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信州の民謡~南信地方

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信州の民謡を紹介します。 ここでは南信地方の民謡をまとめてみました。
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記事一覧

《原村コチャかまやせぬ節》~お江戸日本橋の原型をとどめる踊り唄(長野県諏訪郡原村)

原村は八ヶ岳の裾野の傾斜地に位置します。八ヶ岳連峰や蓼科山、入笠山などが見渡せる高原の村です。 歴史は古く、縄文遺跡がたくさんあります。また、八ヶ岳西麓の原山と呼ばれる一帯は、御射山社があり、古くから原山様と呼ばれ、信仰されていました。近世に開墾された新田村が多く、明治8年(1875)に8つの新田村が合併し、原山にちなんで原村が誕生しました。この地に長野県内でも珍しい《コチャかまやせぬ節》という踊り唄が伝わっています。 唄の背景 江戸から伝播したコチャエ節 この唄は特徴

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《龍勝寺山》~コチャエ節が伝播、上伊那に広まる(長野県伊那市高遠町)

伊那市東部、旧高遠町の勝間区で歌われていた踊り唄に《龍勝寺山》があります。歌詞の出だしから《龍勝寺山の姫小松》とも呼ばれています。 唄の背景 龍勝寺の姫小松 勝間は高遠城下から旧長谷村方向へ進んだあたりの集落です。ここに曹洞宗の古刹、龍勝寺があります。旧藩時代には、その裏手を龍勝寺山という山林の所有が認められていたそうです。 三界山(みつがいやま)の東の尾根あたりに続くあたりにはヒメコマツ(五葉松)やマツタケで知られていました。 「龍勝寺山の姫小松」には昔話があります。

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《伊那尾根下り唄》~権兵衛峠の尾根を下る馬追いの唄~(長野県伊那市)

伊那市の西部、木曽谷と伊那谷を結ぶ権兵衛峠は、「木曽へ木曽へとつけ出す米」を輸送した山道の街道です。そのあたりの馬追いで歌われたものに《尾根下り唄》があります。 唄の背景 シンプルな構造の馬追い唄 伊那と木曽とは急峻な中央アルプス(木曽山脈)に阻まれ、行き交うことが難しい地域でした。そこを結ぶルートとして、鍋懸峠、牛首峠がありましたが人しか通れない道でした。しかし、江戸時代、木曽郡日義村の古畑権兵衛という牛方が、元禄9年(1696年)に、山道を切り開き、以降権兵衛峠として

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《天屋節》~極寒の中で歌われてきた寒天製造の仕事唄(長野県茅野市)

茅野市では天然角寒天作りが古くから行われてきました。寒天といえば「ところてん」などに加工して食べられます。 寒天作りがこの地域の特産になったのは、冬の気温が低いことや、乾燥に適していたことなどが理由だそうです。寒天業が行われるのは12月中旬から3月くらいまでの約3か月の間だけです。この寒い時期に、原料であるテングサ等の海藻を臼で搗く時に歌われたのが《天屋節》です。 唄の背景 寒天生産額第一位の信州ならではの仕事唄 寒天製造の本場は関西です。茅野市で寒天作りが始まったのは

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《岡谷糸ひき唄》~日本の近代化を支えた工女のつぶやきの唄(長野県岡谷市)

日本の製糸生産量のトップであったのが、信州諏訪地方でした。生糸の品質がよく、日本の輸出総額の1位が生糸であった時代もありました。世界大戦後、製糸業が衰退し、諏訪の精密機械工業が盛んになります。しかし、その基盤にあったのが製糸業であったともいえます。 その製糸工場で働いていたのが工女さんです。その若い女性たちが糸ひき作業の折に歌ってきたものが《糸ひき唄》です。 唄の背景 岡谷の製糸業 蚕の繭から糸を取り出し、生糸にすることが製糸です。歴史は古く、中国から伝来したものと考えら

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《上町絵島》~山里に残る悲哀に満ちた踊り唄(長野県飯田市)

遠山霜月祭で知られる飯田市上村。秋葉街道の通る上村の中心地に上町宿がありました。この地の盆踊りは無伴奏で古風な唄に合わせて踊られてきました。その中に、江戸時代中期に起こった江島生島事件を題材とした《絵島》という踊り唄が残されています。 ※本来は「江島」が正しく、物語などで「絵島」が使われるようです。この唄を伝える地元でも《絵島》の表記が使われていますので、本文では楽曲名には《絵島》で表記します。 唄の背景 江島生島事件 江島(1681~1741)とは、江戸時代大奥の年寄

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《上町おんたけ》~遠山谷に残された素朴な御岳山節(長野県飯田市)

遠山霜月祭で知られる飯田市上村は、かつて信州諏訪と遠州秋葉山を結ぶ秋葉街道が通っていて、その中心地には上町宿がありました。 この地の盆踊りは無伴奏で古風な唄に合わせて踊られてきました。その中に《おんたけ》があります。 唄の背景 伊那節のもとになった御岳山節 旧上村(現飯田市上村)は、かつて門村(かどむら)と呼ばれていました。秋葉街道の宿場でもあった上町(かみまち)の盆踊り唄には《絵島》《ノーサ》《ショーガイ》《おんたけ》等があります。この《おんたけ》は、手踊りで、桧笠を

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《上町ショーガイ》~粋で洗練された旋律の踊り唄(長野県飯田市)

遠山霜月祭で知られる飯田市上村は、かつて信州諏訪と遠州秋葉山を結ぶ秋葉街道が通っていて、その中心地には上町宿がありました。 この地の盆踊りは無伴奏で古風な唄に合わせて踊られてきました。 その中に、《ショーガイ》という踊り唄が残されています。 唄の背景 優雅な雰囲気の踊り唄 旧上村(現飯田市上村)は、かつて門村(かどむら)と呼ばれていました。秋葉街道の宿場でもあった上町(かみまち)の盆踊り唄には《絵島》《ノーサ》《よこばば》《おんたけ山》等があります。この《ショーガイ》は

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《上町よこばば》~素朴で古雅な節回しの踊り唄(長野県飯田市)

遠山霜月祭で知られる飯田市上村は、かつて信州諏訪と遠州秋葉山を結ぶ秋葉街道が通っていました。 その中心地には上町宿がありました。この地の盆踊りは無伴奏で古風な唄に合わせて踊られてきました。 その中に、《よこばば》という不思議な名前の踊り唄が残されています。 唄の背景 古い旋律を感じさせる踊り唄 旧上村(現飯田市上村)は、かつて門村(かどむら)と呼ばれていました。秋葉街道の宿場でもあった上町(かみまち)の盆踊り唄には《絵島》《ノーサ》《ショーガイ》《おんたけ山》等がありま

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《入野谷ざんざ節》~仙丈を仰ぎ見る馬追い唄(長野県伊那市)

伊那市旧長谷村は南アルプスの麓の山里。城下町、高遠から三峰川沿いに山手に進んでいくと、かつて入野谷(いりのや)と呼ばれた地域があります。 かつて遠州秋葉山と諏訪を結ぶ信仰の道、秋葉街道が通っており、民話「孝行猿」でも知られています。 その古道沿いの集落、入野谷で歌われてきた民謡に《ざんざ節》があります。 唄の背景 馬追い唄から盆踊り唄へ 入野谷では山林で伐採される木材、薪炭などを馬追い達が高遠城下へ運びました。高遠までの道中は三峰川の渓谷沿いの狭い山道であり、馬の背に

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《入野谷キンニョンニョ》~不思議なハヤシ詞の酒盛り唄(長野県伊那市)

伊那市旧長谷村は南アルプスの麓の山里。城下町、高遠から三峰川沿いに山手に進んでいくと、かつて入野谷(いりのや)と呼ばれた地域があります。 かつて遠州秋葉山と諏訪を結ぶ信仰の道、秋葉街道が通っています。 その古道沿いの集落、入野谷で歌われてきた民謡に《キンニョンニョ》があります。 唄の背景 源流は不明の流行り唄 入野谷では酒盛り唄として歌われていた《キンニョンニョ》は、甚句調の7775調の詞型を基本とするものです。三味線や太鼓を入れた楽しい雰囲気の酒盛り唄です。 〽︎

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《伊那節》[伊那町調]~御岳を歌った踊り唄からお座敷唄へ(長野県伊那市)

長野県の南半分の伊那谷は上伊那、下伊那と分類されますが、広く歌われてきた《御岳/御嶽(おんたけ)、《御岳山(おんたけやま)》《御岳山節》と呼ばれる盆踊り唄、酒盛り唄があります。御岳(御嶽)とは長野・岐阜県境にそびえる3,063mの霊峰。上伊那を中心に《御岳》が広く歌われるようになると、大正時代に入り《伊那節》と改称して、それが広まっていきました。やがて、伊那市で最もよく歌われているのは伊那町調の《伊那節》です。 唄の背景 御岳から伊那節へ 《御岳》というと、 〽︎わしが

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《伊那節》[飯田調]~飯田の花街で歌われた伊那節~(長野県飯田市)

長野県の南半分の伊那谷は上伊那、下伊那と分類されますが、広く歌われてきた《御岳/御嶽(おんたけ)》《御岳山(おんたけやま)》《御岳山節》と呼ばれる盆踊り唄、酒盛り唄があります。御岳(御嶽)とは長野・岐阜県境にそびえる3,063mの霊峰。上伊那を中心に《御岳》が広く歌われるようになると、大正時代に入り《伊那節》と改称して、それが広まっていきました。各地で《伊那節》が歌われるようになり、飯田の花街でも歌われるようになりました。後述のように、伊那谷では各地で《伊那節》が歌われていま

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《大泉おんたけやま》~御岳山から伊那節への過渡期の唄(長野県上伊那郡南箕輪村)

長野県の南半分の伊那谷は上伊那、下伊那と分類されますが、広く歌われてきた《御岳/御嶽(おんたけ)、《御岳山(おんたけやま)》《御岳山節》と呼ばれる盆踊り唄、酒盛り唄があります。御岳(御嶽)とは長野・岐阜県境にそびえる3,063mの霊峰。上伊那を中心に《御岳》が広く歌われるようになると、大正時代に入り《伊那節》と改称して、それが広まっていきました。各地で《伊那節》が歌われるようになりましたが、《おんたけやま》の曲名をそのままに歌い継がれたものに、南箕輪村大泉の《おんたけやま》が

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