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【初学者のための世界史(幹)】2-11.ノルマン人の大移動

前回は、フランスやドイツ、イタリアの原型を作ったゲルマン人の大移動について解説しました。
今回は、ヴァイキングでおなじみノルマン人の大移動について解説します。


ノルマン人はもともと、スウェーデンやデンマークのあるスカンディナヴィア半島やユトランド半島に住んでいました。
彼らは漁業に従事していましたが、人口が増えたことなどにより南下を始めました。

ヴァイキングのイメージ


北フランス


フランスに進行したノルマン人は、フランスから領土をもらう形でフランク王国の北西にノルマンディー公国を建設しました。なぜフランスが領土をあげたのかというと、フランスはノルマン人の勢いがすさまじいことを察し、北西に領地を与えることでフランク王国そのものを飲み込もうとすることを防ぎたかったからです。ノルマンディー公国はフランスから土地を分け与えられた、フランスの臣下(部下)のポジションを取りました。


イングランド

ノルマンディー公のウィリアムがフランスからドーバー海峡を越えイングランドに進行しました。イングランドには、ゲルマン人の一派であるアングロサクソン人の王国がありましたが、ウィリアムはこれを撃退しノルマン朝を建てました。
これにより、イングランドにもフランスにも領土を持つ国が誕生しました。複雑なのが、イングランドの国王でありながら同時にフランス国王の臣下であるということです。
この時のヨーロッパにおける「国」とは、国境もしっかりと定まっていなくて、トップ(王様など)の勢力の及ぶ漠然とした範囲として捉えると分かりやすいかもしれません。例えば、フランス国内の人々には「俺はフランス国民だ!国のために頑張るぞ!」という意識はなく、近所の情報を手に入れるので精一杯でした。

南イタリア・シチリア


更にノルマン人はイベリア半島(スペインのある所)をぐるっと回って南イタリアに進出しました。どうしてスカンディナヴィア出身のノルマン人がわざわざ南イタリアまで来たのか疑問に思われたかもしれません。
当時の南イタリアはキリスト教の小国がゴロゴロ、更にはイスラームの勢力も存在していました。キリスト教国はイスラームを排除したいけれどなかなか攻めきれず困っていました。
そこへ、旅行中のノルマン人を雇って戦いに参加させたところめちゃめちゃ強くて、イスラーム勢力の撃退に成功しました。それから、ノルマン人を衛兵として多く雇っているうちにとうとう両シチリア王国という国を建国しました。


ロシア

ノルマン人はロシアにも侵入し、ノヴゴロド国を建国しました。このノルマン人は「ルーシ」と言われており、ロシアの語源だと考えられています。


次回は、キリスト教のトップである教皇と皇帝の関係の変遷について解説します。必ずしも仲良しこよしで歩んでおらず、地域によっても様々な結果をもたらしました。この先のヨーロッパの解説でもキリスト教がらみの話はたくさん出すつもりです。ヨーロッパの歴史はキリスト教を巡る歴史と言っても過言ではないくらい密接に関わっています。


最後までご覧いただきありがとうございました!


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