望谷凛ノ介

信州伝統音楽LABO/望谷凛ノ介です。 日本民謡が大好き、民俗芸能を見て歩くことがお気…

望谷凛ノ介

信州伝統音楽LABO/望谷凛ノ介です。 日本民謡が大好き、民俗芸能を見て歩くことがお気に入りです。若干時間ができたので、信州の民謡を中心として、民俗音楽や地域ならではの音楽を「伝統音楽」としてくくり、整理してみたいです。

マガジン

  • 信州の民謡~中信地方

    信州の民謡を紹介します。 ここでは中信地方の民謡をまとめてみました。

  • 郷土の音楽 民謡の教材研究

    学校現場では音楽の授業に伝統音楽を取り入れるようになってきています。文部科学省による学習指導要領では、今次改定でも「我が国や郷土の伝統音楽に親しみ、よさを一層味わえるようにしていくこと」について「更なる充実」が求められています。教科書は大変工夫されており、各地の民謡、わらべ歌、祭礼の音楽等、各地域でよく知られたものをピックアップし、紹介しています。しかし、こうした音楽は数多くあり、また地域性もあるため、すべて網羅されることは難しいのは当然です。ここでは教科書等で取り上げられた曲、それぞれの地域で扱われればいいなという曲を紹介したいと思います。特に、note には採譜したものを掲載しています。有料ではありますが、必要に応じて活用していただければ…という願いをもって、発信します。

  • 信州の民謡~南信地方

    信州の民謡を紹介します。 ここでは南信地方の民謡をまとめてみました。

  • 信州の民謡~東信地方

    信州の民謡を紹介します。 ここでは東信地方の民謡をまとめてみました。

  • 信州の民謡~北信地方

    信州の民謡を紹介します。 ここでは北信地方の民謡をまとめてみました。

最近の記事

《奈川長持唄》~ 若衆仲間が支えた古式の祝い唄(長野県松本市奈川)

奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、奈川は交通の要所でした。 この奈川には古い形の婚礼に歌われた《長持唄》があります。 唄の背景 江戸時代、奈川は尾張藩に属し、木曽福島代官・山村氏の支配下でした。「尾州岡船」という観察を受けた中馬(ちゅうま)に従事することが多かったそうです。ただし、山間地である奈川は馬よりも牛による運送業が盛んであったといいます。現在の奈川は、

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    • 宮城県民謡~大漁唄い込み

      宮城県を代表する《大漁唄い込み》は、漁師たちによる祝い唄、酒盛り唄として力強い海の歌として知られています。主に松島湾沿岸で歌われてきました。 ■曲の背景 歌のいわれ この唄は《御祝》《斎太郎節》《遠島甚句》の3曲からなる組曲のような形式を取っています。 西洋音楽的にいうと、アタッカのように3曲を通して演奏されるのが本来です。 この組曲風の「唄い込み」というスタイルにしたのは、東北民謡育ての親と言われる後藤桃水(1880~1960)です。漁師たちの櫓漕ぎに歌われた《斎太郎節

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      • 《奈川追分》~野麦街道を駆け上った追分節(長野県松本市奈川)

        奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、奈川は交通の要所でした。 この奈川に《追分》が歌われてきました。 唄の背景 追分宿名物の追分節が奈川へ 江戸時代、奈川は尾張藩に属し、木曽福島代官・山村氏の支配下でした。「尾州岡船」という観察を受けた中馬(ちゅうま)に従事することが多かったそうです。ただし、山間地である奈川は馬よりも牛による運送業が盛んであったといいます。現在

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        • 《奈川臼挽節》~乗鞍山麓の里で歌われた夜なべの仕事唄(長野県松本市奈川)

          奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、奈川は交通の要所でした。 この奈川名物のソバなどを臼で挽いた時の仕事の唄が《臼挽節》です。 唄の背景 現在の奈川は、松本市街地から奈川渡ダムのあるあたりから入っていくイメージですが、このルートはかつての飛騨街道としては「山道」で、松本城下からは木曽藪原(木曽郡木祖村)から入っていくのが「本道」でした。また、奈川はかつて西筑摩郡

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        《奈川長持唄》~ 若衆仲間が支えた古式の祝い唄(長野県松本市奈川)

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        • 信州の民謡~中信地方
          26本
        • 郷土の音楽 民謡の教材研究
          3本
        • 信州の民謡~南信地方
          16本
        • 信州の民謡~東信地方
          6本
        • 信州の民謡~北信地方
          14本

        記事

          山形県の民謡~花笠音頭

          この唄は山形県を代表とする民謡で、タイトル通り、花笠をもって踊ることから《花笠踊り》として名付けられ、伝わってきました。「東北三大祭り」は「仙台七夕まつり」、「青森ねぶた祭」、「秋田竿燈まつり」ですが、これらに「山形花笠まつり」を加えて「東北四大祭り」とされていますが、この「花笠まつり」で踊られてきたのが《花笠音頭》です。 ■曲の背景 花笠音頭の元は土搗唄 この歌の源流は、大正8年(1919年)に、尾花沢(現山形県尾花沢市)での耕地開田事業で、作業をしていた人々によって歌

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          山形県の民謡~花笠音頭

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          《奈川えささ踊り》~信飛の山村に伝わっていた踊り唄(長野県松本市奈川)

          奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、交通の要所でもあった奈川には、さまざまな人々が行き交い、信州以外の珍しい文化も伝播してきました。 この奈川にはいくつかの民謡が残されましたが、人気のあった踊り唄の1つに《えささ踊り》があります。 唄の背景 各地の流行り唄が伝播 江戸時代、奈川は尾張藩に属し、木曽福島代官・山村氏の支配下でした。「尾州岡船」という観察を受けた中馬

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          《奈川えささ踊り》~信飛の山村に伝わっていた踊り唄(長野県松本市奈川)

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          《奈川八幡》~郡上八幡の踊り唄が伝播(長野県松本市奈川)

          奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、交通の要所でもあった奈川には、さまざまな人々が行き交い、信州以外の珍しい文化も伝播してきました。 この奈川にはいくつかの民謡が残されたものの中に、《八幡》という踊り唄があります。 唄の背景 かわさき踊りの流行 江戸時代、奈川は尾張藩に属し、木曽福島代官・山村氏の支配下でした。「尾州岡船」という観察を受けた中馬(ちゅうま)に従事

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          《奈川八幡》~郡上八幡の踊り唄が伝播(長野県松本市奈川)

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          愛知県の民謡~岡崎五万石

          この唄は岡崎市(愛知県岡崎市)の花柳界のお酒の席で歌われたものです。別名としては、単に《五万石》とも呼ばれます。 ■曲の背景 木遣りをもとにしたお座敷唄 岡崎といえば徳川家康が生まれた土地として知られています。「五万石」とは領地としては決して大藩ではありませんが、岡崎の人々は家康の出身地ということで、誇りとしてきました。 〽︎五万石でも 岡崎様は アーヨイコノシャンセ  お城下まで 船が着くションガイナ  アーヤレコノ船が着く  お城下まで 船が ン着くションガイナ  

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          愛知県の民謡~岡崎五万石

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          《奈川かやぶき》~山村の風景にマッチした踊り唄(長野県松本市奈川)

          奈川は野麦峠の麓。温泉やソバで知られています。かつては南安曇郡奈川村でしたが、平成の大合併により松本市となりました。かつては野麦街道等が整備され、交通の要所でもあった奈川には、さまざまな人々が行き交い、信州以外の珍しい文化も伝播してきました。 この奈川にはいくつかの民謡が残されましたが、その名も珍しい《かやぶき》という踊り唄があります。 唄の背景 各地の流行り唄が集まってきた村 江戸時代、奈川は尾張藩に属し、木曽福島代官・山村氏の支配下でした。「尾州岡船」という鑑札を受

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          《奈川かやぶき》~山村の風景にマッチした踊り唄(長野県松本市奈川)

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          《原村コチャかまやせぬ節》~お江戸日本橋の原型をとどめる踊り唄(長野県諏訪郡原村)

          原村は八ヶ岳の裾野の傾斜地に位置します。八ヶ岳連峰や蓼科山、入笠山などが見渡せる高原の村です。 歴史は古く、縄文遺跡がたくさんあります。また、八ヶ岳西麓の原山と呼ばれる一帯は、御射山社があり、古くから原山様と呼ばれ、信仰されていました。近世に開墾された新田村が多く、明治8年(1875)に8つの新田村が合併し、原山にちなんで原村が誕生しました。この地に長野県内でも珍しい《コチャかまやせぬ節》という踊り唄が伝わっています。 唄の背景 江戸から伝播したコチャエ節 この唄は特徴

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          《原村コチャかまやせぬ節》~お江戸日本橋の原型をとどめる踊り唄(長野県諏訪郡原村)

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          《龍勝寺山》~コチャエ節が伝播、上伊那に広まる(長野県伊那市高遠町)

          伊那市東部、旧高遠町の勝間区で歌われていた踊り唄に《龍勝寺山》があります。歌詞の出だしから《龍勝寺山の姫小松》とも呼ばれています。 唄の背景 龍勝寺の姫小松 勝間は高遠城下から旧長谷村方向へ進んだあたりの集落です。ここに曹洞宗の古刹、龍勝寺があります。旧藩時代には、その裏手を龍勝寺山という山林の所有が認められていたそうです。 三界山(みつがいやま)の東の尾根あたりに続くあたりにはヒメコマツ(五葉松)やマツタケで知られていました。 「龍勝寺山の姫小松」には昔話があります。

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          《龍勝寺山》~コチャエ節が伝播、上伊那に広まる(長野県伊那市高遠町)

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          《上町おんたけ》~遠山谷に残された素朴な御岳山節(長野県飯田市)

          遠山霜月祭で知られる飯田市上村は、かつて信州諏訪と遠州秋葉山を結ぶ秋葉街道が通っていて、その中心地には上町宿がありました。 この地の盆踊りは無伴奏で古風な唄に合わせて踊られてきました。その中に《おんたけ》があります。 唄の背景 伊那節のもとになった御岳山節 旧上村(現飯田市上村)は、かつて門村(かどむら)と呼ばれていました。秋葉街道の宿場でもあった上町(かみまち)の盆踊り唄には《絵島》《ノーサ》《ショーガイ》《おんたけ》等があります。この《おんたけ》は、手踊りで、桧笠を

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          《上町おんたけ》~遠山谷に残された素朴な御岳山節(長野県飯田市)

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          《伊那尾根下り唄》~権兵衛峠の尾根を下る馬追いの唄~(長野県伊那市)

          伊那市の西部、木曽谷と伊那谷を結ぶ権兵衛峠は、「木曽へ木曽へとつけ出す米」を輸送した山道の街道です。そのあたりの馬追いで歌われたものに《尾根下り唄》があります。 唄の背景 シンプルな構造の馬追い唄 伊那と木曽とは急峻な中央アルプス(木曽山脈)に阻まれ、行き交うことが難しい地域でした。そこを結ぶルートとして、鍋懸峠、牛首峠がありましたが人しか通れない道でした。しかし、江戸時代、木曽郡日義村の古畑権兵衛という牛方が、元禄9年(1696年)に、山道を切り開き、以降権兵衛峠として

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          《伊那尾根下り唄》~権兵衛峠の尾根を下る馬追いの唄~(長野県伊那市)

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          《西野甚句》~都節音階によるしっとりとした情緒の甚句(長野県木曽郡木曽町開田)

          開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。 開田には山村ながら、各地の流行り唄がよく伝承されてきました。その1つに《西野甚句》があります。 唄の背景 飛騨の流行り唄が伝播 旧開田村は、大きく分けて末川地区と西野地区からなります。西野は開田高原でも西側のエリアです。開田村では「甚句」が各地で歌われてきました。集落によって同系

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          《西野甚句》~都節音階によるしっとりとした情緒の甚句(長野県木曽郡木曽町開田)

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          《西野踊り唄》~信州へ逆戻りしたエーヨー節(長野県木曽郡木曽町開田)

          開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。 開田には山村ながら、各地の流行り唄がよく伝承されてきました。その1つに《西野踊り唄》があります。 唄の背景 飛騨の流行り唄が伝播 旧開田村は、大きく分けて末川地区と西野地区からなります。西野は開田高原でも西側のエリアです。この唄は上の句を音頭取りが歌い、下の句を踊り手が付けるとい

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          《西野踊り唄》~信州へ逆戻りしたエーヨー節(長野県木曽郡木曽町開田)

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          《末川甚句》~開田の里のお十五夜様(長野県木曽郡木曽町開田)

          開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。 開田には山村ながら、各地の流行り唄がよく伝承され、特に味わいのある甚句が歌われてきました。その1つに《末川甚句》があります。 唄の背景 木曽谷から安曇平で歌われてきた盆踊り唄 旧開田村は、大きく分けて末川地区と西野地区からなります。末川は開田高原でも東側のエリアです。この甚句は、

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          《末川甚句》~開田の里のお十五夜様(長野県木曽郡木曽町開田)

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