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実家がなくなって3年



わたしの両親も引越しばかり繰り返して
そのほとんどが市営住宅で


最後に住んだ住宅は
田舎町にしては新しくエレベーター付きの高齢者にも優しい3階建ての2階に住んでいた


2LDK
両親二人で住むには充分な広さで
ガスストーブ付きで
日当たりも良く
家賃も二人の年金合わせてもなんとかやっていける、やっといい家に住めたと父も母も喜んでいたものだ

約10年位住んで
二人とも認知症の疑いが

何度も何度も銀行に行っては通帳と印鑑が違うからお金が下ろせなくて
困り果てた母を見かねて
銀行の人から市役所の福祉課に連絡が行き
福祉課から地域包括支援センターへ連絡が行き
包括さんからわたしの携帯に直接電話がかかってきて
「娘さんですか?お母さんの事で、お父さんもなんですけど近いうちにお話したい事がありますので来てもらえないでしょうか?」

ここから在宅介護のはじまりでした


車で約1時間のところに住む実家で
包括さんから認知症が進んでいると思われますって言う話をされて

その日のうちにケアマネさんを契約して、
ヘルパーさんとデイサービスも契約して、
訪問看護も契約して、歩行器もあった方がいいと介護用具の人にも後日来てもらうことにしますって
すごい勢いで契約やらなんやらが進んで
目が周りそうな一日を過ごした


その後順当とは言えないけど
月水金はヘルパーさん
火木はデイサービス
土日のどちらかにわたしが来て
買い物とか炊事洗濯などなど

知的障害の息子を連れてるから
思うようにいかない事も多かった

介護料金はこの時で4万円足りなかった
兄弟姉妹がいないのでわたしが出してた

その後、母が腰骨骨折で病院へ入院
父はアルコール依存になって
朝早くから飲み始めてデイサービスの人が迎えに来る朝8時半ごろにはベロンベロンに酔っ払って椅子から立てない状態

「娘さん、お父さんこんな状況じゃデイには連れて行けないから今日は家にいてもらいます、娘さんこっちに来て見てあげてくださいねー」

「娘さん、お父さんが住宅の下の集合玄関で酔っ払って倒れてて一階の人に手伝ってもらってやっと家に運んだんですよー すぐこっちに来てみてあげてください!」

もはや迷惑な人扱いされて

そんな事が毎回のようにあって
「お父さん、家で一人じゃ無理だからどこか施設に入れたらどうですか」と

ケアマネさんに相談したら
ご家族のほうで施設探してくださいって
冷たい対応

実家近辺、近隣都市、どんな介護施設があるのかもわからないのに、こっちで探せと?

「私達ケアマネは情報をご家族さんに教えてあげるだけで、探すのはご家族さんですからね」
「なんでもやってもらえると思わないでくださいね!」
きわめつけが
「私の言う事が聞けないならサービス全部引き上げますよ!」

まったく人の痛みもわからない人がいたものだ
びっくりするやら呆れるやら

こんなケアマネはダメだと思い
別なケアマネに変えてもらった
別なケアマネも似たり寄ったりで話にならなかったので
自分で老健探して

老健の担当者が実家に来て父と面談して
丁度面談の日の朝から
また飲んで大声だして
担当者の質問にも
ぶっきらぼうな応対して
こんなんじゃ老健に入れないなと悲観してたら
担当者から入居しても良いとお話しがあって
もうお酒は飲めないと言われても大人しく従って
年が明けて2020年1月
父、老健入居した


2月に家賃を支払いに市役所に行った時
住宅振興課の人に
母は入院して父は老健に行った事を話した
「しばらくは家賃払って、もし2人とも住宅に戻って来れたら戻りたいって言ってますのでそのままにしておきたいんですがぁ」
今から思えば都合良すぎ
そんな事は許されないとばかりに
「申し訳ないのですが、おふたりとも入院入居されたんなら退去の方で考えて欲しいんですけどぉ… すぐじゃなくてもいいんですが3月末をめどに…」

こんな人口8千人くらいの小さな町の市営住宅がなんですぐに退去しなきゃならないの?

押し問答を続けてもしょうがない
老健入居させてやれやれと思った矢先に退去の話

約束どおり3月末で退去

父も母も帰る家がなくなった日


結局父は老健でも問題を起こし
これ以上無理ですと言われて
老健退去
精神病院へ入院
1年後病院で死亡
コロナ禍で面会も一回しか行けなかった

母は病院、施設を巡って巡って
来月特養に入る

あの町のあの市営住宅を退去した事は
父にも言わないで終わった
母にもいまだ言ってない
これからも言わないつもり

わたしも
実家とか故郷とか
そんなもの と思っていたほうだったが
こんな形で
失ってしまうものだと
悲しいものだと知った


実家に帰れる人が羨ましい

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