見出し画像

036.豊かに広がるものづくりの世界

なぜ、「とる」とひらがなで書けばよいかといえば、漢字が入ってくるまで、日本には話しことばがあるだけで、それを書き表す文字はありませんでした。だから、その頃に使われていたことばは、「とる」という発音があり、それで、取る、採る、捕る、執る、摂る……のすべてを表現していたのです。
なので、どの意味で使うときにも、漢字を使わずに、「とる」と書けばよいと言っているのですね。受け手も、その意味するところを、取る、採る、捕る、執る、摂る……の意味を持つことばとして受け入れ、判断し、理解すればよい、ということです。
「ものづくり」に当てはめれば、このことばがやまとことばである以上、「もの」も「つくり」も漢字をあてずに「ものづくり」とすることが日本語的に自然だという説明です。
ことばが示す意味としても、「作り」や「造り」、「創り」の一つに限定せずに、それらを広く包含した「つくり」として表現し、理解することが正しい……と高島は主張しているわけですね。
これを読んで、長年のもやもやが一瞬で飛び、すとんと腑に落ちる思いがしました。
言われてみれば、「ものづくり」という表記法が、わたしたちがこのことばに抱いているイメージや豊かなニュアンスを見事に表現していることに気づかされます。高島の説明に深く納得です。
また、上代日本文学の第一人者中西進も、
「そもそもの日本の心を知るために、まず感じを取り払ってみましょう。「は」とは歯でも葉でも端でもあるのですから、「漢字で書くと別だ」という考え方を捨ててほしいのです」⑤『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮文庫 P.4)。
と書いています。
いま、書いていますと書きましたが、この書くも同様で、本来は「かく」と書くべきだといいます。理由は、文字が入ってくる以前にすでに「かく」ということばがあったそうです。文字がないのにかくという言葉があった理由は、縄文時代、土器を作るときに文様を入れた作業を「かく」と呼んだそうなのです。先のとがったもので柔らかい粘土を引っ掻いて文様をえがく。原初のかくとは掻いて表面の土を欠くことだったのです。
後に漢字が入ってきたときに、指を使って何かを記す動作を「かく」といい、文字をかくことに「書く」、絵を描くことに「描く」をあてて区別するようになりました。そのため、かくという言葉が、本来はどういう働きを示すものなのかがわかりにくくなってしまったようです。
「もの」についても、物理的な「もの」を示すだけでなく、「ものみ」(物見)、「ものがなしい」「もののけ」(物の怪)などを例にあげて、「もの」には目に見えるものと見えないものがあると言い(⑥同書『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮文庫)、日本語は「包容力のある、創造性豊かな沃野をもつ」ことばで、この「意味の豊かさ」こそが日本語であると書いています。
書き文字として漢字が日本に輸入されるようになったのは、五世紀から六世紀ころと言われています。わたしたちの祖先は、中国で使われていた漢字を輸入しながら、一つの文字が「音読み」と「訓読み」という二つの読みをもつ、世界にもまれな仕組みを発明し、さらにカタカナ、ひらがなという書き方も生み出しました。
日本語は、
一つのことば「山」を、やま、ヤマ、山と三つの文字で表記でき、しかも、やま、さん、ざん、せん……と何種類もの発音がある、世界でも天然記念物的な希少種の言語なのです。
しかも、「雨」ということばだけでも、「あめ」、「さめ」「う」「あま」と呼び分けて、春雨、秋雨、朝雨、小糠雨、細雨、桜雨、五月雨、霧雨……と、数十の「雨」を生み出し、さらには、雨上がり、雨だれ、雨あし、雨模様、雨宿り……など状況を表すことばを作り出して、わたしたちはその繊細な違いを使い分けてきました。
中国語では、「雨」は、どこでどのように使われようと、読み方はひとつ、「yu」だけです。そして、降る雨を表現することばは、日本語と比較しても数えるほどしかありません。
自然を表すのに豊かとはいえない語彙の言語(中国語)を輸入しながら、わたしたちは独自の感覚で隙間を埋める多くのことばを生み出してきました。この繊細さが、ものづくりの繊細さを生みだしているのはいうまでもないでしょう。
前出の高島俊男は、日本語が熟していない段階で文字として漢字を入れてしまったので、日本語(和語)はそこで成長が止まり、中途半端なことばとして現代まで来てしまった、と述べています。
そうした要素があるとしても、私は、表記法が三つもあり、豊かな表現力をもつ日本語そのものを、世界の文化遺産として登録してほしいと思っているほどです。
こんな多様で繊細な表現を含む、独創的なことばをもつ国民は、世界でもあまり例はないのではないでしょうか。
ことばはわたしたちの精神形成に大きな影響を及ぼしています。こうしたことばの豊かさも、わたしたちの「ものづくり」を豊かなものにしてきた重要な要因のひとつです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?