コミュ症の文豪とゴロツキ娘 第五話
雪子さんとの会見の後、私はホテルに戻ると部屋を暗くして暫し黙想に沈んだ。
私は十年という歳月が二人にもたらした変化について思考を巡らした。
私は青臭い思想に自縄自縛にされた青年期を経て、徐々に頭の熱が抜けてゆくように厭世家となっていった今日を鑑み、それで良しとする一方、不意に訪れる砂のような淋しさに対し老人のような諦念を抱いていた。
またその淋しさを雪子さんにもたらされたブリスからの反動だとは微塵も思わなかった。学生時代ならいざ知らず、今の私はそれほど恋愛に重きを置くものではない。恋愛における素晴らしい感情の働きが、人生全般に渡って影響を与えるものだと信じるほどのロマンチストでもなかった。
しかしながら、プラトニックな人間同士の交流という点に於いて、私とまるで正反対の性質を持った雪子さんの存在は私に計り知れない好影響を与えてくれるものだと確信するに到った。あの会見を思い出してもこうしてすぐ内にとぐろを巻く内向的な私は、雪子さんに自らを語り得たことで大いにブリスを感じたのだ。
彼女は自身の生活の内幕を洗いざらい私に打ち明けた。夫の愛が得られないことも。しかし彼女にとって結婚というのはそれほど重大なことではなかったのではあるまいか。掘田に求婚されて不図その気になったというのは或いは本当のことかもしれない。
雪子さんは人並みはずれて鷹揚な性格である。例えば大学時代、学食でランチを共にしたとき、メニューがいつも同じなのに気づいて調戯ったことがある。その時彼女は「だって選ぶのが面倒なんだもの」と言った。
「だって同じのばかりじゃ飽きるでしょう」と言うと「同じのばっかり食べたって死にゃあしないわ」と言うのだ。
何事も万事この通りなものだから、神経質な私にとって雪子さんとの交遊は居心地が良かった。それでいて私の青臭い議論にも付き合ってくれる。常太郎は例外としても他にこういう人はいなかった。その為私としては雪子さんと十年来の友情を復活させることに異存はなかった。しかし……。
この時私はまだ女というものを本式に研究したことがないことに気づいた。雪子さんの驕慢ともとれる態度を、十年来の友情からくる親しみとして気安く話したのだか、あの態度の幾分かの内には単なる親しみ以上の或る物が内在していたのだろうか。
彼女の「また会いたい」という謎は単に自身の無聊を慰めるためだけなのであろうか。或いはそれ以上の意味があるのだろうか。
私は眠気が訪れるまでずっとそのことを考え続けていた。
その翌日、ホテルで朝食を済ませた後、ロビーで新聞を読んでいると、不意に後ろから肩を叩かれた。
振り返ってみるとそこにはまりあがいた。
「よっ。おっちゃんやるねえ。雪子さんあんたにほの字だよ」
出し抜けにそう言われて大いに狼狽した。
「一体どういう意味だ。お前は京都を観光していたはずだろう」
「おっちゃんさ。あたしを舐めちゃいかんよ。これでも作家志望なんだから。変装してあの喫茶店で聞いてたんだからね」
私は呆れて怒る気力も喪ってしまった。
まりあがいると邪魔になると思い、金を渡して京都観光でもしてこいと言ったのだが、余りにも簡単に引き下がったのでもっと疑うべきであった。
「勝手に盗み聞きするとは怪しからんな。しかしお前のお陰で雪子さんに会えたのは良かった」
「そうだよおっちゃん。家に籠ってうじうじ考えてたってしょうがないんだからね」
「うん、それは認めざるを得ないな。俺は暫く京都に滞在する積もりだからお前は早く東京に帰って大学に行きなさい。旅費は出してやるから」
「いや、もうちょっとあたしもここにいようかな。雪子さんとおっちゃんがよりを戻すかもしんないし」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと帰るんだ。そんなことがあるもんか。雪子さんは既婚者だぞ」
「だって雪子さん、旦那さんとうまくいってないって言ってたじゃん。おっちゃんがまだ雪子さんのことが好きなら奪っちゃえばいいじゃん。なんならあたしが……」
私はこれ以上まりあが喋るのを手で制した。まりあが言うことは自分を破滅の淵へ落とす悪魔の囁きのようなものだ。
私は平素小説や映画などを見て、のっぴきならない男女間の愛憎劇を、情に溺れる論理の欠如した不可解な現象として冷ややかな目で見ていた。理性によって自らの情動を御すことが現代的知識人の責務であろう。私も常日頃それを自らを律する規範として今日まで生きてきた。
しかし雪子さんとの会見を経た今、彼女との友情をまた復活させたいという強い欲求が生まれた。果たしてそれが恋愛感情に基づくものであるかはまるで分からなかった。たが淡調な生活に彩りを添える華として、彼女に接近することは至極魅力的なことには違いなかった。
「何おっちゃんまた難しい顔して考えてんのさ?やっぱ雪子さんのこと好きなんしょ」
「……まあ好きというのは別にしても、また会いたいとは思っている」
「よし、それじゃ先生。雪子さんが旦那と上手く別れるような小細工を考えようじゃありませんか」
まりあの言葉にはこの状況が面白くて仕方ないような、また新しい遊びを見つけて喜ぶ子供のようにも聞こえた。しかしそれを不愉快に思う程まりあを知らない訳でもなかった。
「雪子さんじゃないが、お前は正岡子規みたいなもんだな」
「ちょっと、やめてくれよそんな冗談。あたしだっていたいけな乙女なんだよ。そんなこと言われたら傷つくよ」
この皮肉を意味をまりあは違う意味に解釈したらしい。
「いや、そういう意味じゃない。お前の活発で楽天的な性質を褒めているのさ」
「おっちゃんにあたしの何が分かるのさ。あたしだってね……。これでも闇を抱えてんだよ」
これは私にとって意外な答えであった。
いつの間にか我が家に出入りするようになったこの大学生の娘について、暇潰しに遊びに来る風変わりな小娘ぐらいにしか認識していなかった。
万事この娘の行動は、若さと楽天的な性質からくる積極果敢という四文字で言い表して足りると計り思っていた。しかし彼女も人並みの懊脳を抱えているのかもしれぬ。
「何、誉めているのさ。しかしお前も人並みに、悩める青春を送っているようだね」
「まあね。何せ悩み事の多いお年頃だもん。だからせめて少しでも面白ろ可笑しく生きようと思って、こうしておっちゃんに絡んでんのさ」
「そうか。俺に絡むとそんなに面白いか?」
「ああ、面白いね。今時夏目漱石の没後弟子何て言って高等遊民を真面目にやってんのは、おっちゃんぐらいなもんだもん」
私にはその面白いということが、いつもの嘲笑のように思えてならなかった。しかし、まりあの言うことが世間一般的な見方であろうか。
私は暫し考えた。答えは否である。
「まりあ、夏目漱石という人は決して百年前の偉人ではない。彼は余りにも新し過ぎたのだ。百年後の今を見てみろ。高等遊民がニートというハイカラな言葉で流行り出したではないか。今に国民の半数はニートになる。つまりこの夏目源五郎は尤も時代に即した生き方をしている訳だ」
「だ~からそんなことを言うおっちゃんが、既に面白いんだってば。第一みんなニートになったら誰がお店屋さんやんのさ」
「そりゃロボットさ」
「駄目だよそんじゃ」
今後人間の仕事の大半がロボットに取って代わるという学術論文は、枚挙に暇がない。まりあにその資料を見せてやろうかと思ったが、面倒だしどうせ取り合わぬだろう。
私はまりあにいい竹篦返しを思いついた。
「まりあ、ロボットにも出来ないことがある」
「ロボットにも出来ないこと?う~ん……」
まりあは暫く腕組みしてから言った。
「それは恋だね」
「ああ、そうだよ。お前も俺なんかに拘り合っていないで恋でもしてみたらどうだ?」
「ああ、そうだね。……おっちゃん、あたしと恋でもしてみる?」
私が次の言葉を探している内に、まりあは唐突に背を向けると、長い黒髪を揺らしながら足早にロビーから外へと立ち去って行った。
私は腕組みして、今まりあが言った捨て台詞の意味を考えない訳にはいかなかった。どう考えてもいつもの嘲弄としか受け取れない。或いは私に心理戦を仕掛けようとしているのかもしれぬ。
しかしその捨て台詞を言うとき、まりあの顔は赤かった。
まりあと私の関係はとても普通にいう師弟関係のはずがなかった。かといってこの一回り以上離れた若い娘と、友人関係にあるかといえばそうでもなかった。
彼女が私を特殊(スペシャル)という以上に彼女は特殊(スペシャル)であり、その娘に輩朋のように扱われることに一瞬の愉快を感じていたこともまた事実である。私はこの娘の私生活について殆ど知らない。常太郎が言うまでもなく容姿端麗であるし、その破天荒な性格を差し引いてみても充分に人を惹き付ける魅力があるのは慥かだ。恋人がいたとしても不思議ではない。
そんな十歳以上離れた娘と私が恋愛するということが果たして有り得るだろうか?そもそもまりあは私に好意を持っているのだろうか?もし仮に好意を持っているとして、私は関係を進めようとする意志があるのだろうか?そこまで考えた処で、これはまりあのいつもの悪戯ではないかと気付き急に馬鹿らしくなって止めた。
【続く】
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