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【短編小説】勝手な上司

 月曜日。デスクについてノートパソコンを起動させるとGoogle Chatに着信通知がついていた。チャットは三件、全てマネージャーからだった。彼のデスクは僕の隣で、まだ来ていなかった。
「パーテーション100台案件、どうなってます?」
「打ち合わせで出たあの件です」
「もしもーし」
 全て日曜日の着信だった。うちの会社の休日は、おおむね暦通りになっていた。だから僕は休みである日曜に、会社からの連絡を見たりしない。
 ふいにきつい香水の匂いが鼻をつき、僕は自然と体がこわばった。ばん、という大きい音がした。マネージャーが、僕の隣のデスクに鞄を置いたのだ。
 僕は彼に「おはようございます」と挨拶をした。無視だった。彼は、カバンからノートパソコンを取り出し起動した。その際も、チャックを勢いよく開けたりマウスをガチャガチャ鳴らしたりした。
 僕は急いでチャットに返信をした。
「すいません休日だったので、返信遅くなりました」
「金曜報告したとおり、現在、顧客と納品日の調整中です」
 相手だって土日は休日だ。金曜伝えた状況が、土日で進展することはない。だから僕は彼の意図をわかりかねていた。
 返信の返信はすぐにきた。
「休日だと上司の連絡すら見ない。あなたの仕事への姿勢がよく伝わってきます」
 僕は隣に聞こえないくらいの舌打ちをした。
 僕の会社は、中堅のオフィスサプライメーカーだった。オフィスチェア、デスク、サーバーラック、電源タップ、それからマウスやキーボードなんかを家電量販店とかECショップに売っている。とはいっても実店舗はやっていない。登録制の卸サイトをやっていて、お客さんはそこからAmazonとかみたいに買い物をする。
 けれどそこは業者間の取引なので、大量に買うから値引きしてほしいとか、ものすごい大きい商品を、いつ、どうやって納品するかとか、時にはそういう画面上では完結できない打ち合わせも必要になる。それをやるのが僕たちの部署だった。
 仕事量は決して多くない。内容も、慣れればそんなに難しくはない。繁忙期以外は残業もあまりない。社員同士の仲も良い。福利厚生も、手厚くはないけど一般的だった。ホワイト企業と言っても差し支えない。それでもうちの部署の離職率が高いのは、ひとえにマネージャーのせいだった。
 マネージャーは二年前、前任が辞めるのと入れ替わりにやって来た。前は証券会社で働いていて、もともと友だちだったうちの社長に、「ちょうど管理職ポストが一つ空くから是非ちからを貸して欲しい」と請われて来たことになっている。けれど本当は、前の会社で不祥事を起こして辞めざるをえなくなり、マネージャーから社長に泣きついたという説もある。本当のところはわからない。
 僕たちが有給をとろうとするとマネージャーは、必ずなんらかの嫌味を言ってきた。
「こんなに忙しいタイミングで休めるメンタルがすごい。ある意味尊敬です」
「休んでください。チーム的にはノーダメージです(笑)」
「休んでください。私にそれを阻む権利はありません。ただもし私があなたの立場だったなら、自分の成績を考えたとき、厚かましくてとても有給なんてとれません」
 また何かしらのミスをしようものなら、それをチームみんなが見ているグループチャットで馬鹿にする。
「そんなミスは新卒でもやらない」
「レベルが低すぎる」
「みんなあなたに苛ついている」
 だからもちろん部署内では嫌われている。もはや殺意に近い感情を抱かれている。過去にはそんな所業をコンプライアンス担当窓口に通報したものもいた。けれど「死ね」とか「馬鹿」とかいう明らかに一線を越えた発言はなく、処分は難しいとのことだった。恐らく本人は、それに対する注意をうけるどころか通報されたこと自体、知らされていない。そして本人も、一線を越えないラインで自覚的にそれをやっている。ものすごくタチが悪い。
 もちろんまともに反撃しようものなら大変だ。強烈で陰険な仕返しがまっている。賞与の査定で低い評価をつけられたり、ひどい時には遠い物流拠点に飛ばされる。社長の友だちということを笠に着て、やりたい放題やってくる。誰も止められない。
   だから僕たちにできるのは、黙ってその横暴に耐え続けるか、会社を辞めるかだけだった。
 僕は一応サブマネジャーという肩書で、部署内ではマネージャーに次ぐ地位だった。それは、今のマネージャーが来る前からだった。僕を取り立てたのは前任で、今のマネージャーにはどちらかというと嫌われている。だからモラハラ、パワハラまがいは僕も等しく受けており、管理職だからと言って特別扱いは無に等しい。つまり部署内は、彼対彼以外全員という構図になっていた。
 そのせいかはわからないのだが、僕には部署内みんなからの愚痴が集まってきた。愚痴と言うか、マネージャーの悪口だ。みんなはたぶん、僕には現状を変えるちからがないことぐらい知っていた。何も期待していない。ただ単に、うっぷんを晴らすところが欲しかったのだ。
「キモい」「まじウザい」という罵詈雑言に、僕はひたすら耳を傾け同意した。寄り添うことしかできない現状に、僕は僕なりに苦しんでいた。

 その中でも、特に頻繁にやり取りをしている部下がいた。ノバナちゃんという、入社二年目の女の子だった。彼女とは会社のチャット以外、個人のLineでもやり取りをした。内容は、やはりマネージャーの悪口が多かった。けれどそれ以外のやり取りもした。
 ネットフリックスで見つけた面白い海外番組の話とか、近所で見つけたおいしいベトナム料理店の話とか、そういうくだらないやり取りもした。
 ほかにも彼女は社内の情報通だったので、「キムラさん、最近シマダさんと別れたみたいです」とか、「総務のコバヤシさん、仕事中に転職サイト見てました」とか、そういうゴシップなんかももたらした。
 Lineのやり取りだけじゃなく、僕たちは時おりランチや夕食もともにした。どちらかというと、彼女から誘ってくることが多かった。傍目から見れば、僕たちは恋人同士に見えたかもしれない。
   なぜそんなに仲良くなったのかというと、簡単に言えば僕が彼女をひいきしていたからだった。彼女はとても一生懸命働いていた。少しでもわからないことがあると、必ず先輩たちに質問してきちんと理解しようとした。ミーティングでは積極的に自分の意見を披露した。他の人が嫌がる仕事も引き受け夜遅くまで働いていた。
   とある会社の飲み会の時、僕は彼女に「なんでそんなに頑張るの?」と訊いた。彼女は「はやくえらくなりたいからです」と言った。僕は「なんでえらくなりたいの?」と訊いた。彼女は「はやくたくさんお給料もらえるようになりたいからです」と言った。
 彼女が教えてくれたところによると、彼女はかなりの苦労人らしかった。父親を早くに亡くし、母親の、女手一つで育てられたらしい。その母親も働きすぎで体を壊し、今はノバナちゃんが生活の面倒を見ているとのことだった。もちろん若手社員のお給料では、そこから親の治療費やら生活費を出すのは大変だ。だから彼女はたくさんお給料をもらえるようになり、一刻でも早くその状態から抜け出したいと考えていた。そして思う存分、母親に恩返しをしたいと考えていた。
 なるほど、そういうことかと合点がいった。そして僕の経験上、そういうシンプルで力強いモチベーションのある子は必ず伸びると考えた。だからその日以来、僕はいろいろと彼女に目をかけることにした。行き詰った様子を見せたら必ず声をかけるようにした。忙しそうな時には手を貸し一緒に残業したりした。そうこうするうちに、次第に彼女から僕を頼るようになってきた。仕事に限らずプライベートな相談も持ちかけてきた。それでLineを交換してやり取りするようになり、気がついたらいつのまにか今の状態になっていた。
 彼女からは好意のようなものを感じていた。それなのにいつまでも現状から進展しないのは、僕がそうならないようにしていたからだ。僕はもともとあまり恋愛に興味がない。社内恋愛にはなおさら良いイメージを持っていない。それにより仕事に悪影響が出て、周りにまで迷惑をかけたというケースを僕は何度も目の当たりにした。だからノバナちゃんとも恋人同士になるつもりはない。
 それならばなぜそんな関係を続けるかというと、やはり彼女には出世欲があるからだ。出世欲がある以上、上司には良く思われたいはずだった。そこに好意が加わるならなおさらそうに違いない。
   そんな彼女はそのうちきっと役立つ局面がくる。そのためにも、例えつき合うつもりはなくても「キープ」しておき損はない。

 三月。賞与の支給月。PDFの給与明細が、人事からメール添付にて送られてきた。仕事中に早速それを確認し、僕は「おや」と目を疑った。賞与の額が、去年の同時期より三分の一ほど減っている。
 スマホに早速ノバナちゃんからLineが送られてきた。彼女のデスクは僕から少し離れていた。デスクの間にある仕切りのせいで、どんな様子をしているかはわからない。
「なんか賞与減ってません?」
「僕も三分の一くらい減っている」
「やっぱり。隣のイクミも同じくらい減ってます。おかしくないですか?」
 彼女の言うとおり、確かにおかしなことだった。僕たちの賞与は基本的に所属部門の利益とその部門長の評価により決められている。売上とか利益は僕たちが普段使う管理画面、社内システム上にて誰でも閲覧可能になっている。前年同期と比べても、売上や利益は伸びている。ならばマネージャーから低い評価をつけられかというと、僕はまだしもノバナちゃんとイクミちゃんは気に入られている。三人とも同じ割合くらいで減るというのは違和感がある。
「納得いきません」
 ノバナちゃんからLineが送られてきた。彼女は車を買いたいからお金を貯めていた。彼女の母親は、体を壊してしまった影響で、ゆっくり歩くことすらままならない。通院するにも電車やバスでは大変だ。車なら連れていくのが楽になる。それに旅行や買い物なんかにも連れて行き、彼女は近頃すっかりこもりきっている、母を元気づけたいと考えていた。
 今回の賞与が予定どおりの額だったなら、お目当ての車の購入金額に、貯金が達するはずだったのだ。それがまさかの減額となり、それは持ち越しということになる。
「どうしてなんですか」とノバナちゃんは僕を責めてきた。彼女たちからすれば、僕も一応管理側ということになる。サブマネージャーという肩書もある。けれど僕は「わからない」と返事した。僕は賞与の査定にこれっぽっちも関わっていないのだ。うちの部署は、マネージャーが一人で決めている。マネージャーとサブマネージャー、ナンバーワンとツーの間には、厳然たる権力差があったのだ。だからその理由を知りたければマネージャーに訊くしか術はない。
「マネージャーに理由を訊いてみる」
 僕はそう返事した。とても気が重いが、それはサブマネージャーの役割だ。

「今回の賞与について質問です。管理画面のレポートを見る限り、利益は以前よりも増えています。けれど支給額は減っています。差し支えなければ、その理由を教えていただけないですか」
 僕はマネージャーにチャットで訊いてみた。みんなの目につくところで話すには、ちょっと差し支えのある内容だ。
   二時間ほど経っても返事がこないので、僕はしかたなくまたチャットした。
「部署内から私に複数件、問い合わせがきています。支給額に疑問があるようです」
 それから三十分くらいでやっと返信がきた。
「最終的な利益が減っているからです」
 チャットとともに、「部門別収支表」というファイルも送られてきた。
「うちの部門の数字です」
   僕はそれを開いて内容を見た。商品販売の売上と利益は管理画面のレポート通りとなっていた。そのほか支出のところに人件費、広告費、システム委託料などが計上されている。支出で大きいのはその三点だ。そのほかは大した金額じゃない。賞与には影響ない額だ。
 人件費は昨年から大きな動きはないはずだ。定期昇給は年一回、上がり幅もたかが知れている。一人退職者が出たのでむしろ減少しているはずだ。広告は僕の担当だ。インターネットに出す広告は、昨年から増やしたりはしていない。そもそも決められた予算内でやっている。
 よくわからないのがシステム委託料という項目だ。卸サイトや社内システムは、全て社内のシステム部門が作り上げている。メンテナンスも全部やっている。そしてそれ以外のシステムを、原則僕らは使わない。外部のシステムなど心当たりがない。
   システム委託料の金額は、半年間で三百万にもなっている。うちの会社の大きさで、しかもうちの部門だけの費用となると、それなりに大きな金額だ。
「質問です。システム委託料ってなんでしょう?」
   僕はマネージャーにそうチャットした。またもや長いあいだ放置されたので、僕はしかたなく返事を促した。
「社内のシステム以外、うちの部署では使っていないはずですが」
   今度はすぐに返信がきた。
「必要なものは私の判断で導入しています。いちいちあなたの許可は取りません。結局、何が言いたいのでしょう?」
 仕切りを隔てた隣のデスクから、大きな舌打ちの音がした。ガチャガチャとキーボードを打ち鳴らし、タンブラーか何かを「かん」と強くデスクに置く音がした。僕はそれ以上質問するのをあきらめた。

 次の日、僕は同じフロアにある総務のデスクを訪れた。総務のニシダマネージャーは、僕を見ると「おう」と笑顔で手をあげた。彼とは同期で気心の知れた仲だった。ちょうど昼時だったので、総務は彼しかいなかった。僕は、あえてそのタイミングで訪れたのだ。
「どうした」
「ちょっと内容を確認したい契約書があって」
「契約書?」
「そう。うちの部署が外部とシステムの契約結んでるんだけど、それを見せてほしいんだ」
「なんで?」
 ニシダはちょっと怪訝な顔をした。
「いやさ、ちょっとそのシステムに不便なところがあって。改修させたいんだけどその場合、毎月払っている保守費用の範囲でできるのか、それとも追加費用が必要なのか、契約の内容をちゃんと確認したくって」
「そうなんだ」とニシダは引出しをあけ、鍵を取り出して立ち上がり、背後にあるキャビネットの鍵穴に差し込んだ。彼は、僕の言葉を信じたようだった。
 キャビネットの扉を開くとファイルの背表紙がびっしりと並んでいた。ニシダは「ええと」とそれを眺めたあと、「これだ」と一冊を取り出した。彼はそれをめくりながらとあるところで手を止めて、薄い冊子みたいなものを抜き取り、差し出した。
「システムっぽいのはこれだけしかない」
 僕は、「ありがとう。すぐ返す」とそれを受けとった。

 僕は自分のデスクに戻り、早速契約書を読んだ。システムはどうやらうちの商品の、販売時の有料オプションに関するものらしい。例えばパソコンデスクが売れた時、それを組み立てまでやるのは有料だ。シュレッダーが売れた時、古いものを引き取るのも同じくだ。ただそれに関しては、既に販売ページに申し込めるところがついている。マネージャーはもちろん、たぶん、僕の入社前からついている。だからそれは収支表にあるシステム委託料とは関係ない。
 僕は仕事をそっちのけにし、どこにそのシステムが使われているのか、卸サイトをくまなく調査した。けれどどうしてもそれらしいものが見あたらない。卸サイトはかなりのページ数に及ぶのだ。目視で調べるには限界がある。僕はシステム部の知り合いに、チャットで問い合わせることにした。
「うちの会社で、外部に委託しているシステムってある?有料オプション関連で」
 システム部はものすごく忙しい。一時間ほど経って「ない」と一言返信がきた。
「おかしいな。うちの部署では確かに外部に委託しているはずなんだけど。実際、費用も発生しているみたいだし」
 僕はさらにそうチャットした。次に彼から返事があったのは、それからさらに二時間後くらい、終業間際のことだった。
「もしかしてこれのこと?」
 彼はURLを送ってきた。
「去年くらいにそちらのマネージャーの依頼でお客さんのマイページにリンクをつけたけど」
 僕はURLをクリックした。別のウインドウが開いてリンク先のサイトが現れた。それはサイトというより広告みたいなものだった。
「『デスクを組み立てまでやって欲しい!』勤務時間中に、デスクやラックを組み立てるのは大変です。そんな時には・・・・・・」
「『シュレッダーを引き取って欲しい!』いらないシュレッダーを、わざわざ業者に頼んで廃棄するのは面倒です。そんな方には・・・・・・」
 なんのことはない、もともとある有料オプションの案内だ。画像とテキストだけで構成されている。例えば住所を入れたら自動で見積額が表示されるとか、そういう機能は一切ない。だからこれをシステムとは言わない。「外部委託のシステム」という言い方をして、彼が見つけられないのも無理はない。
 僕は「たぶんこれだ、ありがとう」とお礼した。やり取りはそれで終了した。質問の理由を尋ねられたりもしなかった。彼は忙しいのだ。
 そのサイトはものすごく簡素なつくりで、無料のホームページ作成ソフトで僕でも作れそうなものだった。これごときの作成、維持に、半年間で三百万もかかるわけがない。
 僕は再び契約書を読んだ。一番最後の署名欄には、うちの会社と相手の会社、それぞれの住所と代表者の名前が記載されていた。

 次の土曜日、僕は契約書に記されていた相手方の住所を訪ねることにした。相手方の社名は「株式会社ウェブクリエイト」と記されていた。住所は都内の世田谷区だった。その番地をグーグルストリートビューで調べると、一軒家の画像が現れる。まわりにも一軒家ばかりが建ち並んでいる。住宅街だ。とてもオフィスがある雰囲気ではない。まあ、小規模なウェブデザイン事務所なら、自宅兼事務所なんてこともある。素性を知るにはやはり現地を自分の目で確認する必要がある。
 ウェブクリエイトがある場所は、小田急線経堂駅から歩いて十分ほどの場所だった。グーグルストリートビューで見たとおり、そこは閑静な住宅街だった。ウェブクリエイトとされる建物も、築四十年くらいのごく普通の家だった。僕はその家の塀にある、郵便受けの表札を見た。契約書の代表者の苗字の「山内」と記されていた。うちのマネージャーも山内だ。ウェブクリエイトの表記はどこにもない。インターホンを押すかどうかを迷っていると、家の扉から初老の女性が現れた。僕は慌ててインターホン前から飛び退いて、ただの通行人のふりをした。そして少し歩いたところで振り向いた。女性は犬を連れ、僕とは反対方向に遠のいていた。犬だけがこちらを振りかえって僕を見た。両目のまわりがパンダみたいに黒いコーギーだ。そんな模様はかなり珍しい。そして僕はその犬に見覚えがある。それは、マネージャーのチャットのアイコンだった。

 帰りの電車で僕は状況を整理した。

・賞与が三分の一ほど減った。
・マネージャーは、それは利益が減ったせいだと言っている。
・けれど売上と利益は前年同期よりも増えている。
・人件費とか広告費、その他雑費にこれまでと大きな変動はない。
・ところがシステムの外部委託に三百万もの費用が計上されている。
・そのシステム(というかただの訴求ページ)は、素人でも作れそうな代物で、そんなにも費用がかかると思えない。
・外部に委託したのはマネージャー
・委託相手の住所は一軒家。
・その表札にはマネージャーと同じ苗字の「山内」とあり。
※契約書の代表者の苗字とも同じ
・苗字は同じだが、名前はマネージャーとは違う。
・彼のチャットのアイコンとそっくりな犬が飼われている。
・マネージャーは今、会社近くの笹塚に住んでいる。世田谷区ではない。

 以上から僕にはこんな構造が浮かんできた。
 マネージャーは自分の実家を所在地として、ペーパーカンパニーを立ち上げた。そしてそことうちの会社で契約をして、実際にはほとんど存在しない役務にお金を払わせている。振込口座はおそらくウェブクリエイトかその代表(マネージャーの親族?)名義のものだから、お金はそこからマネージャーの口座に移動する。
   もし僕の見立て通りだとしたら、これは意図的に会社に損失を与えているのだから、たぶん、背任ということになる。犯罪だ。
   僕は家についてから、ノバナちゃんにこれまでに判明したことをLineした。もちろん、口外厳禁と前置きをした。かなりの長文だったが、既読がついて二分後くらいに電話がきた。
 電話に出ると、ノバナちゃんは開口一番「なんすかこれ」と言った。僕は「ねえ」と同意した。
「いや、マジなんなんですか」
 声が、彼女とは思えないほど低かった。そしてドスが効いていた。僕は、たちまち股間が縮こまる感覚がした。
「週明けに通報します。コンプライアンス担当窓口に」
「ちょっと待って」
 たしかにマネージャーはかなり疑わしいが、現状では「疑わしい」というだけだ。ウェブクリエイトの代表者の苗字が彼と同じでその所在地の家には同じ苗字の表札があり、その家に彼がアイコンにしている犬がいるというだけでは、そこが彼の実家や親族宅とはまだ決められない。コンプライアンス担当はとても腰が重い。それぐらいの情報では動かないだろう。彼らを動かすためには、例えばその家にマネージャーが出入りるするところをおさえたとか、ウェブクリエイトからマネージャーへの送金記録を手に入れたとか、それくらい確固たるものが必要だ。
 僕はそう説明して彼女を落ち着けようとした。
「だからもう少し調べる必要がある」
 彼女は「わかりました」と落ち着いた。そして「私にもできることはありますか?」と言った。

 それから一週間ほど経ったころ、僕は珍しく残業で二十時くらいに退社した。駅までの目抜き通りを歩いていると、少し先の脇道から男女の二人組が現れた。僕は目を疑った。男はマネージャーだった。そして女はノバナちゃんだった。見間違いではない。二人は僕と同じ方向に歩いていた。だから僕はその後ろ姿を眺めていた。マネージャーは何やら大きな声でノバナちゃんに話しかけていた。笑顔だった。ノバナちゃんもそれに笑顔で応じていた。マネージャーは足もとがふらついており、何度もノバナちゃんの肩に手をかけていた。ノバナちゃんはそんなマネージャーの腰に手を回して支えてあげていた。
「すげえな」
 僕は思わずつぶやいた。

 それからはばたばたといろんなことが起きた。
 僕がマネージャーとノバナちゃんが仲睦まじげに歩いているのを見かけてから一週間後、例の「外部委託」のサイトが跡形もなく消えた。卸サイトからのリンクも削除されていた。
 九月になるとその時期には異例の人事異動があった。ノバナちゃんがサブマネージャーに昇格し、入れ替わりに僕が平社員に降格した。それに伴ないデスクも僕とノバナちゃんは入れ替わりになった。ノバナちゃんは、マネージャーの隣になった。
 そして十月も深まり街にハロウィンの装飾が目立つようになったころ、マネージャーが退職した。原因は、社員へのセクハラだった。被害者は複数人いたが、決め手はノバナちゃんに対するものだった。

「私にもできることはありますか?」
 正直、僕はノバナちゃんがそう言うのを待ちうけていた。だから最初に、彼女にだけLineした。
 いろいろと調べた結果、賞与が減らされた原因となるシステム委託料には、マネージャーの背任行為が絡んでいそうというところまでは突き止めた。けれどそれを裏付ける確固たる証拠、つまり腰の重いうちのコンプライアンス担当すら動かせる証拠となると、僕はそれをどう掴めばいいのか途方に暮れた。ウェブクリエイトの山内家にマネージャーが出入りするところを掴むのは、探偵か刑事ばりに長時間かつ長期間張り込まなければ無理だろう。現実的ではない。ウェブクリエイトからマネージャーへの送金記録を手に入れるのは、ハッキングでも出来ない限り無理だろう。これはもっと現実的ではない。
「私がマネージャーと仲良くなって、そこらへんの話を聞きだすっていうのはどうでしょう」
 ノバナちゃんが電話の向こうでそう言った。僕は「うーん」と言った。
「仲良くなったからって聞きだせるかな?そんなこと絶対人に話さないと思うけど。だってどこかに漏らされたら終りでしょ?たぶん、ものすごく難しい」
「それなら隙をついてスマホを盗み見ちゃうとか」
「普通、何かしらのロックをしてるでしょ。わずかな時間でそれを解除できるとは思えない」
「・・・・・・ですよね」
 ノバナちゃんは黙り込んでしまった。
「こういうのはどうだろう」僕は自分の思いついた作戦を披露した。
「まずはノバナちゃんがマネージャーと仲良くなる。そこまでは同じ」
 マネージャーは若くてかわいい女の子に目がない。だからノバナちゃんは既に気に入られている。仲良くなるのは造作もない。
「そしたらマネージャーはきっとすぐにノバナちゃんとより深い関係を求めるだろうから、それの交換条件として、先にサブマネージャーにしてもらえるよう頼むんだ。前から露骨にえこひいきをする彼だから、たぶん特に渋らないとは思うけど、先に深い関係を求めてくる可能性は十分にある。その時こそ僕の掴んだネタが役に立つ。『これをバラされたくなかったら、私をサブマネージャーにしてください』ってね。僕はもともと彼に嫌われてるし、その程度の交換条件ならきっとのむ。そしたらノバナちゃんは給料も上がるから、賞与の減額分なんてすぐ戻る」
「そんなのいやですよ」とノバナちゃんは言った。
「仲良くするだけならまだしも、彼となんか死んでも男女の関係にはなれません。だったら最初からノムラさんのネタでゆすればいいじゃないですか。わざわざ最初に男女関係を持ち出す意味がわかりません。それにその作戦だとノムラさんは損するだけじゃないですか」
「もちろん、もちろん」僕はまくしたてるノバナちゃんをなだめようとした。
「もちろん、本当にマネージャーと深い関係になる必要なんてない。それは彼を動かすための嘘でいい。でもその嘘が、ノバナちゃんがサブマネージャーになったあとに効いてくる。彼はきっと、自分は君の要望を叶えたのだから、今度は君の番だといよいよ強く関係を求めてくる。それこそが僕の本当の目的だ。彼は誘い文句にくわえて、たぶん、性的なことも言ってくる」
 ノバナちゃんは「でしょうね」と言った。
「みんながいる飲み会の時ですら、私やイクミちゃんや女性社員はほぼ全員、セクハラまがいのことを言われてます」
「それを録音するなり、Lineとかならそれを保存して、コンプライアンス担当に提出すればいい。それこそ確固たる証拠になる。セクハラは明らかなコンプラ違反になるからね。いくら腰の重いあいつらでも、今度こそは動くはず」
「クビになりますか?」
「正直クビはかなりハードルが高い。でもしっかり証拠を集められればマネージャーから引きずり落とすくらいはできるはず。そしたらきっとサブマネージャーがそのまま昇格になる。そういう緊急時はなおさら人事は順当になる。ノバナちゃんがマネージャーになったあかつきには、僕をまたサブマネージャーにしてくれればいい」
「なるほど」と言ってから、ノバナちゃんはしばらく黙り込んだ。
「まあ、言うのは簡単だけど、実際、そんなにうまく事が運ぶかはわからない。だからもちろん無理強いはしない」
「いえ、やります」
 ノバナちゃんはきっぱりとそう言った。
「私ならできると思います」

   そこからのノバナちゃんは驚くほど動きが速かった。僕の予想をはるかに超えていた。
    彼女はあっという間にマネージャーを籠絡してサブマネージャーになり、そして彼を引きずり下ろしてマネージャーになり、僕をまたサブマネージャーに引き上げた。
 コンプライアンス担当が、セクハラを認めるのも早かった。ノバナちゃんが実にうまく「一線を越えた」発言を引き出して、そしてその録音やらLineをちゃんと集めて提出したからだ。イクミちゃんとか他の女性社員も過去に彼から言われたことを証言し、それも認定を後押した。
 マネージャーはセクハラの事実を認めざるをえなかった。そこで変に粘ると今度は背任のことを暴露されると恐れたのだろう。彼は降格をうけいれ、そして間もなく退職した。
 ノバナちゃんは背任の件もおおやけにして、マネージャーからそれで儲けたお金もきちんと返却させるべきだと主張した。それに対して僕は「減らされたみんなの賞与は、次回、その分だけノバナちゃんのちからで上乗せしてあげればいいんじゃない?」と言った。
   ノバナちゃんは「はい、そうするつもりです」と言った。「だけどそもそも彼は会社からお金を盗んでいるわけじゃないですか。それは耳を揃えて返却するべきです」
   正論だ。けれど僕は賛成しなかった。これ以上彼を追い詰めると、今度こそノバナちゃんを逆恨みする。いつまでも彼みたいな人間と関わるのは気が滅入る。それにこんなことになったのには、彼を野放しにしていた会社にも責任がある。僕たちは前から彼によるモラハラ、パワハラ被害を訴えていた。けれど会社はそれを放置した。そして部署の運営を事実上マネージャーに丸投げし、彼がどんなところと契約しているかもきちんと把握していなかった。
「会社の不始末の収拾は、会社につけさせればいいんじゃない?」 
   ノバナちゃんは少し不服そうだったが、「わかりました」と言った。

   朝会社に来ると、ノバナちゃんがすでにデスクについていた。彼女はいつも一番のりだ。彼女は朝からコンビニの唐揚げを食べながら、ノートパソコンのディスプレイを見つめていた。「おはよう」と声をかけると、彼女は手のひらで口を覆いながら「おはようほはいます」と返事した。
   マネージャー席に腰掛けるノバナちゃんを見て、僕は今日もほっとした。前のマネージャーがいなくなったのはもちろんのこと、僕もそこに座らなくてよいからだ。
   実は前の前のマネージャーが辞めたとき、僕は次のマネージャーのポストを打診されていた。けれど僕はそれを断った。マネージャーともなると、有給が自由に取りづらくなる。夏場とか年末には、どうしてもチーム内で有給取得が集中する時がある。ほとんど誰もいない日もできる。そういう時に、部署のトップは休めないのだ。別にそういうルールがあるわけではない。けれど暗黙の了解で、どの部署のトップも出勤して緊急時に備えている。僕はそんなのは嫌だった。僕には買い物やらゲームやら、通常の休日だけではやりきれないほど趣味がある。
    けれど代わりに来たのがあまりにひどかったので、結局有給をとるのにとても苦労した。彼がマネージャーだった二年間、僕は尋常じゃないストレスを抱えていた。
「来週の木曜休んでいい?」
  僕はノバナちゃんに会社のチャットでそう聞いた。
「オッケーです!」と、2秒くらいで返信がきた。
   ノバナちゃんは、僕たちの間の仕切りの横からひょっこり顔をのぞかせた。
「どこか行くんですか」
「すいてる平日の下北にね。1日中、買い物とかお茶してまわるんだ」
「いいなあ」
   ノバナちゃんは心底羨ましそうに言った。その瞬間、僕は少し胸が傷んだ。僕に利用されたことにより、彼女は休みにくいポストに追い込まれたのだ。
 僕は「ごめんね」と謝った。
「何がですか?」
 彼女はきょとんとしてと言った。
   

 
   
 
 



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