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「赦し」と「癒し」の処方箋

ふと観たくなったから

「食べて祈って恋をして」を数年ぶりに鑑賞。
理由は、ふと観たくなったから。
最近わたしの周りで話題にあがった作品ということもあったけど、なんとなく心が動いたのでその心の動きに合わせてみた。
もうひとつ「幸せへのまわり道」。こちらもふと気になって二度目の鑑賞。
ここ最近、「癒し」って何だろう?と興味関心があるわたしにはタイムリーな作品だった。

赦すということ

「赦すとは、決断すること」

映画「幸せへのまわり道」

これは子ども番組の司会を務めているフレッド・ロジャースの台詞。誰かに対して怒りが湧いたとき、その怒りを解くと決めることだと語っている。
ロジャースはプールで泳いだり、ピアノの鍵盤をジャーンって強く叩いたりして自分の気持ちをコントロールしてた。この光景を見てるとね、寂しさが湧いてきたんだよね。なんだかやるせない気持ちになった。
それは、ひとりでなんとかしようとしているようにみえる彼をわたし自身が受け入れられなかったから。その様子が孤独にみえて、孤独を受け入れたくないわたしがやるせない気持ちになってた。
実際の彼は、一旦表現したいままに怒りを出して、自分の声に耳を傾けていたのかもしれない。人がいる前で怒りを表現することに怖れがあったのかもしれない。

わたしにとって「怒りを解く」とは、その怒りがどこからきたのか探求すること。怒りの声を聴いてひとりで解けることもあるだろうけど、人の力を借りる自分もいていい。それが今の自分にはちょうどいい。

「まずは自分を赦せ。」

映画「食べて祈って恋をして」

旅に出る前、自分から離婚を申し出たリズ。元夫の赦しを求めるリズに対する(インドのヨガと瞑想の施設で出会った)リチャードの提案。

出会う人すべての人を❝先生❞と考えるのだ。そして自分と向き合い、自分自身で難点と思う部分を赦せば真実が見えてくる。

映画「食べて祈って恋をして」

「食べて祈って恋をして」のラストシーンにて、リズの台詞。
わたしはこの台詞を頼りに自分自身で難点と思う部分を書き出してみた。わたしも数年前に離婚をしている。
今のわたしが離婚前のわたしを省みたとき、「元夫が言いたいことを言う余地を与えなかった自分」が浮かびあがってきて悔いる気持ちが湧いた。だが、当時のわたしは自分のことを伝えることすらままならなかったことを思うと、それが精一杯だった。
ただ、「悔いることができるのは、成長したわたしがいるから。」そう言葉が湧いたとき、過去の未熟だったわたしを受け入れることができた。
わたしにとって赦しとは、未熟な自分を受け入れること。
未熟なわたしは、相手の想いや考えに耳を傾ける気も心を寄せる気もなかった。相手に関心を寄せる余裕がなかった。

見えてきた真実は、「昨日のわたしは今日のわたしより未熟」ということかな。

自己開示のシーンに魅了される

どちらの作品も心動いたシーンは、自己開示をしているシーンだった。
「幸せへのまわり道」では、人気司会者フレッド・ロジャースと取材相手のロイドが互いに、普段は人に言わないこと、できれば話したくないことを伝えあうところ。
ロジャースの問いに対して「その話はしたくないんだ。」と言いながらも、自分に興味を寄せているロジャースのことが気になるロイド。次第に心を開き、父親に対する自分の怒りや悲しみを打ち明けていく。そんなロイドに寄り添うロジャースの傷も同時に癒えていっているように感じた。
ロジャースもロイドの問いにこたえて、自分の父親としての不甲斐ない部分を伝えていた。
一度子ども番組の司会者を辞めて3年後に復帰した理由を、その間に息子たちとの間にある問題に向き合ったことがきっかけだと話す。自分と同じような問題を抱える人たちの役に立つために、子ども番組の司会者として仕事をしていたんだろう。

「食べて祈って恋をして」では、1つはインドのシーンでリチャードが自分の過去のことをリズに打ち明けるところ。家族のことなどそっちのけで飲んだくれていたこと、飲酒運転で帰宅し息子をひきそうになったことを話す。
思い出すことが辛い過去。自らリズに打ち明けることで、リズに希望を与えたかったのだと思う。同時にリズに聴いてもらうことで、彼自身が癒されているようにもみえた。
2つめは、バリのシーンでリズが恋人フェリペとともに生きていくことに怖れがあり、その怖れにフェリペが触れるところ。
フェリペも離婚の経験があり、10年⁈長らくシングルで過ごしていた。リズにともに生きていこうと伝えることは、彼自身にとっても勇気のいること。相手の抱える怖さに理解があるからこそ、そこに触れるシーン。「愛感じるやろ。伝わるやろ。」というのはわたしの脳内ツイート。それくらい真正面から相手に向き合う姿は美しいと感じた。

そう。見せたくないどころか自分でも見たくない自分に向き合う人の姿は、勇敢で美しい。自分だって怖いのに、相手の想いに触れる人には愛がある。
だから、魅了されたのね。

わたしの希望になった台詞

「(死や怒りも)人間の理は言葉にできる。言葉にできることは対処できる。」

映画「幸せへのまわり道」

前回観た時も印象に残っていたこの台詞。
わたしは普段、脳内ツイートが多くて自分が感じていることや考えていることを言葉にしないまま過ごしていることが多い。だから、自分にどんな感情が湧いているのかをよく取りこぼしている。考えていることも言葉に発しないままではなかったことと同じ。実行するにはほど遠い世界で生きてきた。この記事を書こうと思ったのは、感じたことや考えたことを言葉にする機会を自分に与えたかったから。
文字に起こしてみると、わたしを発見する瞬間があるのが面白いなと思った。今回でいうと、観たくない自分と向き合う姿に美しさを感じていたんだぁ、ということ。言葉にしていくうちに出てきた自分の中にあるものだった。

タイトルに「赦し」と「癒し」の処方箋とつけたのは、自分にとって赦すことって?癒すことって?と考える機会になったから。
自己開示することが癒しになるという実感は乏しいが、少なくともこうやって自分が感じたことや考えたことを言葉にしていくのは、わたしにとって自分を癒す機会なのかもしれない。
また、ロジャースが子ども番組の司会者という仕事を通して人と関わる姿を見て、苦い経験をいかすことで彼自身が癒されているようにみえた。わたしは苦い経験はなかったことにしておきたいし、なんなら苦い経験をよかったことかのように書き換えて記憶していることがある。なかったことにしている過去の体験を経験に変えていくことで癒されていくのかもしれないという希望が湧いた。そんな希望をもって、noteで記事を書いていく。

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