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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語㉒

「切迫流産」


妊娠の経過は順調で、つわりもそれほどひどくはありませんでした
車の運転も普通にして定期検診や母親学級に通っていたくらいです
その日もいつもの通り夫は出勤、
義母は趣味のパチンコに出かけていたある日、
なんとなくお腹が痛い気がして
「何か悪いものでも食べたかな」
とトイレへ
すると、だんだん痛みが強くなり
その痛みは、一定の間隔で繰り返し襲ってきます
「これはちょっとおかしいかも」
必死で痛みの合間に車椅子に移り、119番へ電話をかけ
救急車を呼びました
救急隊の方に管轄外のかかりつけの大学病院の名前を告げ
連絡を取っていただき
付き添いもなく搬送されていきました。
病院では主治医の先生が待っていてくださり
「大丈夫だからね」
と声をかけてくださいましたが不安でいっぱいです。
「私の赤ちゃん大丈夫ですか」
 
「切迫流産」とのことでした。
 
病室で点滴をして
実家から両親が駆けつけ
父は赤ちゃんよりも娘の命を心配して
「もういいよ」とつぶやいていました
 
「切迫流産」て流産してしまったのかとショックでしたが、
そうではなく
「流産」が迫っているとのことでした。
そうです、私の赤ちゃんは
居心地の悪い私のおなかに必死でしがみついて
頑張っていてくれたのです
「えらい」
「ありがとう」
「がんばれ」
心の中で叫びました。
そして、そのまま入院です
点滴をして、絶対安静でしたが
赤ちゃんの頑張りのおかげで
どうにか危機を乗り越えることができました
1991年5月
長女が、私の赤ちゃんが
神様に選ばれて
この世に誕生してくれました
赤ちゃんと神様に感謝です

2355g
「小さいけれど、げんきですよ」
帝王切開なので、麻酔でもうろうとしていましたが
確かに助産師さんの声が聞こえ
「ああ、よかった」
ほっとしてそのまま眠ってしまいました。
 
さあ、
育児が始まります。
ダメだからって元には戻せません。

初夏の明るい日差しの中、
実家のキッチンからにぎやかな笑い声が聞こえてきます
「さあ~、おふろにはいりまちょうねぇ~」
「おちっこは、どうでちゅか~」
ダイニングテーブルにバスタオルを敷いて
キッチンのシンクに桶を入れて
バスタイムが始まりました
母や父や応援に来てくれた妹が赤ちゃんを取り囲んでなんやかんやと楽しそうです
「母に少しは恩返しが出来たのかも・・・」
そう思った幸せなひと時でした。
 
退院後はしばらく実家へ里帰り
幸いなことに母乳だけで間に合ったので
お湯を沸かし、冷まし、哺乳瓶を洗って、消毒して
という作業をせずに済んだのでとてもたすかりました。
泣いたらくわえさせればいいのです
おむつ替えや、沐浴、洗濯、食事の支度、なにもかも甘えて
実家での私の仕事は、ただただくわえさせることだけでした。
しかしながら、
そんな楽ちんな生活をいつまでも続けるわけにはいきません
自宅へ戻り、新しい生活を始めます

大丈夫かなぁ
 


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