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大人になってから「将来の夢」について考えたことはありますか?

24歳、独り身。
彼氏なし。貯金はある。積立NISAもiDeCoもふるさと納税もやってる。
友達はいる。多くはないけど。

漠然と不安がある。
明日もきっと仕事に行く。朝起きて、ご飯を食べて、車に乗って出勤する。
子供たちに勉強を教えている。数学と理科が多いが英語も国語も教える。「なんでも知っている大人」として校舎に立っている。

「将来の夢って何?」
生徒によく聞く言葉だ。
「将来なりたいものはある?」
自分で聞いていて、当時の自分は何を答えただろうかと思案する。お花屋さんだったか、先生だったか、はたまた公務員だったか。今となっては思い出せないし、わたしにとって将来の夢はいつまでもピンとこない。

小学生から質問を受けた。
「先生は将来何になりたいの?」
息が詰まった。先生は将来何になりたいか。私は今「将来」の中にいるのだろうと思っていた。わたしは学校を卒業して先生になった。これは将来じゃないのか。
先生というのは大変だ。どんなに答えに詰まる質問でも「わからない」とは言えない。「なんでも知っている大人」として、子どもたちからの質問に答えなくてはならない。
「んー」
ゆっくり息を吐きながら考える。なんだろうなぁ。
「お嫁さんかな」

結局そんな言葉が出て、その小学生からはへぇという言葉が返ってきた。わたしはねぇ、その子が自分の将来を話しているのを横目に、わたしはぼうっとしてしまった。

就職活動の時、将来なりたい姿や5年後どうなっていたいか、自己分析や志望動機、社会に対して自分が出来ること、したいことは何か、そんなことをさんざん考えていたと思う。
わたしは子どもたちの心に寄り添う大人になりたいです。子どもたちの将来の選択肢を広げてあげられる教師になりたいです。こんなことを言った気がする。

24歳、もうすぐ11月が終わる。
今年もあとひと月を切ろうとしている。
入社して一年半が経ち、わたしは何ができるようになったか。何を学んで、何を考えて、何をしたいと思うようになったか。

苦しい。漠然とした不安がわたしの心の中を占めるようになった。
こんな大人になりたかったわけではない。
一通りのことはしている。仕事も行くし、ご飯も作っている。納税もして、貯金もしている。年末調整も終わったところだ。
わたしは平均だと思う。けれど、平均で満足のいく性格ではないのだと思う。
自分にしかできないことは何か、それを探そうとして苦しんでいる。誰かに認められたいと思う。その誰かを見つけられなくて、自分で自分を認めてあげたいのにできなくて、漠然とした不安に駆られている。

早く救われたい。ふとした時に出る言葉だ。
誰に?何に?何から?どうやって?
何一つ答えが出ない。わたしは先生だから、「分からない」では済まされない。
わたしの先生はどこにいるのだろう。わたしはわたしの「先生」になれないのだろうか。
わたしはわたしを救ってあげられないのだろうか。
周りの人と同じくらい、自分のことを大事にしてあげられないのだろうか。

部屋を片付ける。お風呂にお湯を張って肩まで浸かる。火の通ったご飯を食べる。いただきますとご馳走様をきちんと言う。きちんと整えたベッドでゆっくりと眠る。朝起きたらカーテンを開ける。ごみはゴミ箱に捨てて、火曜日と金曜日にきちんと出す。服はハンガーにかけてクローゼットにしまう。ときどき両親とも連絡を取って、ときどき祖父母にも顔を出す。
今日も校舎の前に立って挨拶をする。子供たちを出迎えて、知識をたくさん授けて、大いに話をして、そして家庭に送り出す。
日常を大切にしよう。一つ一つを丁寧に始めてみよう。わたしはわたしにしか大切にできないから、できることから始めてみよう。一つ一つの積み重ねが将来を作っていく、子供たちによく伝えている事だった。
帰ったら部屋を片付けよう。洗濯を回して、綺麗なシーツで眠ろう。

もう少し頑張れる。
あとひと月、丁寧に暮らしてみよう。

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