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写真を”撮られること”への挑戦

私にとって写真を撮られるとは…

  • 人生における新しい経験値を増やすこと

  • 当たり前だと感じていた日常に、新たな解釈を加えて捉え方を新鮮なものに変えること

  • 自然な笑顔・飾らない表情でいる自分を通して、生きる勇気をもらうこと

  • 組織や社会に埋もれる私ではなく、自分が人生の主役である物語を刻んでいることを再認識すること


芸能人やインフルエンサー、社長や個人事業主でもなんでもない普通のサラリーマンである私が、自分のためだけの撮影を初めて経験したのは2019年の夏。

昔お世話になっていたバイト先の先輩の知り合いにカメラマンさんがいて、その方の撮る写真はとても心に打つような美しさがあった。

キャッチフレーズは、
「人生の流れが変わる時に出会うカメラマン」

最初にそのカメラマンさんのことを知った時は、まだ社会人1年目〜2年目頃で精神的にも時間・金銭的にも余裕がなく、ただSNSで見ているだけで見送ってきたが、1回目のうつ病発症をきっかけに初めての"撮られること"を経験することになった。

それから月日は4年半近くが経ち…
他のカメラマンさんも含めて延べ数十回もの撮られることを経験し、自分自身もカメラマン活動をしてみたりもした。

今の私にとっての"撮られる意味"というものをざっとまとめてみると、冒頭の箇条書きの内容になった。

2023年最後の"撮られる体験"に向けて…

今年に入ってからも7回程度撮られることを経験した。
その集大成として、12月末に『東京・銀座』で写真を撮られることを決めた。
時間は夕暮れ〜夕方過ぎの予定。

お願いするカメラマンさんは前述のキャッチフレーズを引っ提げて「人柄写心家」の肩書で活動している丸山嘉嗣さん。

彼の撮る写心は、その場の空気感を真空パックしたような写真と言われているが、撮られる人の持つ表情の柔らかさ・自然さ、その情景をより引き立てる構図・色味を、光を活かしながら、その場を散歩しているような感覚で1枚に収めてくれる。

私はイルミネーションの時期の写真が特に好きで、タイミングが合えば、ほぼ毎年お願いしている。
光が生み出す暖かさや優しさはもちろんのこと、クールさやセクシーさなど、様々な雰囲気で私の中にある「多面体」をより深く引き出してくれるような気がするから。

銀座という街は今の場所に引っ越しを3年ほど経つが、ここ1年くらいで急に行く機会が増えた場所の一つ。
憧れのハイブランド のお店を覗いて、たまに買ってみたり、デパートの飲食店でご飯を食べたと思ったら、知る人ぞ知るような安い定食屋にも行ってみたりと、私にとっては日常に近いところにある地域だ。

日常と化した非日常空間での、撮影という名の非日常体験は、写真としてどんな化学反応を生み出すのか、楽しみのひとつである。

ところで、今の私は仕事での不調が継続し、とうとう3度目の休職に入ってしまった。

主治医の治療方針もあり、「なにもしないこと」をやっているが、罪悪感やら虚しさやらとの闘いになっている側面もあり、なかなか慣れない。
今までのトラウマ経験から、空っぽでなにもないことが、怖くなってしまうことも一因であるように自己分析している。

せっかく写真を撮られるならいい時に撮られたいと思う気持ちは間違っていないし、今までの私も基本的にはそうやって撮影に臨んできた。

ただ今回はなにもしない・空っぽな私が、その空間にカメラマンに委ねてみたことで浮き彫りになる『私』の姿を見てみたい。

今までは、頑張らないといけない・何かをしないといけない・役に立たないといけないと思いながらも、十分な成果を出せずに思い悩んできた私にとっては、その逆張りに挑戦することによって、どんな心境でどんな写心として仕上がるのか、そして、これからどんな未来への扉が開かれるのか、楽しみにしている部分もあるのかもしれない。

願わくば、自分を大切にするということを覚えた先に、周りからも大切にしてもらえる世界で生きていきたい。
お互いのことを理解し合い、共存し合える大切な存在に出会うための一歩にしたい。

立派な"準備"というものは今の私には出来ないかもしれないが(とりあえずヘアメイクの予約は完了した)、透き通った私・本来の私に戻る体験として、撮られることを楽しみたい。





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