ごちゃごちゃになって死のうとした過去のこと

大学を卒業して、公務員になって半年たった2012年9月、私は首を吊って自殺しようとした。
いや、自殺未遂というほど決定的なことはしていないので、あくまで希死念慮の延長線上の行為を言っていい。

職場から1キロほど離れたアパートで一人暮らし。

誰も声を掛けてくれるひとのいない一室の、クローゼットのハンガー掛けに、ホームセンターで買ったロープを掛け、何度も首に巻いて、死のう死のうと念じ続けた夜。

朝方になり、結局踏ん切りがつかず、死ねなかった自分が情けなくなったというか、ごちゃごちゃした感情のまま、下着姿でわんわんと泣き続けた。

その日、初めて連絡もなく出勤しなかった私を心配した上司2人がアパートに駆けつけ、大家から借りた鍵で部屋に入って来て、私は介抱され、実家に戻り、病気休暇を取得する流れとなった。

あの時は、本気で死のうとしているつもりだった。
けれど、結果的には、誰かが助けに来ることを待っていたんだと思う。
かまってちゃんだ。
もう少し、上手に人に助けを求めることができれば良かった。
だが、できなかった。

人に心を開くことができないでいた。
職場でいじめられていたわけでも、あからさまに孤立していたわけでもない。けれど、ずっと孤独感と焦燥感と不安感にかられていた。

直接的な未遂の原因は、前日の勤務中に、別々の上司と先輩職員から、仕事に関して何らかの注意を受けたこと。注意の内容は覚えていない。覚えていないくらいに、実際は思いつめるほどのことではない注意だったはずである。

それなのに、1日に2度、注意を受けただけのことで「自分の存在はこの職場で必要とされていない。もう生きていけない」とまでの絶望を感じ、とにかく逃げ去りたくて、死ぬ方向へと飛び込もうとしてしまった。

どうしてそこまで思いつめたのか。

今になって考えると、遠因は複数列挙できる。

・公務員とはいえ、もともと希望していた職種ではなかった。志望していたところはすべて集団討論や面接で落ち、受かったところは不人気な職種で、諦めて入職していた。実力を伴わないプライドが傷ついていて、その職場に甘んじていること自体が不本意だと勘違いしていた

・学生の頃までは勉強ができたという一点で、教師ら目上の相手から叱られることがほぼなく、「注意されること」に対する耐性が育っていなかった。部活動などにもほぼ参加せず、社会性が身についてなかった。新人職員で入ったからには、わからないことが多いのは当然で、注意されることなどよくある。それなのに、細かい注意の一つ一つが重いストレス要因となり蓄積していった

・周囲とのコミュニケーションがうまく取れているという実感が持てず、常に苦しいと感じていたが、そういう感情を吐露できる相手がいなかった。同期の職員が一人いて、彼とはいろいろ話をしたのだが、彼自身が仕事で困難を抱えがちで、二人で話していても、問題を改善するような方向の話にならなかった

・仕事で自分が貢献しているという実感が得られず、とにかく遅くまで残って仕事をすることに執心した。職場では出勤時に回覧が回され、残業するなら何時までするのかを事前申告する制度になっていた。私は自分の仕事の段取りについて十分に理解することなく、とにかく時間をたくさんつぎ込むことに執着し、残業時間を書かずに、カラ残業で4~5時間職場に残っていた日もあった。当時は意味のあることをやっているつもりだったが、結局は集中力が持っておらず、生産性は低いのに疲労だけ溜まって体を害していたと思う

そういう状態が半年間続いたうえでの希死念慮。

結果的に、病気休暇を取得する診断書には「うつ状態」と記載された。

その後、服薬の影響もあってか、休暇中にハイテンションになって遊びまわるという「軽そう状態」に移行した。

オーソドックスな、双極性障害の発現過程だと思う。

アップダウンによって、またしんどさを感じることは多々あるが、今になって思うのは、やはり自分自身にとって一番怖いのは、「うつ状態」だけれど「行動を起こせる」程度に身体は動くタイミング。

今のところ、12年前の一件以来は、自殺未遂や過度の希死念慮には至っていない。

周囲に助けを求めるハードルを下げることができ、また、幸いにも私の状態について理解を示し、話を聴いてくださる方が身近にいてくれるからだ。

私の経験では、本当に死んでしまうほど思いつめているときは、やはり正常な判断力が欠けて、極端に悲観的な状態になっていた。

何とか、持ちこたえる必要がある。
私の場合は結果的に、死にきれない間に誰かが助けに来てくれることを待ち続けていた。
私は幸運にも助けてくれる人が現れてくれた。

でも、そういう人が現れなかった人はどうなるだろう。
自殺に関連するニュースを耳にするたびに、胸苦しい気持ちになる。
私は恵まれていたし、いまも恵まれている。
それに対する申し訳なさだ。

(了)







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