盾に矛盾を塗り重ねている。だったら栽培の不効率化(無農薬栽培)にお金を払えばいいんじゃないの?外国からの肥料や農薬に依存しない自立した農業、国土の生態系の回復に繋がる農業、生きていく基本を安定させて命を守る農業。その方が先に繋がるし波及効果があると思うのだけれどなぁ。間違えてる?





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