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072.働きの対価と日本人のモチベーション

こうした農民、職人、武士たちの、仕事へのモチベーションはどこにあったのでしょうか。現代の日本人との対比で考える時、彼らは、与えられた仕事の完成度に対する責任と「働きの対価」をどのように考えていたのか、非常に気になるのです。
より良い商品を開発し、多くの市場を得て、たくさんの対価を得る。より良い品質、安い商品を作り上げ、多くの客を得て、たくさんの対価を得る……という競争の論理は、現代の民主主義と資本主義の組み合わせを支える基本的なエートスです。これがないとイノベーションが起こらず、社会が発展しないということになっています。
また労働者は、報酬が少なければ工夫も努力もしない、対価次第でサービスは低下する、というのが、世界経済を席巻する資本主義経済学の法則です。しかし、日本人の働き方を見ていると、そこに対価という要素が入り込む余地が極めて小さいような気がするのです。
高度成長期を通じて、働くことが経済的な豊かさを招くという意識が動機となって、日本人は懸命に仕事をしてきました。そして、今後は、かつてのような経済成長はあまり望めないというなかで、日本人の勤労への動機づけは、もう一つ明確ではありません。
アメリカンドリームのように、経済的な豊かさを大きなモチベーションとして、社会がそれを奨励している国もあります。そうした国では、企業が赤字を出しながらも、経営者が巨額の報酬を得ているケースも少なくありません。最近、そうしたアメリカの金融業を中心とした報酬優先主義は、アメリカの専門家の一部からも「強欲」という声が上がっています。
一般に、仕事の結果から得る「対価」としては、「報酬」と「仕上がりの質」、「働き手の満足度」、「顧客の満足度」の四つが考えられますが、日本人の仕事の対価を考えると、「仕上がりの質」や「働き手の満足度」、「顧客の満足度」に偏重しすぎて、「報酬」がかなり弱いのではないかと思えてくるのです。
前章でご紹介したアメリカ職人の仕事ぶりも、仕上がりと満足度に関心を持って行われていたことが分かりますが、しかしその根底には、「対価」があるような気がします。
これまでも何度か引用しているペリーの「日本遠征記(一)」にきえもんという漁師の話が紹介されています。これはペリー一行が直接体験した話ではなく、出島のオランダ商館の記録にあったできごととして記録しているものです。
それはこんな話です

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