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*目には見えないけれど存在するもの   その2  住職編(2/2)

のたうち回るタッピング

住職の浄化が始まる。   

まずは今で言う、タッピングだったと思うけれど、当時(1995年代ごろ)私はそんな療法は知らなかった。

畳の上に仰向けになり、住職が額をトントンと叩き始める。
それが、徐々になんと七転八倒の痛み変わっていった。
我慢しても痛すぎて叫んでしまった。隣の部屋には他の方たちもいたし、聞こえたら恥ずかしいと思ったけれど、みんなそんなの慣れていたんだと思う。
畳の上をのたうち回り、スカートを履いてきたことを後悔した。それでも住職のタッピングは止まらなかった。

やっとタッピングが終了し、涙を拭いながら、正座をして体勢を整え直すと、「これくらいで叩いてなのよ」と手の甲をトントン。それは触れるか触れないくらいの強さだった。


手のひらから白い空気・・・

そして「じゃ、身体の中の邪気(心の便秘の原因)を出すから」と手のひらを上に向けにするように言われて、住職が念仏を唱え始める。 そして私の手のひらに手をかざして何かを引き上げる仕草。
冬だったので暖房が入っている部屋は暖かかった。
それなのに、私の両手のひらから、凍るように冷たい白い空気(煙のようなもの)がスーッと浮き出てきた。

手のひらに少し止まるように出てくると、住職の喝と共に、すごい勢いで手のひらから抜け出て流れて消えていった。
アニメとかで雲が空気を切るような感じで。

そして確信したんです。「目に見えないものは本当に存在するだ」と。                      あの経験は本当に、経験した人にしかわからないけれど。

そして、あれは霊気・気(Reiki ・Ki )
今は世界中で誰もが一度は耳にしたことがあるはず。     特にヨガ、メディテーション、マインドフルネス等を生活の一部にしている人達には、教えの一つ。
当時の私はただの念仏だと思っていたけれど、その後霊気を少し学んだので、あの手の動き、指の動きは確かに霊気。

信じる信じないはその人の考え方なので。
でもこういう実際の体験は、目に見えるものだけがこの世のものじゃない、触れるものだけが実在するものじゃない、と思わせてくれる不思議体験でした。










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