067.元禄バブルが生むこだわりの工芸職人
自然を相手にした農業は、栽培する品目が決まれば自動的にやるべき作業が決まり、しかも手掛ける面積が広がれば広がるほど働く時間が求められ、手をかければかけるほど収量が増えるという関係にありますから、まじめな農民ほど長時間働き、暮らしも豊かになっていくことになります。
農業以外のわらじ作りなど夜なべ仕事もあり、こうして、農民の社会では、豊かさを指向すれば、自然と労働が長時間化していきます。
農民の労働が長時間化すればするほどコメの収穫量が増えて農民が豊かになり、余った産物が市場に出回り、消費経済が発達していきます。その結果、かつては高禄をはむ武士階級にしかできなかった、わずかな差にお金を払うことを、町人たちも抵抗なく行えるような世界が生まれてきます。
江戸時代の士農工商の人口割合は時代によって変化していますが、ざっくりとみれば、武士族が8パーセント、農民(含む漁民)が80~85パーセント、工商(神職・僧職などあわせて)5~8パーセントほどです。職業的に言えば常に中心は農業従事者であり、時代の変化に合わせて町人(商工従事者)が増えて行ったと考えられます。
生活が豊かになっていくにしたがって、労働時間の長さが勝負で「勤勉さ」を要求される農業に代わって商品経済が発達し、仕上がりこそが命、という「質」を課題とする新しい職人の一派が生まれ、「粋」などの特有の文化を支えるようになってきます。
日本人の働き手として、地道に長時間労働をいとわない農業と対極に、独自の工夫、こだわりと仕上げ細工の緻密さ、新しさこそが命というエートスを持った、工芸家や新しい職人集団が誕生してきます。
明治以降に来日した多くの外国人は、日本の大工や職人の気ままな仕事ぶりを紹介していますが、それが、「働く時間」の長さより、働いた結果の「仕上がりの質」に自負と誇りを持つ、職人と呼ばれる専門技術者の働く姿です。
こうして刀匠や冶金、漆、金属・木工・貝・鉱物などさまざまな工芸品が一気に花開き、それによって農民の長時間労働に耐える勤勉さと違った、腕と技を競う「職人」がそれなりの位置を占め、新しい働き方が生まれてきます。
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