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【知られざるアーティスト】彼が持たなかったものと、持っていたもの

彼が持たなかったものと、持っていたもの

彼は生涯にわたって
スマートフォンを持たなかった
彼が持っていたのは玄関の寡黙な黒電話だけ

彼は生涯にわたって
自動車を持たなかった
彼の移動手段はいつも自転車
若い頃には遠くの本屋へも繰り出した

彼は生涯にわたって
エアコンを持たなかった
家の前の槐(さいかち)が作る木陰で
過酷な暑さもしのいできた

彼は生涯にわたって
パソコンを持たなかった
彼の情報収集はラジオと本屋巡り
パソコンで作品を発表することが夢だった

彼は生涯にわたって
友だちを持たなかった
数名の切磋琢磨した幼馴染を除いては
大人になると会わなくなった彼らのことを
彼はずっと思い続けた

彼は生涯にわたって
恋人を持たなかった
若い頃に愛した女性はいたが
その腕に女を抱いたことは一度もなかった
私と出会うまでは

彼は酒もタバコも飲まなかった
若いときに試したが
自分には関係ないと思った
コーヒーやお茶さえも消費しない
水分を摂るのが嫌いなんだとか

彼はいっさい外食をしなかった
これも自分には関係がないとばかりに
「私は原稿を描いていれば幸せな人なの」
といつも言っていた

彼は生涯にわたって
師匠を持たなかった
高校の先生よりも物事がよく見えたし
既知のことを繰り返す先輩にも辟易
器用な彼はどんなこともほぼ独学で身につけた
5年間修業をした建具屋の職人が唯一の師匠か

そして
彼は生涯にわたって一度も雇われたことがなかった
彼が批判的に捉える資本主義にくみすることは
彼の作品に説得力を欠くから
雇われない生き方を選び続けた


彼は孤独であった


彼は孤独に耐えきれるだけの強い精神力を持っていた
そしてそれは
世界の事象を歴史の中で見渡す広い視野と
物事の本質を見通すセンスに裏打ちされていた
彼は世界を理解した
そのことで自分自身を信頼していたからこそ
さびしさに耐え抜くことができたのだと思う

彼はずば抜けた器用さを持っていた
彼の遺した作品はもちろん
彼の建築もリフォームも作った家具も衣服も
丁寧でプロ並みの完成度だった

彼は賢さを持っていた
自分の認識にも技にも決して奢ることはなく
淡々としていた
人と接することは苦手で孤独を愛したが
自分とは違う人々のことを理解しゆるした
彼の賢さは彼の優しさだった

彼は瞬発力のあるしなやかな体を60代まで保っていた
それは若い頃の鍛錬の結果
彼は文武両道
体を鍛えることに対してもストイックだった

彼は生涯にわたって
少年のような純粋な心を持ち続けていた
普段は人に対して伏せられていた両目は
心を許している相手に向けられたときにだけ
清らかな輝きを宿した

彼が人々を拒んだのは
彼の繊細さと正義感の強さ
彼は自分の正しさを守るために人と接することを拒んだ
彼は清らかにしか生きられない人だった

強さとセンスと器用さと賢さと優しさとしなやかさと
純粋さと繊細さと正しさ
そのバランスの上に清らかに生きたのが彼だった


彼は大人になるまでに
自分の人生に不要なものと必要なものを
はっきりと見分ることができていた
それは覚醒によるものか 繊細さの結果なのか

  彼が持たなかったもののうち
  ほんとうは必要としていたものがひとつだけ、あった
  それは、女と愛し合うことだった……


かわいらしい自作の郵便受け。留め具の磁石でカチッと開閉する立て付けも気持ちがよい。
彼は亡くなる約1年前にこのポストのペンキを丁寧に塗り直した。これは塗り直し前。

「知られざるアーティスト」

以上が、これから私が書こうとしている物語の主人公の像です。こんな人、この21世紀の世に、いったいどこにいるでしょう?一言で言ってしまえばかなりのカワリモノ、絶滅危惧種とも言います。

ただし、彼は決してヘンクツではありません。それは彼が持って生まれたバランス感覚なのか、彼の懐に飛び込んでしまえば、ヘンクツどころかとても正直で素直な人でした。そればかりか、ストレスのない最高に心地よいパートナーシップをこともなげに築いて見せて私を驚かせました。私は多少、彼のことを見くびっていたのです。女と付き合ったことがないから、接し方もわからないのでしょう?と。しかし彼の接し方には過不足がなく、まるでパートナーシップのお手本でした。これは高度に精神が自立した人の美しさでした。少なくとも私はそう感じました。

本来ならば主人公の人物像というのは、物語を読み進めていくうちに読者自身の中に浮かび上がってくるのが望ましいのだと思いますが、先にアウトラインをお伝えしてしまいました。それは、読者への興味付けの意味もありますが、私が彼のことを書き残したいと願う動機を示すためでもあります。

彼は作品を発表する夢をとうとう叶えずに、ひそやかに生きて、黙って死んでいってしまいました。彼の遺した未完成の作品や、家具などの製作品、丁寧に手入れされて使われていた道具類などから彼の人生に触れて、感動する人が後を絶ちませんでした。彼は「知られざるアーティスト」だったのです。

彼の人生最後の1年2ヶ月に出会った私は、その人生を、彼という人のこの世にあったことを、同時代の人に知らせることが役割なのかもしれない、そのために出会ったのかもしれないとも感じています。

不慣れで拙い文章ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。

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