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DEAR LADY 〈詩(或いは届かない手紙)〉

 僕は君を愛している。

言葉にしてみると、何てちんけで何と陳腐なのだろう。
小説でこんな言葉が登場すれば僕はうすら寒く思うだろうし、読んだ後に37.8度の熱を出して2日間寝込むかもしれない。
それでも事実は個人の感情など関係なく、事実として存在するものだから仕方がない。
仕方がないので、改めて述べておきたい。
僕は君を愛している。
 
僕がそれを知ったのは、急いた桜が咲き始めた頃のことだった。
それまで気が付いていなかったことが不思議なほどに、その感情は突然として必然的に表れた。
その日から、僕が信じる世界には不可欠な歯車が一つ増えたようだった。
僕の脳味噌はそれが欠けていることを悟って叫び始めた。
僕の眼球は彼女の形に黒く抜き取られて見えづらくなった。
僕の喉は本当と嘘の間の言葉しか出せなくなった。
 
「何かが足りない。何かが足りない。何が足りない?」
「見えない。見えない。君が見えるのに見えない」
「そう思うよ。知っているよ。気が付いてはいないけど」
 
世界はうるさい程に音を失い、色を失って塗りつぶされていく。
君に近づけば近づこうとするほど、確かに距離が遠ざかっていくことを知る。
宇宙の隙間に放り出された僕は、ゆく当てもなくチリと共に延々と漂っている。
 
君はたぶん、夢を見ている。
決して僕が登場することの無い夢を見ている。
白馬の王子か、石油王か、韓流スターか、或いはどこかのろくでもない奴か。
そんなものが登場しない夢だと良いと願う。
 
僕は止めた筈の煙草を吸いながら、この下らないポエムを書いている。
君に届くことの無い言葉を無意味に繋げている。
悲劇のヒロインや、王女様や、人気アイドルや、才色兼備で素敵な女性。
そんなものが地獄に落ちても君が幸せであれば良いと思う。
 
でもきっと、君はそんなことは望まないだろう。
 
ああ、嫌だ。
人を愛することは嫌だ。
偽りの無い感情を覚えてしまえば、それまで被っていた仮面は意味を失う。
長い時間をかけて作ってきたそれは、ハンマーで叩き割られたかのように砕け散る。
精巧にできていたと思っていたそれが、如何に粗末なものだったのかを思い知る。
 
「強靭で」
「冷静で」
「客観的な」
 
そんな人間でありたかった。
それがただの虚像だとしても、道化の様に演じ続けていたかった。
少なくとも、君の前でだけは。
 
積み上げた僅かな成果と、重ねた少しの経験と、厚く塗られた感情。
それら全てが、君の前で意味を為すことは無い。
僕は醜く踊って、踊って、踊って、少し休んで。
また踊って、踊って、踊って、下手くそなステップを踏み続ける。
君は僅かに微笑んで、そして確かに後ずさりをした。
 
僕は君の表情を見て、自分が重大な誤りを犯したことに気が付く。
動きを止めて息を整えながら、次は絶対に間違えないと心に誓う。
そうして君の前に立って、狂ったように同じミステイクを繰り返す。
 
知っている。
自分が既に間違った列車に乗ってしまっていることを。
知っている。
この道をどこまで進んだとしても、目的地に辿り着くことなど無いことを。
それでも、後戻りはできない。
前に進むことは出来ても、後ろに下がることは決して出来ない。
僕に残された選択肢は二つだけ。
高架線から飛びおりて死ぬか、君が見えなくなるまで進み続けるか。
それだけ。
 
もしも太陽が地球の周りを走り始めて、世界中の白いものが黒く染まって、空に亀裂が入って崩れるようなことがあったとする。
そうして、君が僕の手をとってくれる日が訪れたとする。
僕はその日を生涯忘れることはないだろう。
その日から、僕のカレンダーからあらゆる記念日は失われるだろう。
364×n日と1日。
それが僕の年表を構成する全てになるだろう。
 
僕の左手が君の右手を掴んだ時、ちっぽけな身体には電流が流れる。
灰色の街は美しい花で覆いつくされて、空気は澄んで星が瞬く。
僕はその歓びを頼りに生きてゆく。
誰も居ない世界の果てでくたばりかけても。
何処かのギャングに生きたまま焼かれても。
鉄骨が腹を貫いて臓器が潰されたとしても。
僕の命が朽ち果てるその時まで、君に掴んだ喜びを離すことは無いだろう。
 
君はたぶん、今でも夢を見ている。
決して僕が登場することのない夢を見ている。
それが限りなく幸せなものであれば良い。
僕が世界で一番君のことを幸せにできると信じていたいけど。
僕がいない分だけを差し引いた、最上級の幸福な夢であれば良いと思う。
 
僕も夢を見たいと願っている。
君が登場する夢を見たいと願っている。
間違った高架線には分岐するポイントがあって、その先は君に続いていたら良いと思う。
僕は君の手を取って、花を摘んで、星を見て、美味しい物を食べて、誰かを助けて、山ほどのプレゼントを買って、懐かしい歌を口ずさみながら何処までも歩いていく。
 
ああ、寝てしまおう。
「夢で逢えたら」なんて言葉は腐るほどに聞き飽きたけど。
 
夢で良いから君に会いたい。
 
自分がこんなことを思うと知らなかった。
話すことがこんなにも楽しいなんて知らなかった。
自分がこんなにも弱いと知らなかった。
並んで歩くことがこんなにも楽しいなんて知らなかった。
自分がこんなにも格好悪いと知らなかった。
 
「分かっている。知っている。気が付いている」
 
君は教えてくれた。
つまらない、格好悪い、傷つく、楽しい、醜い、幸福、情けない、可愛い、可哀想、面倒くさい、感謝、汚い、面白い、寄り添う、興味無い、まずい、喜び、美しい。
その全てを君が教えてくれた。
 
「僕は何も知らなかった!」
 
君のことを愛しているだなんて、知らなかった。
 
一切の無知に満ちた僕には、確かなことなど何一つ言えないけれど。
僕が世界で一番君のことを愛している。
一切の曇りもなく、愛している。
 
そうして、僕は眠りに落ちる。
次に目を開けたら、と全てを願っている。
あらゆる神様を差し置いて、ただ君に願っている。


村井 悠

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