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非社交teki(的)

私は社交家に見られる。

週末や休みの日はいつも友達と集まり、お酒など飲みながら食事をしてワイワイやってるように見えるらしい。
そう思うのは一人、二人ではなく、だいたい知り合ったばかりの人達の私の印象。

でも私は自称&家族は認める非社交的。
あまり誘いに乗らないし自分からも滅多に誘わない。
お酒も滅多に飲みたいと思わないから家に常備していないので、たまに飲みなくなっても”飲みたい時には家になし”
な残念な時がある。
今の職場にいて3年になるけれど、クリスマスパーティーや他の集まりにも一度も参加していない。

でも「人付き合いが嫌い」というわけではなく、
「人と集まるのことが嫌い」というわけでもない。
そして「人と話すことも嫌い」ではない。      
仕事も接客業中心をずっと続けているから、
社交精神がなければ続けてこれなかったと思う。
それにこの仕事が好きだから、人との接することは嫌いではない。

ただ集団行動を好まない。
多くの人と群れることを好まない、だけ。
人の多さ、人が集まるとざわつく空気、あれを想像するだけで既に疲れてしまう。

そんな「現在非社交的」な私にもかなり社交的な時もあって、 毎週末友人達を招き招かれ食事し、昼夜外食、買い物に行ったり、長々話して帰ってきたり。翌日仕事でも億劫でもなかった。それが楽しかった時もあった。

きっかけはパニック症だったのだと思う。一人でも外に出るのが不安で辛くなれば、一人行動中心になって行くのは自然なことだった。
それに「一緒に出かけた人に迷惑かけなくない」というのが1番の理由。周りが楽しい時間を過ごしている時に、自分の体調が悪くなってその場を乱したくないという気持ちが強かった。

その記憶がいまだに脳に残っこっているから、今でも一人行動の方が楽だと思えてしまう。
予定を立てていても、一人なら変更しても誰にも迷惑をかけることもないから気楽で安心。

でも全く人付き合いをしないわけではなく、たまにお茶をしたり食事をしたりする友人達はいる。もう10年以上の付き合いになる友人は半年に1回、下手すると1年以上会わないけれど、お互いに生存確認のメッセージのやり取りは数ヶ月ごとにしているし、会うこともある。
他にも数人の友人達とはたまに会って一緒に時間を共有することもある。

気があまり乗らない社交辞令の付き合いに勤しまなくてもいいと私は思う。上手く交わせるものなら交わしても・・・
その結果、誘いも少なくなり、だんだん誘いも来なくなるかもしれないけれど・・・
それでも、あなたを理解してくれる人は、懲りずに誘ってくれるはず。

人との繋がりはやはり大切だと思う。
何かしら学ぶものもはあるし、楽しい時間を過ごせる時もあるから。
だからそんな自分を理解してくれる人と着かず離れずの良い距離を保って、社交の場に参加するくらいでいいと思う。
理解ある人達は、そんなあなたを優しく受け入れてくれると思うから。

非社交家、ときどき社交家 でも良いじゃないか。












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