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「最後まで愛し合った夫婦」の話
そのご主人は、思ったことをすぐ口に出す方だった
医者の診察や態度に納得がいかないと食ってかかったり、
介護サービスに何か気に入らないことがあるとケアマネジャーの僕に電話をかけて文句を言ったりする。
ただ、ご主人の文句は相手に嫌みを感じさせない。
言い終わったら、「はい、おしまい」で終了する。
そのあとは、人なつっこい表情で気さくに話しかけてくる。
そんな不思議な魅力を持った方だった
そんな気っ風のいい、ご主人を静かに見守っている人がいる
長年、連れ添ってきた奥様だ
進行性核上性麻痺という難病を患っている
話し好きのご主人は、終日ベッドで横になって過ごす奥様に隙間なく話しかける
明るく楽しい話をしたり、ときには軽く文句を言ったりと、しゃべりは尽きることがない
時間になると訪問してくるヘルパーさんや看護師さんは、話し相手の格好のターゲットになる
話しの中身は基本、どうでもいい内容だが、とにかく楽しそうに話してくるので、なんだか相手も楽しい気持ちになってしまう
奥様はベッドに横たわりながら、そんなご主人を静かに見守りつづけていた
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高度経済成長期の二人
戦後の高度経済成長期に二人は出会い結婚した。
折しも東京オリンピック開催の時期、ご主人は持ち前の達者な口上で上手にお金を稼ぎまくっていた。
その後、山の手の高台にあるマンションを購入し仲睦まじい二人の生活が始まった。
そのマンションには友人をたくさん招いて連日のように飲んだり食べたり楽しんでいた。
当時、ベランダからは国鉄の駅が見えた。。
電車を降りて駅からマンションに向かう友人たちの姿が確認できたら、おもてなしの準備を始めるタイミングだ
人と人の付き合いがシンプルで、街がまだ都会へと成熟しきっていない時代だった
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バブル期の二人
二人に子どもは、できなかった
しかし二人とも子どもは好きだった
たまに訪ねてくる奥様の姪は二人にかわいがられた。
バブル期には、太宰治の「斜陽」をなぞらえて羽振りのいい会社員は経費で飲み食いする。いわゆる「社用族」が流行った。
ご主人も生粋の社用族として会社のお金を使いまくった
海外にも出向で何度も出かけていった。
持ち前の気っ風のいい口上は企業先に受けが良く、仕事は上手くいっていた。
奥様は、ただ静かにご主人の帰ってくるのを待つことが多かった
どんなに遅く帰ってきても、飲んで帰ってきても、奥様が文句を言うことは無い。
ただ、おかえりなさいと優しく言うだけだった
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定年後の二人
定年後、高齢になるにつれて友人たちとは疎遠になっていった
それでも二人は仲睦まじく旅行や外食など楽しい日々を過ごしていた
奥様が70代後半になった頃、転倒し恥骨を骨折、入院となった
入院中、いくつかの検査を受け診断がでた
「進行性核上性麻痺」
PSPと呼ばれるこの疾患は治療法がない難病だ。
数年で寝たきりとなり、長く生きるのは難しいと言われる
しかし、二人に悲壮感は無かった
あのご主人の明るい気っ風のいい口上と、静かにあたたかい奥様のまなざしは、何一つ変わらない
この頃、僕は二人の担当になった
ご主人も足腰が少し弱ってきていた
イチャイチャと明るく喧嘩しながらの二人の生活は、ヘルパーさんや看護師さんまでも明るい気持ちにさせてくれた
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介護生活の二人
ご主人は奥様の介助を献身的に続けていった。
ただ、ご主人は介助に慣れないこともあり奥様が転倒することは多かった
同じところを骨折し入院することも何度かあった
奥様が入院すると、ご主人はとても気弱になる。
「早くうちに帰してほしいんです」と泣きそうな顔でお願いしてくる。
そのときのご主人に、いつもの気っ風の良さは無い。
自宅で一人で過ごすことに耐えられないとのことだ
そうこうしているうちに奥様が退院し自宅に戻ってくると、ご主人は僕にひたすら感謝しまくる。
とくに僕だけの力では無いのだが・・
そんな入退院を何度か繰り返しながら自宅での生活を続けていたある日のことだった。
時間になって訪問した看護師さんが部屋に入ると、奥様が苦しそうにしているのが目に入った。
食事中に食物が喉に詰まって窒息しかけていた。
ご主人はそばでおろおろ。
看護師さんの手際のよい食物除去と心臓マッサージ、救急車要請で何とか一命をとりとめ、そのまま入院となった
「固形物の食事はもう無理です」
胃ろうにしますかと医師より聞かれた
奥様の姪や親族は胃ろうに反対した
「4時間に1回の吸引も必要です」
そもそも自宅で二人だけの生活は難しい状態になっていた
ご主人、親族、病院ソーシャルワーカー、各関係者をまじえ、
病院の会議室で相談を行った
これからどうするか、施設に行くのか
奥様ひとりで施設に入るのは可能だが、それではご主人が耐えられない
二人一緒に入所するとなると有料ホームしかないが、そんなお金は有るのか
胃ろうにするのかしないのか、自宅は売るしかないのでは・・
ご主人は「あぁ」「うん‥」とハッキリしない返事を繰り返していた。
いろんな意見が飛び交い、話はまとまらなくなった。
奥様を交えて相談しようということになり、人数を減らして病室へと向かった。
奥様のベッドを囲むように皆が立った
「主人と一緒であればいい、任せます」
奥様は愛くるしい笑顔でそう言った
「俺はただ、こいつと一緒に居たいだけなんだ・・」
ご主人の泣き声がコンクリートの壁と床に響き渡った
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旅立つ二人
その後、奥様は胃ろうをすることになった
と同時に、自宅を売って二人で有料ホームに入ることになった
今、住んでいるところからは遠くなるが良い施設がみつかったようだ
一人で自宅売却の準備をするご主人のもとを僕は訪問した
床に置いてある整理中の荷物をよけてテーブルに座った
「ありがとうございました」
向かいに座ったご主人はいつもの明るい声で言った
僕が二人の担当になって数年が経っていた
紆余曲折いろんなことがあった
奥様じゃなく、ご主人が入院したこともあった。
奥様はひとりで自宅が良いとのことだったので、夜間の緊急訪問体制を整え、寝たきりの奥様の生活を支えきったこともあった
数年の間にヘルパーさんも看護師さんも担当が変わっていった
変わらないのは僕だけだった
「こちらこそありがとうございました、施設がみつかって良かったですね、どうか二人ともお元気で」
いろいろ勉強になった。素直に感謝の気持ちをご主人に伝えた
いつもの気っ風のいい口上は無かったが、ご主人の表情は晴れ晴れとしていた
ご主人と最後のあいさつを交わしてから数年が経った現在
時々、二人のことを思い出す
おそらく奥様はもう存命では無いだろう・・
奥様が亡くなったあと残されたご主人はどう過ごしているのだろうと・・
いや案外、ひとりで楽しくやっているのかもしれない
そんなご主人を、奥様は遠くから静かに見守っているのだろう
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