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吹奏楽と突発性難聴

 私、吹奏楽部の部長でした。今は引退して受験期間です。吹奏楽とは切っても切れない縁?の病気、突発性難聴の経験について語ろうと思います。


吹奏楽漬けの青春

 私の中学校は、強くもないけど下手ではない、よくあるレベルの吹奏楽部です。最終的に人数は20人前後になりましたが、私がいたときは9人の時期もあった少人数バンドでした。そこでアルトサックスを演奏していた私。楽器も音楽も大好きで、大好きな音たち、先輩に囲まれ、のびのびと吹奏楽を楽しんでいました。
 コンクール、特にアンサンブルコンテスト前は、朝から音出し、昼に基礎練習、放課後はどこの部より早くから始め、校舎を見回る教頭先生に追い立てられて帰っていました笑
アンサンブルコンテストにも2年連続で出場枠を勝ち取り、人間的にも音楽的にも成長できた良い経験だと思います✨

良き環境の変化

 中学3年生になるとき、顧問の先生が変わりました。新しい先生は、地元では有名な、コンクール自由曲を自身で作曲される名物教師!!笑
 2年の後半から部長になり、自分たちの学年の2倍の人数がいる1個下の後輩の扱いに困っていましたが、部員たちも、完全実力主義になると、次第にまとまってきました。
 そして何よりの思い出が、コンクールのソロ。もちろん先生の作曲で、自分の学校をモチーフにした、少人数とは思えないシンフォニックな響きが素敵な曲でした。先生はその中盤に、1分を超える私のソロを作ってくださいました。ほぼ伴奏なし、ホントのソロでした笑
 実力主義の先生が唯一作ったソロ、それを吹けることは本当に名誉なことです♡
 練習も厳しく、夏休みの前半は起きる→朝ご飯→部活→昼食を食べる間もなく練習→暗くなってから帰る→晩ご飯→個人自主練→寝る、という、過労死ライン越えたレベルの生活を送っていました。部員からの文句も出て来ることはあり、「吹けない人は3年生であろうとステージにはあげない、吹かせない。」と先生がおっしゃったので、残った人は練習し、何人かは辞めていきました。
↓こんな感じで幹部が意見出し合ったり、、、

めっちゃ長い!ごめんなさい

 遊ぶ暇は無かったけれど、大好きなは音楽に浸ったひと夏は、本当に輝かしいものです。リアル「響け!ユーフォニアム」みたいでした笑

厳しい結果、部長としての苦悩

 そうして迎えたコンクール、結果は厳しいものでした。地区大会突破、県大会出場を目指していましたが、地区大会止まりでおわってしまい。本当に悔しかった。帰りのバスで先生とわんわん泣きました。
 でもその時、気づいたんです。望まない結果だったのに、泣いているのは自分と先生だけ、悔しそうな表情をしているのは3年生だけ。1,2年生は、何もなかったかのように笑い合っている。
 そういえば、そういえば。朝も夜も自主練の時間帯にいるのは3年生だけ。1,2年生が吹けないところは3年生が代奏してる。
このコンクールは、部にとって意味があったのか?

 コンクールによって抑えられていた2年生の不満が表に出たのは、文化祭。
私の学校では、吹奏楽部の引退は文化祭となっており、コンクールの翌日から練習を再開しました。
そこで、「クオリティ高い演奏をしたい派
」と「楽しけりゃいいじゃん派」に部が分かれてしまったのです。
 
しかも、3年生&先生&一部の2年生 対 残りの2年生&1年生。
 ただの学校行事である文化祭、たしかに聞く人は専門家ではありません。でも、だからこそ自分たちの全力を聞いてほしい。私はそう思い、先生もそれに合わせた合奏指導をしてくださりました。
 ただ、日に日に深まるのは派閥の溝。「楽しけりゃいいじゃん派」の部員たち、主に2年生が無断欠席を繰り返すようになりました。
その報告を学校に届け、欠席の子に電話確認をするのは部長の私です。
部活のあり方について悩み、電話確認で愚痴られ、家庭でも色々とあり、でも音楽や楽器が大好きで、私は知らないうちに自分の限界を超えてしまったようです。

突然の発症

 それは突然でした。文化祭まで一ヶ月を切り、夏休みの終わりが見えてきたころのある朝。
 いつも通り指揮台に立ち、チューニングの合図を出す手を振り下ろし、ハーモニーを確認しようとした時。
おかしい。ハーモニーが歪んでいる。クラリネット、アルトサックス、トランペット、だけだ。低音、高音がない。聞こえない!
はじめは吹いてないのかと思った。でも、低音だけ、フルートだけ、で吹かせても、何も聞こえない。感じるのは、チューバの微かな振動だけ。
 私は泣きながら先生のもとへ行った。先生は血相を変えて、親が仕事だったからすぐ代わりに車を出してくれて、病院へ行った。
 診断は、突発性難聴。キレイに声の範囲を残して、高音と低音を表すグラフが歪な形を残していた。

それからの日々

 翌日から、部活が地獄だった。朝からバスで病院に行き、走って学校へ向かい、耳の負担を減らすために、一人で教室をひとつ借りて練習した。本当はお医者さんに「今すぐ吹奏楽を辞めてください。」と言われたけれど、残り一ヶ月、そこで諦めるわけにはいかないと思った。
 音の方向感覚がない、自分の音は聞こえる範囲だけど、ハーモニーなんか、もう私の中にはない。騒がしい場所では相手の声がよくわからない。困ったことはいくらでもあった。だけど先生は私の個人レッスンをしてくれたし、3年生の仲間は変わらず登下校をともにした。これは本当に救いだった。

 そして、薬が効いた。完全にではないけれど、高音が戻ってきた。低音も少しは聞こえるようになった。
 あと、慣れって大切だ。ハーモニーは、自分の中ではずれている、だけど正しいらしい、の位置付けの音に慣れた。同級生や先生、OB、OGの先輩方が手伝ってくれたお陰だ。ほんとうに、感謝してもしきれない。

引退、今の日常

 引退の日を迎えた。色々とあって迎えた文化祭。宝島のソロを吹き、最後の高音をかまして客席に笑顔を向けた私と、先生を囲む3年生の写真は今も私の机に飾ってある。
 聴力も、落ちたままではあるけれど安定してきた。お医者さんにも、高校からの吹奏楽は大丈夫そうだと言われた。

 合格をしたら、先生に報告して、また楽器を手に取りたいと思う。