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東京とルッキズムと過食症と私 #3

(その2から続く)
出版社というクリエイティブな世界はとても刺激的だった。編集者やライター、デザイナー、校正者がいて、時にはスタイリストやモデルまで編集部に現れる。皆さん本当にオシャレで痩せていてブランドものをさらりと身につけている。しかも、アルバイトの学生までオシャレなのだ。なんなんだ、この人間としてのレベルの差は。たかだかボーダーが似合うようになったレベルで満足していてはいけない。と、短期の渡仏をきっかけに私は頻繁にフランスにオシャレグッズの「買い出し」に出向くようになる。

今思えばこれじゃミーハーな旅行客と一緒だけど、アパルトマン滞在、パリジェンヌ気取りは貫きつつ、エルメスなどのハイブランドショップもちらと覗くように。ハイブランドの洋服は分不相応なので、学生でも持っていて違和感がないようなカジュアルなバッグ、手帳、財布、バングルなどのアクセサリーをコーディネートに取り入れた。

なぜ、学生の私にそんなお金があったのか? と疑問に思う方もいるかもしれない。実のところ、この頃の私は現在のよりもよっぽどお金を持っていた。1人暮らしを開始してからの親からの仕送りは家賃込みで14万円。加えて、出版社のアルバイト代が高く、編集さんに付き合って1晩夜勤(残業?)をすると、1日2万円を稼ぐこともザラだった。

編集アルバイトの楽しさがゆえに大学に通うのも疎かになり、アルバイト代だけで月に25万円以上稼いでいた記憶がある。加えて、アルバイトでも社食は無料だったし、タクシー券ももらえた。時代は出版バブルの終わりかけで、Web媒体がちょいちょい台頭してきたとは言え、まだ紙媒体が圧倒的にリードしていたし、出版社にも潤沢な予算があったのだ。

ちなみに当時のコレクションのうち、ハイブランドのアイテムはすべて酔っぱらって失くした。正規店で購入したエルメス、ヴィトン、プラダ、グッチやらの財布やアクセサリーもどこへやら。現在は母がスーパーのワゴンセールで購入したと思われる1,000円くらいのバーバリーもどきの長財布を愛用している。それも愛犬に齧られてファスナーが壊れている始末だが。

と、かなり話が横にそれたが、体形が元に戻って、ブランド物を身につける「イケてる自分」は、見た目だけならそれなりにイケていた。全身エルメスの女性編集者から、「あら~、エルメスのそのバングル、新作? カワイイ!」などと褒められたくらいだ。

こうした環境下で、私が思ったのは「もっと痩せて、ブランドが似合う私にならなくては」だった。もっともっと高いクラスに行きたい。でも、社食できっちり昼・夜と食べて、編集さんと夜中に飲みに行って高級なお酒やお寿司などをご馳走になっていたら、痩せる余裕などない。

さらに私は、数度のフランス旅行を経て、パンへの執着がとんでもないことになっていた。やめときゃいいのに、確かクイジナートだかのホームベーカリーを購入して、毎日パンを焼いていた。焼きたてのパンとは、なんと美味しいのだろう。毎日焼きたてのパンを1斤食べていたら、せっかく血と涙を流しながら戻した巨豚→普通の体形が、子豚に戻ってきたように思えた。

「これじゃデブに逆戻りだ……」そう考えた私は、A.P.Cの27インチのデニムがきつくなったのをきっかけに「食パンを1斤食べたら吐く」を徹底するとともに、「体にガムテープを巻いて肉を固定する」という笑止千万なプランを遂行した。当たり前だけど、ただ肌がかぶれただけだった。

洗練された出版業界デビューで、とにかくビジュアルを高めに寄せることが自分の価値アップにつながると思っていた編集アルバイト時代。そんなことばかりに気をとられていたら、あっという間に時が過ぎ、気付けば大学4年生。大学の友人たちはとっくに就職活動に着手していた。完全に出遅れた。

慌てて出版社だけに焦点を当て就職活動をするもあえなく玉砕。当時編集アルバイトをしていた出版社にすら書類で落ちた(苦笑)。同出版社の人事部の社員さんから「書類が足りてなかったんだよー」と教えてもらうも、書類ってなんだ……? とまで無知だったのだ。我ながら呆れる。

この無知や準備の足りなさによる大失敗が、現在のフリーライターとしての私のスタンス(下調べはしっかりする等)にも教訓として活かされているのだと思う。そう思ったら、決して無駄じゃなかった……のかな? いや、タイムマシンに乗って当時に戻り、私に「無知は罪なり」と説教したい。それと……見た目だけ盛っていても中身がすっからかんだと社会には通用しないのだよ、とも口添えしたい。

こうして私は、アルバイトをしていた出版社の編集部に頼み込んで、フリーライターとしてデビューした。と言っても、アルバイトの時は用意されていなかった自分のデスクができたくらいで、仕事の内容は以前と変わらず、ショップへの取材のアポ入れなどだった。アルバイト時代は時給制だったため最低でも月に15万円は稼いでいたのに、フリーライターになってからは成果がないわけだから収入はゼロになった。大学卒業と同時に親からの仕送りも打ち切られ、正真正銘の収入ゼロに。学生時代のアルバイトで貯めたわずかな貯金でなんとか生きるという、フリーライターとしてまったく先が見えないキャリアが始まった。

というわけで、ほぼマイナスから始まった私のキャリアだが、編集者との出会いや運などのおかげで、このわずか数年後には年収800万円の頂点を極め、その後、見事なまでに転落し続けることを、当時の私はまだ知らない。

本当に、怖いもの知らずというのは、若さと無知と勘違いが成せる技だったと思う。上京した18歳から22歳までの4年間で使いまくったこの技を、中年どころかほぼ初老と呼ばれる年齢になった現在の私は、当然ながらもう使えない。細々とライター業を続けるために、実力と経験を駆使するのみだ。

しかし、この時代に植えついた「痩せ=正義」という概念は、アラ50になった今でも私を翻弄している。嘔吐までには至らないものの、たまに「チートデイ」と銘打って過食をするし、それでいて「太るのが怖い」という脅迫心は常にあるように思う。

そういえば、大学の卒業論文のテーマはなぜか「パン」だった。大学で専攻していた英語やフランス語の教授は「コイツ、おかしくなったのか?」と思ったに違いない。

そんな私の現在は……。
「フランスで食べたバゲットとチーズは美味しかったな」と懐かしみながら、冷凍していた8枚切り98円(税抜)の食パンにスライスチーズを乗っけて、オーブントースターで焼いたものを酒の肴にして、ひとりでしんみり食べている……。(完)


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